爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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11年目の縦軸 38歳-8

2014年01月05日 | 11年目の縦軸
38歳-8

 ビルの横の機械で給料日に振り込まれた残高を早速のこと減らしていた。ぼくと原島さんは昼ご飯もいっしょに食べた。夜の予定も入れた。ふたりは同じ食材で作られている。少なくとも今日だけは。かといって身長も違う。体重もだいぶ違う。その差をぼくは求めているのだろう。未知なるものは神秘的なことにつながり、差を埋められることを喜んだ。だが、実際には差など埋まらないことも知っていた。兄弟でも、ましてや双子でも差は歴然とあった。異なった場所で育ち、たまたまここで偶然にあったひとびとに共通性など求められない。似たような仕事をして、ほぼ同じ時間だけ仕事に拘束されているだけなのだ。その拘束も先ほど終わり、ぼくは戻したカードが収まっている財布を後ろのポケットに入れた。

 原島さんはぼくを見つけると手を振った。手足が随分と長いんだな、という印象をぼくの脳はぼく自身に教えようとしていた。理解と判断するものはいっしょのはずなのに、別々のことを行おうとしているようだった。

「待って、わたしもお金を下ろす」と原島さんは言い残して少し混んでいる銀行の機械の前に並んだ。

「デート?」ぼくを見つけた同僚はちょうど原島さんが出てきたのを見とがめ、そう訊いた。ぼくは無言でいる。ただ、少しにやけた顔をしているようにも自分でも思えていた。しかし、答えを求めていた問いかけでもないので直ぐに消えた。ぼくか、そいつのどちらかが、あるいは両方がその質問を月曜の朝まで保たせているかは単純に分からなかった。そして、ぼくと原島さんの関係性がその時刻まで変化を与えているのかも同じように不明だった。かといって急速に変化をさせたい事柄でもない。ゆっくりと発展するかもしれず、その前に原島さんの気持ちもあった。交際している相手もいた。その相手との関係がきっぱりと終わるわけでもないし、反対にずっと永続するものかも分からない。永続させるには努力があって意志の力もあった。その力の効用をほとんど信じていない自分もいた。そんな力があれば、ぼくは希美が待っている家に帰ることもできたのだろう。ぼくは原島さんと希美の似ている点を探し、女性の好みなど大幅に変わるものでもないのかと、意味もなく自分を安心させようとした。

 ぼくらはある店に入った。ぼくは原島さんの手首を見る。ぼくはその手首の太さを計りたい衝動に駆られる。希美の太さ、いや、細さという方が正しい表現のようにも思えるのだが、いっしょぐらいだった。ぼくはセンチという単位で言うことはできない。ぼくの親指と人差し指の丸めた長さと一致していれば、ふたつは同じ長さだった。ぼくは口にして許可を取り、その部分に触れる。原島さんは怪訝な表情をする。ぼくはこれもまた無言で納得する。さらに原島さんは不思議な顔になった。

「誰かと、比べてたでしょう、いまの?」と、自分でも確認するようにそう言った。
「きゃしゃできれいだなと思って・・・」
「答えになっていないよ」原島さんはなぜか照れたようにそう言った。「彼女とかできた?」自分のはにかみをごまかすように付け足した。
「いない。この年になると、最初の一歩の衝動を生かすのがむずかしい」
「打算できない?」

「打算とかじゃないよ。打席に立って、相手の最高のスピード・ボールのことを考えたり、自分の弱点のことを考えたり」ぼくは意味もなく、会話をはぐらかす目的のためだけにどうでもよいことを伝えていた。しかし、核心など言う必要やタイミングなど、いったいどこにあるのだろう。では、核心とは? 好きとか、嫌いになったとか。妊娠したとか、やっぱり生理が来たとか。もっと低レベルのものは? 賢い買い物をしたとか、保証人になったとか。買い物を失敗したので返品したいとか。この関係をつづけたいとか、どこかでわだかまりが消えないとか。

「それ、食べないの?」ぼくの皿にあったアスパラガスを原島さんは指した。「嫌い?」

「嫌いじゃないけど、どうぞ」ぼくは皿を原島さんの方に押した。昼の定食屋でお互いの好みをいくらか知るようになってはいたが、定食屋の定番メニューにはあまり出てこないものもあることをぼくはそこで知った。知らないことはたくさんある。好きな歌とか、絶対に見逃したくないスポーツの放送の有無とか。知ったからといって愛という感情が膨らむかなどもぼくはいまだに分からなかった。

 ぼくのアスパラガスが残っていた皿は片付き、店員が運んでいった。直ぐに別の皿が持ってこられた。原島さんはお代わりのアルコールを頼んだ。いらなくなったものは取り除かれ、必要になるものが持ち込まれる。ここにいる限り、世の中は単純なものだった。ぼくは持って行かれた皿のことなど思い出さない。それはきれいに洗われ、次に頼まれた同じような料理をのせるまで棚に置かれているのだろう。いつか割れたり、はじの部分が欠けてしまうかもしれない。大量生産されているものなら頼めば納品される。簡単なことだ。ぼくのグラスも空き、店員はめざとくぼくらの席に来た。ぼくはゆっくりとメニューを開く。その向こうに原島さんの視線を感じる。夜は若く、という文をぼくはむかしに読んだような気がしていた。ぼくはこれを飲み、次にあれに移行するだろう、と順番を頭のなかで決める。逆であってはならない。すると、ぼくのこの選択も、原島さんを含め正しいようなこころもちになっていた。また、正しくないことも誰も指摘しない。ぼくは飲み物を頼み、店員さんは満足したような口調で復唱した。別のものを頼んだからといって不満足な声音にもならなかっただろう。メニューの向こうに原島さんの目があった。ぼくはその横幅をはかりたい気持ちになった。その物差しをぼくは自分のどこで計るのだろう。具体的なものはなにもなかった。具体的なものは周囲には、あるいはどこにもなかった。