題「日常の喜び」鉛筆と色鉛筆使用
今日も今日とて制作に励んでいます。
先回のブログは、写真がなくてがっかりした方もいらしたのでは?と思い、
写真があまり見えなくても、強引に写真をアップしました。
この作品を見ていると、シュールな感じと懐かしい子供の頃の、何でも不思議に思う感性があった時を思いだします。
幼少の頃、家からどんどん離れて見知らぬ所までたどり着き、ある程度行くと何故か不安になり、引き返した時間とか、夕焼けの時間になるとゆうげの香りとともに、靴を投げて天気占いをして、明日を考え、帰宅につく。これは、わたしの子供の頃の思い出です。
ヒロク二さんは、子供の頃は親戚中から「ヒロは可愛かった。」と言われていたらしく、どんな感じなのか写真を見てみたいが、写真は見たことありません。子供の頃は、電線を不思議がったり、驚いたりと、そんな時間が多かったと語ってくれます。
そんな感性がシュールな感性を好む資質につながっているのだろうか?
我が家には、多くのシュールレアリストに影響を与えた、アンドレ・ブルトンの本が5巻あります。
この本の3巻が手元にありますので、パラパラとめくってみました。
下の本は4巻です。3巻はイメージがなかったので4巻をあげました。
アンドレ・ブルトン集成〈4〉 (1970年) | |
クリエーター情報なし | |
人文書院 |
ヒロク二さんが、○印が付けられた詩があります。
-いろどられた土地ー
みみずたちは土塊(つちくれ)の中の運河をつたって行きもぐらたちに曳かれる水晶の伝馬船に出会う
みみずたちは同じように青い太陽と鋤とのかがやきをおそれる
おたがいに期待を奪い合う
露たちはいたるところにコップをおく
はさみむしたちは飲む
彼らはドアで立ち聞きし道具箱の中に住みつく
種子
干した丁子のつぼみ
-終ー
たぶんシュールとは、実際に本や絵画を見て体験するのが一番なのではと思いました。
シュールレアリストのダリの絵を見ると↓
小学3年の頃、百科事典から、このダリの絵を見て、「恐怖」を感じ、百科事典を眺めていると、このページが出てくる度に、恐怖を味わうので、見えないように折り曲げて見えなくした記憶がある。
ヒロク二さんのシュールは、ややほのぼのしているけれど、この頃のダリの絵は、強烈にです。
ヒロク二さんとわたしは、シュールな頃のダリの作品が好きで、数学的になっていく後半の絵には興味がわかなくて、この頃のダリが一番好きです。わたしが今でも怖いシュールレアリストは、タンギーです。タンギーを見ると、「絶望で打ちひしがれます。」気が遠くなるのです。
ヒロク二さんは、タンギーが好きということですが、「こんな胸中になったら、あかん。」とか言って、早くその絵の前を通り過ぎることにしています。
イヴ・タンギーの絵↓
パソコンがはやく復調するといいですねU+1F408
めりはりきいていて魅了されます
大人になると、理性というか変に理解しようという意識が働きすぎて、考えすぎるのでは?
大人になっていいのは、感性が洗練されていく成長があることだと思っています。