27歳-10
旅行の間に撮りためた写真を希美がくれた。一週間ほどでは何も変わらない。ぼくの髪型も希美のそれもほぼ同じだった。日焼けだけがいくらか変化を与えていたが、もともと色白である希美は元通りの色になっていた。写真のなかだけがつかの間の異常なのだ。大まかにいえば一週間では何も変わらない。だが、十一年間では変化がある。ぼくの表情から固みのようなものがとれ、柔和とも呼べなくとも、いくらか近いそれが四角のなかに映る表情から読み取れた。
写真を撮る。それを見ることは過去を懐かしむときに手っ取り早い方法で、手段の一部となった。人間は永続せず、微妙な変化を日々、増し加えていくようであり、時間の経過をまざまざと見せつけられると自分自身のことながら、驚くことになる。本人は眠りで中断されるとはいえ、ずっと継続して生きているので自分に微細な男らしさや、いくらかの成長(峠を越えれば衰えである)が発見されると困惑する。ぼくは、これも未来のある日、どこに閉まったのか忘れない限り、懐かしむことになるのだろうかと、表面上は喜んでいながらも、こころのなかのいくらかではそう否定的な気持ちが働いた。
また反対に夢のようなことをいえば、ある日、息子か娘に対してもこの写真を見せられることも可能なのだという判断も働いた。そこには時間軸があった。明日の生活のよりどころのために計画したり、勤勉になったりする人間の本質があった。本能と呼ぶには重すぎ、執念ではもっと薄気味悪く、チャレンジではいささか軽すぎた。ぼくはその息子か娘をぼくのために産んだ希美をイメージした。髪質は彼女に似ており、気難しさはぼくに酷似している。ぼくもいらないながらも遺伝とDNAの役割を甘んじて相続し、さらには無報酬で受け取ってしまったように。耳や鼻の形も希美に似ている子ども。ぼくは自分に似たものを必要としたくないようだった。なぜか分からないながらも。
「黙って、なに考えてるの?」
ぼくが何度も繰り返し写真を順々に見ているので、希美は疑問を口にしないとおさまらない性分を発揮してそう訊いた。
「時間軸のことをね。もし、仮に子どもができたら、この楽しいときの写真をいちばんに見てもらいたいなって」
「ケンカもしたし、少しやつれもしたけど、このころは幸せだったって」
「それは子どもではなく、孫にでも使う言葉だよ」
「そうだね」
ぼくは交互に見ることも止め、写真の端をそろえて袋にしまった。同じものが少なくとも地上には二枚ある。ネガもあるので、現像をすれば無制限にある。だが、希美は無制限にいない。ここでぼくと話していれば、誰か別の男性といることはできない。ぼくはそれを小さな奇跡だとも思い、中ぐらいの達成だとも思っていた。
「もっと、写真をいっぱい残せるようなことをしよう!」と無邪気に希美は言った。
「どういうこと?」
「やだな、たくさん旅行したり、なにかの記念日を祝ったり」
「そういうの、結構あるの?」ぼくは嫉妬もなくただの事実を知りたかった。
「あると思うよ。え、写真ないの?」
「さあ、どうだろう」ぼくは過去のことを考える。写真に残っているものは絶対に過去なのである。思い出も昨日までの出来事で占められている。ぼくは未来に目を向けようとする。将来のものを作るのに図面を必要とする分野がある。設計図。しかし、青写真という言葉もあった。それでも、未来の多くは頭のなかだけで日に日に監視の目をくぐり抜け作られていくようだった。「希美の小さなころの写真も見てみたいな」
「いいよ、今度、うち来たときに用意しておく」
ぼくはその小さなころの姿をもとに未来につづくなにかに導けそうな気がしていた。漠然としたものが発酵を待っているようにぼくのなかにあった。こうすれば、こうなるという日常の当然の公式があり、ぼくはそれ自体に束縛されている。経験の積み重ねが自由な気持ちを容赦なく奪った。だが、二十代の中盤の男性に自由は分量として多くは必要ではないものであった。生身な現実をどれほど多く蓄積したかが、後々の人生に響くのだろうという予感もあった。そして、この現実の先頭に希美がいた。現実にいちばん遠い容貌でもあったのだが。太陽の強さも、はねつけることができないような薄い肌。瞳もそれに準じて淡い色だった。ぼくは自分の肩の筋肉に触れる。希美の身体の厚みのなさ。これをしっかりと守るのだというたくましさと野蛮な気持ちの両方が自分に芽生えていた。
「次、どこに行きたい?」ぼくは深い意味もなく問いを発した。
「どっか、連れて行ってくれるの?」
「機会とチャンスがあれば」
「ひとごとみたいな口振り」
「そうだ、明日また希美の会社に行くよ」ぼくの会社と希美の会社は取り引きがある。
「また、知らない振りをしなければならない。もう、やだけど、仕方ないか。あのひと、紹介してってこの前いわれたよ」
「誰に?」
「興味があるの?」
「だって、希美以外に会ったこともないじゃん」
「宣言したいな。このひと、わたしのものだから、そのつもりで。わたしとケンカする覚悟があるひとだけ、前にでてきてって」
ぼくは、自分がそんな言葉を言われるとも、その価値もあるものだとも思えなかった。ぼくは袋におさまっている写真に手をのせる。写真だけが能弁な現実であり、ぼく自身は訥弁な釈明もできない被疑者なのだ。その疑いを晴らしてくれるのは、この希美の笑顔だけだった。
旅行の間に撮りためた写真を希美がくれた。一週間ほどでは何も変わらない。ぼくの髪型も希美のそれもほぼ同じだった。日焼けだけがいくらか変化を与えていたが、もともと色白である希美は元通りの色になっていた。写真のなかだけがつかの間の異常なのだ。大まかにいえば一週間では何も変わらない。だが、十一年間では変化がある。ぼくの表情から固みのようなものがとれ、柔和とも呼べなくとも、いくらか近いそれが四角のなかに映る表情から読み取れた。
写真を撮る。それを見ることは過去を懐かしむときに手っ取り早い方法で、手段の一部となった。人間は永続せず、微妙な変化を日々、増し加えていくようであり、時間の経過をまざまざと見せつけられると自分自身のことながら、驚くことになる。本人は眠りで中断されるとはいえ、ずっと継続して生きているので自分に微細な男らしさや、いくらかの成長(峠を越えれば衰えである)が発見されると困惑する。ぼくは、これも未来のある日、どこに閉まったのか忘れない限り、懐かしむことになるのだろうかと、表面上は喜んでいながらも、こころのなかのいくらかではそう否定的な気持ちが働いた。
また反対に夢のようなことをいえば、ある日、息子か娘に対してもこの写真を見せられることも可能なのだという判断も働いた。そこには時間軸があった。明日の生活のよりどころのために計画したり、勤勉になったりする人間の本質があった。本能と呼ぶには重すぎ、執念ではもっと薄気味悪く、チャレンジではいささか軽すぎた。ぼくはその息子か娘をぼくのために産んだ希美をイメージした。髪質は彼女に似ており、気難しさはぼくに酷似している。ぼくもいらないながらも遺伝とDNAの役割を甘んじて相続し、さらには無報酬で受け取ってしまったように。耳や鼻の形も希美に似ている子ども。ぼくは自分に似たものを必要としたくないようだった。なぜか分からないながらも。
「黙って、なに考えてるの?」
ぼくが何度も繰り返し写真を順々に見ているので、希美は疑問を口にしないとおさまらない性分を発揮してそう訊いた。
「時間軸のことをね。もし、仮に子どもができたら、この楽しいときの写真をいちばんに見てもらいたいなって」
「ケンカもしたし、少しやつれもしたけど、このころは幸せだったって」
「それは子どもではなく、孫にでも使う言葉だよ」
「そうだね」
ぼくは交互に見ることも止め、写真の端をそろえて袋にしまった。同じものが少なくとも地上には二枚ある。ネガもあるので、現像をすれば無制限にある。だが、希美は無制限にいない。ここでぼくと話していれば、誰か別の男性といることはできない。ぼくはそれを小さな奇跡だとも思い、中ぐらいの達成だとも思っていた。
「もっと、写真をいっぱい残せるようなことをしよう!」と無邪気に希美は言った。
「どういうこと?」
「やだな、たくさん旅行したり、なにかの記念日を祝ったり」
「そういうの、結構あるの?」ぼくは嫉妬もなくただの事実を知りたかった。
「あると思うよ。え、写真ないの?」
「さあ、どうだろう」ぼくは過去のことを考える。写真に残っているものは絶対に過去なのである。思い出も昨日までの出来事で占められている。ぼくは未来に目を向けようとする。将来のものを作るのに図面を必要とする分野がある。設計図。しかし、青写真という言葉もあった。それでも、未来の多くは頭のなかだけで日に日に監視の目をくぐり抜け作られていくようだった。「希美の小さなころの写真も見てみたいな」
「いいよ、今度、うち来たときに用意しておく」
ぼくはその小さなころの姿をもとに未来につづくなにかに導けそうな気がしていた。漠然としたものが発酵を待っているようにぼくのなかにあった。こうすれば、こうなるという日常の当然の公式があり、ぼくはそれ自体に束縛されている。経験の積み重ねが自由な気持ちを容赦なく奪った。だが、二十代の中盤の男性に自由は分量として多くは必要ではないものであった。生身な現実をどれほど多く蓄積したかが、後々の人生に響くのだろうという予感もあった。そして、この現実の先頭に希美がいた。現実にいちばん遠い容貌でもあったのだが。太陽の強さも、はねつけることができないような薄い肌。瞳もそれに準じて淡い色だった。ぼくは自分の肩の筋肉に触れる。希美の身体の厚みのなさ。これをしっかりと守るのだというたくましさと野蛮な気持ちの両方が自分に芽生えていた。
「次、どこに行きたい?」ぼくは深い意味もなく問いを発した。
「どっか、連れて行ってくれるの?」
「機会とチャンスがあれば」
「ひとごとみたいな口振り」
「そうだ、明日また希美の会社に行くよ」ぼくの会社と希美の会社は取り引きがある。
「また、知らない振りをしなければならない。もう、やだけど、仕方ないか。あのひと、紹介してってこの前いわれたよ」
「誰に?」
「興味があるの?」
「だって、希美以外に会ったこともないじゃん」
「宣言したいな。このひと、わたしのものだから、そのつもりで。わたしとケンカする覚悟があるひとだけ、前にでてきてって」
ぼくは、自分がそんな言葉を言われるとも、その価値もあるものだとも思えなかった。ぼくは袋におさまっている写真に手をのせる。写真だけが能弁な現実であり、ぼく自身は訥弁な釈明もできない被疑者なのだ。その疑いを晴らしてくれるのは、この希美の笑顔だけだった。