武内 ヒロク二

このブログは、武内ヒロクニの絵の紹介や、家での出来事を妻が語ります。
日々、徒然。

ヒロク二さんと、絵画散策(立原道造)

2013-12-29 23:21:02 | Weblog

師走気分も高まり、何かと忙しい季節です。
新年を迎える為に玄関の横に、葉牡丹とシクラメン、パンジーとイベリスを寄せ植えしました。
植える前の妄想時間が、楽しいです。


この小さな葉牡丹を植えることにしてから、花を選んでいきました。この葉牡丹をうまく使うが「テーマ」でしたが、
花を選んでいる内に、脳内でイメージが混乱するので、いつも「こんなもんか?」と出来上がりには、疑問状態で終えます。
「無かったことを思えば、今がいい」と変な納得をします。
新年を迎える行事として、わたしの中では、良かったという感じです。


ヒロク二さんのアトリエの壁の一部。
もう長い間貼ってあります。


立原道造 「飛行船」1927年~31年頃

ヒロク二さんは、立原道造のこの絵をずっとアトリエに、貼っています。
立原道造は、詩人で有名です。(建築家でもある)
こんな詩があります。

朝に

おまへの心が 明るい花の
ひとむれのやうに いつも
眼ざめた僕の心に はなしかける
《ひとときの朝の この澄んだ空 青い空

傷ついた 僕の心から
棘を抜いてくれたのは おまへの心の
あどけない ほほゑみだ そして
他愛もない おまへの心の おしやべりだ

ああ 風が吹いてゐる 涼しい風だ
草や 木の葉や せせらぎが
こたへるやうに ざわめいてゐる

あたらしく すべては 生れた!
霧がこぼれて かわいて行くときに
小鳥が 蝶が 昼に高く舞ひあがる

すごくロマンティストで、少し恥ずかしいくらいですが、
ヒロク二さんにも詩人の要素があるのか、
こういう感性があるのです。
もうわたしは、慣れてしまって、普通に聞いて「ああ、そう」。とか言っているのかもしれないが、
最初の頃は、
「あなた、恥ずかしくないの?」
「なんか、歯が浮く」。
「心から言っているのか疑問?」
「おちょくられている?」
「軽薄な人かな?」
と、ゲラゲラ笑っていたのです。
(自分に自信が無ないからか、酷い・・・、褒められても素直に喜べない性格?)

この続きに「堀辰雄」も好きというのが、判りました。
堀辰雄は、結核で亡くなった立原道造をモデルに書いた小説があります。
二人は、友人でもあったわけです。

立原道造は、フランスの詩人、ボードレールにも親しんでいます。
ヒロク二さんは、フランス文学をよく読んでいて、ボードレールの話を、わたしにします。
共通するものが、下地にあるようなのです。
ボードレールは、フランスの芸術家はバイブルみたいに読まれているらしく、ピカソが、密かにボードレールに耽溺していたりする書物なのです。「読書する女」というタイトルの本があったと思いますが、最後に出てきた本がボードレールの「悪の華」だったのですが、発禁書というか、冒涜的な内容に、本を読む女が、逆上して、読書する女という仕事をやめてしまうという筋書き。この本を読んだ時、フランス人って、言語が好きな国民性なんだと感心した。言葉フェチというか・・。

横道にそれましたが、フランス文学耽溺という下地とロマン主義が共通しているのです。


二匹の魚 パステル
ほのぼのしているだけでなくて、構成とかよく考えられていて面白い


信濃追分にて パステル
何か爽やかな風が吹いている感じがして、きれいな空気を吸っているような気持ちになる

詩人たちの絵
窪島 誠一郎
平凡社

この本をヒロク二さんが持っていたので、知ったのです。

一枚の絵から、文学散策、詩人への思い、フランスの芸術家へとだんだん世界は、広がります。

実は、フランスの文学は、わたしはあまり積極的に読まないので、周辺をグルグル回るだけしか能力がなくてごめんなさい。ピカソやモンパルナスの芸術家達には、もの凄い影響を与えたのが、ボードレールというのは、確かなのです。わたしには、ロマンは、無理のようです。

今年も後、残り僅か・・・。

良いお年をお迎え下さい。





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内庭 (土夜芥しょーたろー)
2014-01-02 18:55:06

先天的に小人症の人がいてその娘を死にごむが可愛がっているのをむかついてどうたうが娘をばっとで殴ったもんだから娘はえれめんたりうすちゅうるの保健室のべっどで臥せっている。くらすめいとのにいぅとたけしが髪を洗ってくれるらしくってどうたうのためになら女になってもいいよと耳元で呟いていた。えれめんたりうすちゅうるの図書室に本がたくさんだったけど窓からどうたうが目をやると死にごむが内庭の土を掘りおこして小人症の娘を埋めていたからで急いで穴にいち輪の赤い薔薇を供える。教室で涙を浮かべていたからかくらすめいとが誰を思って涙しているのって聞いてくるからいち部始終を話す訳にもいかなくて女になっても良いよと言っているにいぅとたけしを思って泣いているのよとしらばっくれる。どうやらどうたうは殺人の被疑者として収監されるらしくて縛られて連れていかれたんだけど諦めも肝心だった。れとろなすとうりうのえうぶいにぼういっしゅな見かけない女がさんぴうにあたっくしていたんだけど女に転換していたにいぅとだった。どうたうは赤さたんが運転するもうたうばいしくるに便乗させて貰いえれめんたりうすちゅうるに到着すると控え室で性交したんだけど赤さたん教授はどうたうと歳がさんじゅうも離れているのに淫らになってしまって良いものかと思案していると俺の歳はさんびゃくさんじゅうなんだぜと言うからまあ良いかなとなった。だってさんじゅうもさんびゃくさんうじゅうもあんまり変わらないじゃない。そしたら赤さたん教授は赤いぴあのにめたもるふぉうぜしていたからぴあのはさんびゃくさんじゅう年ものだったんだわ。どうたうは鍵盤に跨がったままだったんだけど鍵盤に陰唇が挟まってしまいお負けにびあのが自動演奏するもんだからからだが変になっちゃう。小人症の人は媚びている人のいい違いでどうたうは自分が小人症のからだのようでありたいと願っていたからなんだけどそんなおり小人症の娘に死にごむが優しくしていたから嫉妬して娘をばっとで殴っていたわけ。どうたうがむかつくのは噛むつくのいい違いだったからばっとはぴぬで小人症の娘にいれこんだ死にごむへの腹いせにどうたうは死にごむのぴぬに噛みついているから痛いやら嬉しいやらで死にごむはぱにっくだった。ばっとで殴られて小人症の娘が保健室で臥せっています。噛みつかれた死にごむのぴぬが果ててしまい小人みたいに縮んでしまったからでどうたうが不貞腐れて誰かをばっとで殴りたくなるには充分だったんだよね。髪を洗ってくれるにうぃとはどうたうのためになら女になっても良いと女になったら急に業界でぶれいくしてぼういっしゅなえうぶい女優としてすくりうんでびゅうを果たしている。えれめんたりうすちゅうるの図書室は愛人との歳差を知るだったからどうたうは歳差のある男にしか性欲を感じないたいぷで図書室にたくさんの恋愛本が列んでいても周りにいる歳差がはなれた男を物色しているどうたうの対象となる男はえれめんたりうすちゅうるの教授に他ならなかった。それに死にごむはえれめんたりうすちゅうるのすちゅうでんと達に楽になる死に方を教授していて内庭で死にごむがどうたうがばっとで殴った小人を埋めていたからどうたうはいち輪の赤い薔薇をぷれぜんとしたんだけど花言葉は愛の嫉妬だったから愛の死といち輪は不倫のいい違いで愛と死と不倫が女に転換したくらすめいとのにいぅとのさんぴう動画のたいとるなんだけどどうたうは赤さたん教授と不倫をしているしもちろん死にごむ好みの小人症の娘には死んで貰っていたんだけどじゃう愛は何処なのって穴に埋められた小人症の少女はなっていた。ことの次第はかようにえれめんたりうすちゅうるのもらるはどんなんだよだった。れとろなすとうりうのえうぶいしねまの女優になったにいぅとだったんだけどしねまは死ねばでどうたうをおうがずむに導くにはさたん教授でさえぴあのにめたもるふぉうぜしたぐらいだったからそれぐらいしないとどうたうを果てさせることはできません。女になったえれめんたりうすちゅうるのにいぅとたけしはしねまは死ねばのいい違いだっただけど映画はえいが海を泳ぎながら尻尾でつんつんでどうたうのからだを尻尾でつんつんして頂戴だった。
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