27歳-8
三つの視点。
誰かと一致するということを楽しみながら願う。ぼくらは溶け合い、限りなく同一であろうとする。誰かを好きになるということは二つの物体がひとつになること。仮にならないとすれば好きになることも無意味に属する。ぼくらは、だが離れている。
ぼくは素晴らしい景色を見ている。圧倒されている。この同じものを希美にも見せたいと思っている。それはぼくらが別の場所に存在しているから成り立ち得るものだった。その希美の視線を独占する。
しかし、それでも希美はどこを見ているのだろう。焦点を合わせているのだろう。ぼくは希美の目を通して世の中をのぞき見、把握しようとしていた。不可能に近いことは知っているが、同一になるという願いは結局はそういうものなのだろう。ぼくらは身長も違う。もうその時点で同じ風景など見られないのだ。さらに、厳密にいえば視力も違う。ぼくらは同じピントでものを見ることもできない。レンズの性能も異なっているのだろう。カメラの会社の売りがあり、自然と守備範囲や得意なものを住み分けて製造されているように。
ぼくはプールサイドで横に希美がいることを意識しながら、そんなことを考えていた。同じ太陽を浴び、同じものを飲み、同じ気温のなかにいた。同じ子どもの歓声を聞き、同じスコールを浴びた。ぼくの願いは叶っているのだという実感があった。
希美の身体が、もっと上だ、首が揺れている。彼女は居眠りをしているようだった。もうそこでぼくらの同一という観点は終わった。ぼくは眩しさをサングラスを通して軽減しながらも、それを直視しようと思っていた。ぼくは数年前の女性のことを考えている。彼女をこのように、もっと直視すればよかったのだ。そして、彼女の愛らしさはやはり別の世界から来たのだとそのプールサイドであらためて気付くのだった。だから、彼女と等しくなることなどできない。一致という幻も手にする努力などしなくてもよかった。ただ崇めれば、おののけば、驚けばよかったのだ。簡単なことだ。横で希美は呻きのような音を出した。耳を澄まさなければ、さまざまな喜びの音にかき消されるものだった。ぼくは小さな萌芽を見つけるように、その音を確認した。しかし、やはりこれもぼくとは別個の生命体があることを認識したに過ぎないのだ。
ぼくらは太陽の威力に疲れて部屋に戻る。冷たいものを飲み、希美はシャワーを浴びた。ぼくとは別の肉体があることをぼくは利己的に喜んでいる。彼女は乾いたタオルで水滴を拭いている。完全になくなることはない。腕の裏や、首の後ろに滴はまだあった。永遠にありつづけることは決してない。ぼくの存在もその水滴と大きな違いはないのかもしれない。反対に滴は別の生命を生み出す可能性もあった。だが、いまはその可能性もまったく感じられないまっ平らな腹部が彼女にはあった。ぼくの凝視に気付いた希美は恥ずかしそうな様子を見せる。その部分を隠すように彼女はわざとぼくの背中に体当たりをした。ぼくは小さな衝撃を受ける。これも別の肉体を有している証明であった。自分自身にぶつかることなどできないのだ。
ぼくは物理の証明をしたいわけでもないが、その後の時間をその実践にあてた。
その前の時間、希美はぶつかったままの姿勢で自分の胸の小ささをはじめて気付いたかのようにその事実に触れた。それは途中で成長をやめた夏休みの朝顔についての考察のようでもあり、土のなかで一生を終えたカブトムシの話でもあるようだった。ぼくは自分とは別の視点があることを楽しんでいた。好きになることは一致とは別物であった。だが、限りなく一致することも望んでいた。ぼくは一致になり得る証明を果たそうとするが、男女の肉体の喜びの先には、別の結果がうまれた。放出と受容の定義の話であり、献身と奉仕の実務の作業の映像だった。ぼくは窓を開ける。まだ波の音と子どもたちのざわめきがあった。音は下から上に駆け上がるようでもあった。ぼくらは三階にいた。水分の蒸発が海の波の上で行われているようだった。希美は寝そべっている。倦怠というものを望んでいた。病気とは明らかに違う自堕落な疲れ。彼女は明日、新たな自分の一年をはじめる。ぼくは彼女の旅行カバンにまぎれた荷物のようなものとして自分を意識する。歯ブラシやくしと同価値なもの。いや、それらも毎日、必要になるのだ。毎日。毎時間。ぼくらは好きという感情や愛をどのように判別し、自分自身との距離をはかっているのだろうか。ぼくは希美の横にすわる。彼女の髪を触る。ぼくと希美の髪の色も同じではない。長さも違う。またもう一度、ぼくは異性をまったく別の惑星の住人として見ることになる。彼女の平らなお腹が見えた。白いシーツからはみでている。おへその形状。ぼくはなぜ同一なものなどと感じようとしたのか。この窓のそとの景色を誰かに見せることなどできるのだろうか。希美のある年齢の最後の一日。それさえ得られればぼくはこの人生に文句も言えないことを知った。いや、知っていた。
三つの視点。
誰かと一致するということを楽しみながら願う。ぼくらは溶け合い、限りなく同一であろうとする。誰かを好きになるということは二つの物体がひとつになること。仮にならないとすれば好きになることも無意味に属する。ぼくらは、だが離れている。
ぼくは素晴らしい景色を見ている。圧倒されている。この同じものを希美にも見せたいと思っている。それはぼくらが別の場所に存在しているから成り立ち得るものだった。その希美の視線を独占する。
しかし、それでも希美はどこを見ているのだろう。焦点を合わせているのだろう。ぼくは希美の目を通して世の中をのぞき見、把握しようとしていた。不可能に近いことは知っているが、同一になるという願いは結局はそういうものなのだろう。ぼくらは身長も違う。もうその時点で同じ風景など見られないのだ。さらに、厳密にいえば視力も違う。ぼくらは同じピントでものを見ることもできない。レンズの性能も異なっているのだろう。カメラの会社の売りがあり、自然と守備範囲や得意なものを住み分けて製造されているように。
ぼくはプールサイドで横に希美がいることを意識しながら、そんなことを考えていた。同じ太陽を浴び、同じものを飲み、同じ気温のなかにいた。同じ子どもの歓声を聞き、同じスコールを浴びた。ぼくの願いは叶っているのだという実感があった。
希美の身体が、もっと上だ、首が揺れている。彼女は居眠りをしているようだった。もうそこでぼくらの同一という観点は終わった。ぼくは眩しさをサングラスを通して軽減しながらも、それを直視しようと思っていた。ぼくは数年前の女性のことを考えている。彼女をこのように、もっと直視すればよかったのだ。そして、彼女の愛らしさはやはり別の世界から来たのだとそのプールサイドであらためて気付くのだった。だから、彼女と等しくなることなどできない。一致という幻も手にする努力などしなくてもよかった。ただ崇めれば、おののけば、驚けばよかったのだ。簡単なことだ。横で希美は呻きのような音を出した。耳を澄まさなければ、さまざまな喜びの音にかき消されるものだった。ぼくは小さな萌芽を見つけるように、その音を確認した。しかし、やはりこれもぼくとは別個の生命体があることを認識したに過ぎないのだ。
ぼくらは太陽の威力に疲れて部屋に戻る。冷たいものを飲み、希美はシャワーを浴びた。ぼくとは別の肉体があることをぼくは利己的に喜んでいる。彼女は乾いたタオルで水滴を拭いている。完全になくなることはない。腕の裏や、首の後ろに滴はまだあった。永遠にありつづけることは決してない。ぼくの存在もその水滴と大きな違いはないのかもしれない。反対に滴は別の生命を生み出す可能性もあった。だが、いまはその可能性もまったく感じられないまっ平らな腹部が彼女にはあった。ぼくの凝視に気付いた希美は恥ずかしそうな様子を見せる。その部分を隠すように彼女はわざとぼくの背中に体当たりをした。ぼくは小さな衝撃を受ける。これも別の肉体を有している証明であった。自分自身にぶつかることなどできないのだ。
ぼくは物理の証明をしたいわけでもないが、その後の時間をその実践にあてた。
その前の時間、希美はぶつかったままの姿勢で自分の胸の小ささをはじめて気付いたかのようにその事実に触れた。それは途中で成長をやめた夏休みの朝顔についての考察のようでもあり、土のなかで一生を終えたカブトムシの話でもあるようだった。ぼくは自分とは別の視点があることを楽しんでいた。好きになることは一致とは別物であった。だが、限りなく一致することも望んでいた。ぼくは一致になり得る証明を果たそうとするが、男女の肉体の喜びの先には、別の結果がうまれた。放出と受容の定義の話であり、献身と奉仕の実務の作業の映像だった。ぼくは窓を開ける。まだ波の音と子どもたちのざわめきがあった。音は下から上に駆け上がるようでもあった。ぼくらは三階にいた。水分の蒸発が海の波の上で行われているようだった。希美は寝そべっている。倦怠というものを望んでいた。病気とは明らかに違う自堕落な疲れ。彼女は明日、新たな自分の一年をはじめる。ぼくは彼女の旅行カバンにまぎれた荷物のようなものとして自分を意識する。歯ブラシやくしと同価値なもの。いや、それらも毎日、必要になるのだ。毎日。毎時間。ぼくらは好きという感情や愛をどのように判別し、自分自身との距離をはかっているのだろうか。ぼくは希美の横にすわる。彼女の髪を触る。ぼくと希美の髪の色も同じではない。長さも違う。またもう一度、ぼくは異性をまったく別の惑星の住人として見ることになる。彼女の平らなお腹が見えた。白いシーツからはみでている。おへその形状。ぼくはなぜ同一なものなどと感じようとしたのか。この窓のそとの景色を誰かに見せることなどできるのだろうか。希美のある年齢の最後の一日。それさえ得られればぼくはこの人生に文句も言えないことを知った。いや、知っていた。