爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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11年目の縦軸 16歳-9

2014年01月11日 | 11年目の縦軸
16歳-9

 たまたま姉妹というものを有していなかった自分は、女性がどれほどの数の服を所有しているのか具体的な把握ができていなかった。ぼくがその女性を深く知るようになったのは秋という季節以降だ。段々と身体は布をまとい、肌は外気から隠されていく。暖かなもので身を覆い、彼女も愛らしく見える。

 ひとに対する興味や関心も服装や髪形を加味しての話だ。四六時中、裸に近い姿で暮らしている場所も、まだどこかにはあるのかもしれない。だが、ぼくらはほとんどの時間を何かを着て暮らしている。その姿で誰かのことを記憶にとどめている。

 彼女のクローゼット。タンス。いまは冬物が入っているのだろう。薄い下着もあるのかもしれないがぼくは見ていない。ぼくが所有しているのは彼女の外側と唇ぐらいなのだ。好きというものと欲というものがぼくは一致しない気質なのだろうか。深く疑問として提示しているわけでもないが、ほんのちょっとだけそう思っていた。

 ぼくもなるべくなら薄着で一年を過ごしたかった。だが、いまの季節はそうもいかない。暖かな上着を着て、彼女に会いに行く。その日だけがすべてであり、ぼくはこの日も彼女が春になったら見せるであろう様子も、格好も頭のなかに微塵もなかった。

 夜のひと時、手をつないで町を歩く。ぼくが幼少のころから過ごした町。隅々まで知っている町。兄や弟の友人たちの家までも知っている。もちろん、自分の友だちならば部屋のなかに入ったこともある。そこでゲームをして、音楽も聴いた。マイケル・ジャクソンは奇妙な生き物としてよみがえり、集団でダンスを踊っている。音楽というジャンルには真摯なメッセージもなく、あるいはぼくはまだ気付かず、アパルトヘイトの反対を主張するような音楽も皆無か、少なくともぼくのところまで電波は伝えてくれなかった。しかし、すでにアフリカの飢餓のためにアメリカのお金持ちの音楽家たちは数十人でつくった音楽を映像を通して流していた。ぼくは友人たちの家のブラウン管のテレビで、それらを見ていたのだ。彼女がいて、その子と手をつないでその家の前を歩くことなど数年後に訪れることを希望はしていながらも予感はしていなかった。もしかしたら、彼女はそのぼくの友人のことを好きになる可能性もありえたのだという当然の疑問が湧く。しかし、実質というものは、ぼくのこの歩行の途中の一歩一歩が証明するものであり、覆されることのない一コマの連続でもあった。ぼくは死なないし、よみがえりもしないのだ。もちろん、その代わりにダンスを踊ることもできないのだが。

 ぼくはこの頃の音楽を未来のある日にふと聴き返せば、その情景が戻ってくることも知らないぐらいに若かった。今日の連続の集積が過去という形で積み上げられていくことにも気付かないほどに愚かに若かった。その若さの横には、若い女性がいた。女性は年をとり、母になり、おばあちゃんという役目も課されるであろうことは知っていた。だが、この横にいる彼女がその姿に移行することなども想像できず、なぜならば、ぼくは彼女が桜の下にいる春のころのことも予想できなかったのだ。そうなれば、彼女は薄い服を着るのだろう。ぼくらの関係ももっと深まっているのかもしれない。ひと冬をじっと耐えた草花のように新たな芽を開花させる準備を終えているのかもしれない。だが、ずっと遠い先だ。来世紀になるぐらいの遠い向こう側の塀の外にそれはあるようだった。

 ぼくは彼女の家まで送る。国道から一本離れた道は人通りが少なかった。ぼくは彼女の唇をさがす。将来、自分の歩いている場所や地面がインターネット内の画面で確認できることなど知らないでいる。音楽もそこで売買されることも知らない。レコードという四角い大きなジャケットを眺め、それも借りることさえした。傷というものと無縁でいられない媒体。自分自身も傷というものから受ける影響や、彼女を失った代償の深みなどまったく知らなかったときのことだ。ぼくは彼女の服の数も知らなければ、もっている口紅やアクセサリーのことも知らなかった。そういう些細なものを店員にすすめられるままプレゼントとして購入する前の時期のころだ。ぼくは戻れないころの話をしている。だから、自分で嘘を作りつづけているという疑いも当然のこと生じている。アフリカの飢饉は解消されるのか回答のないままに。

 止めていた自転車にまたがり、ぼくは家までの道をこいでいる。手や耳は寒い。雪などそう降る地域でもない。桜のしたにいる彼女。雪のなかでぼくを待つ彼女。夏に浴衣を着るかもしれない彼女。可能性というものが限界を設けず、自分自身を襲ってきた。だが、もう彼女がなにをしているのかも分からない。姉妹でケンカをはじめているのかもしれない。家には犬がいると言っていたので帰ったついでに頭をひと撫でしたのかもしれない。自分の部屋で犬に向かって相槌も期待しないままにぼくの素晴らしさを話しかけているのかもしれない。ぼくは見慣れた町にいる。赤信号のため止まっている。兄の友人の車らしき存在を見送る。彼らにもぼくの知らないガール・フレンドがいる。ぼくらよりもっと深い関係になっているのかもしれない。しかし、青になり、ぼくはまた自転車を動かす。始動。一度、動いてしまったものを坂道にすすめてしまえばあとは勝手にスピードと勢いを増しつづけるのだという事実をぼくは愛そうとした。だが、その前に衝突を避けられないものがあれば、衝撃として返ってくるのも間違いなのない事実であった。ぼくは新品であるかのようにその事実の封を開ける。実際には、自転車を止め、家のドアを開けただけなのだ。