16歳-12
ぼくは、もう学校で学んでいない。それは結果としてゴールにあるのは勉強の有無だけではない。同世代の友人になる可能性のあるひとの枠を無制限に拡げるのを拒むことにつながり、同じグラウンドでスポーツに興じ汗を流す機会を避け、放課後の、若さにありがちな空腹を買い食いをして友といっしょに満たす誘惑を失うことでもあった。かつ、恋愛の対象となる異性のトランプの枚数が増えない、目の前のテーブルに配られないことでもあった。だが、ぼくは補う必要もないほどに充分、得てもいたのだ。彼女がいることによって。その面では。
ぼくは誰かの考えや思想を注入されない立場にいる。教室に制服を着てすわっていないので。あの頃に感じた教師の目をかいくぐった午後の居眠りの幸福もぼくにはもうなかった。指図や美は、ぼくの頭だけが決めることになり、このことで、ぼくは命令されることがこの後、異常にきらいになった。副作用はどこにでもあるのだ。
ぼくは代用品として本を読む。自分から知識を取得しようと意気込んだはじめてのことかもしれない。スポーツをすれば、そこそこに身体は動いた。勉強も真の意味で嫌いになることもできないぐらい、容易に頭に入って溶け込んでいった。その満点も取れないが落第には遠退いている自分自身の学生生活がぼくから反対に努力や、汗だらけの熱心さを奪ってしまっていた。だが、もう受け身ではなにも届いてはくれないのだ。自主的に取捨を決定する。
本に飽きれば、ひとりで映画も見に行った。ぼくの休日は同年代とは違うのだ。暗闇にひとりで座る。外国の生活。ひとりの悩める主人公。世界にはさまざまな文化があり、ぼくはそれを活用という観点を抜きにして全身で浴びるように受け止めていた。容貌が大人っぽかった自分は、補導される心配もなかった。もちろん、サボる学校も自分にはもうなかったのだが。
帰りの電車のなかで本を読む。誰かが、こっそりと人生の真実を教えてくれるような気がした。ページを開くたびに。だが、ぼくはそのきれいごとではない本質を自分のものにするには挫折も傷もなかったように思う。歓迎こそしないが、いつか、ぼくは世の裏側から世界を見るのであれば、多種多様な傷が自分には必要不可欠なのだと漠然と思っていた。
ぼくは自分の町に戻れば、その架空で、空中に浮かぶガラス製の王国は直ぐに消滅した。ぼくは、あそこに住む、ちょっと生意気でやんちゃな十代中盤の青年未満に過ぎなくなる。他人の目はそう判断した。ぼくの成長の過程と経過を知っている友人の母親という目を仮に通せば。一般の整備された道路を走らない、でこぼこだらけの道を見つけた無限の未来を感じているぼくは、新宿や渋谷の映画館のなかだけにあるのかもしれない。遠回りで、きちんとした製造ラインにはいないながらも、ぼくはこの道を愛そうと思っていた。同時に、ぼくが愛さなければ、この道は誰にも愛されないことは証明されているのだった。
ぼくは繭にくるまれている。そこから抜け出すのは自分自身に頼るしかない。世界は敵ではないながらも、味方でもなかった。彼女は繭の外にもいない。同時に中にもいない。彼女自身が繭の一部であるのだろうか? ぼくに女性という世界を見せてくれるのは、彼女であるべきなのか。同級生でもなく、母親でもなく、親戚のおばさんでもないスペシャルな何か。友人の姉妹でもなく、教師でもない女性。ぼくの周囲にいた女性たちは、そうすると異性がもたらしてくれるトキメキをいままでは誰も有していなかったのだ。バトンはなく、彼女が最初の走者だった。ぼくがひとりで住もうとしている架空の王国に彼女の椅子はあるのだろうか。このガラス製の王国はそもそも彼女の目には見えるのだろうか。ぼくは本を閉じ、眠い目をこすり、この地上での覚悟を忘れてしまう。とろけてしまう自分が主人であり、王様となる布団のなかで。
ぼくは自転車を漕いでバイトに行く。雨が降れば片手で傘をさして。晴れならばヒット曲を小さな声で口ずさみながら。その恋の歌の対象となる女性は、彼女になった。短絡的な価値観の頭脳。ぼくは食材を焼いた匂いを衣服につけ、帰り道をまた走って通る。ぼくにはストレスなどない。大人がいうストレスというものが、ぼくには心底、分からなかった。世界は彼女がいることによって輝いており、ぼくは自分が歩むべき、けもの道の入口に立っていた。あとは迷おうが行方不明になろうが進む勇気を失わなければよいだけだ。ぼくは服を着替え、彼女に会いに行く。彼女も自転車をこぐ。病気などまだ一切なかった世界。無知であり、同時に世界の賢さを身に着けてうまれた当初のふたり。彼女は自転車から降りる。小さな身体。所得も学問も、親の仕事も家柄も、どんな基準も含まれない世界。そこに彼女がいて、ぼくも住む資格を得ている。判断となるのは、ぼくのこころが決めた好きというものだけだった。だが、それもぼくが決めたのではない。徐々に芽生え、そして、突然にあらわれた感情。彼女が自転車から颯爽と降り立ったように。ぼくらは自転車を置き、公園のベンチにすわる。缶コーヒーをふたつ買う。彼女はコーヒーが好きなのだろうか。あのときに訊いて置くべきだった。もっと好みを、もっと頻繁に。
ぼくは、もう学校で学んでいない。それは結果としてゴールにあるのは勉強の有無だけではない。同世代の友人になる可能性のあるひとの枠を無制限に拡げるのを拒むことにつながり、同じグラウンドでスポーツに興じ汗を流す機会を避け、放課後の、若さにありがちな空腹を買い食いをして友といっしょに満たす誘惑を失うことでもあった。かつ、恋愛の対象となる異性のトランプの枚数が増えない、目の前のテーブルに配られないことでもあった。だが、ぼくは補う必要もないほどに充分、得てもいたのだ。彼女がいることによって。その面では。
ぼくは誰かの考えや思想を注入されない立場にいる。教室に制服を着てすわっていないので。あの頃に感じた教師の目をかいくぐった午後の居眠りの幸福もぼくにはもうなかった。指図や美は、ぼくの頭だけが決めることになり、このことで、ぼくは命令されることがこの後、異常にきらいになった。副作用はどこにでもあるのだ。
ぼくは代用品として本を読む。自分から知識を取得しようと意気込んだはじめてのことかもしれない。スポーツをすれば、そこそこに身体は動いた。勉強も真の意味で嫌いになることもできないぐらい、容易に頭に入って溶け込んでいった。その満点も取れないが落第には遠退いている自分自身の学生生活がぼくから反対に努力や、汗だらけの熱心さを奪ってしまっていた。だが、もう受け身ではなにも届いてはくれないのだ。自主的に取捨を決定する。
本に飽きれば、ひとりで映画も見に行った。ぼくの休日は同年代とは違うのだ。暗闇にひとりで座る。外国の生活。ひとりの悩める主人公。世界にはさまざまな文化があり、ぼくはそれを活用という観点を抜きにして全身で浴びるように受け止めていた。容貌が大人っぽかった自分は、補導される心配もなかった。もちろん、サボる学校も自分にはもうなかったのだが。
帰りの電車のなかで本を読む。誰かが、こっそりと人生の真実を教えてくれるような気がした。ページを開くたびに。だが、ぼくはそのきれいごとではない本質を自分のものにするには挫折も傷もなかったように思う。歓迎こそしないが、いつか、ぼくは世の裏側から世界を見るのであれば、多種多様な傷が自分には必要不可欠なのだと漠然と思っていた。
ぼくは自分の町に戻れば、その架空で、空中に浮かぶガラス製の王国は直ぐに消滅した。ぼくは、あそこに住む、ちょっと生意気でやんちゃな十代中盤の青年未満に過ぎなくなる。他人の目はそう判断した。ぼくの成長の過程と経過を知っている友人の母親という目を仮に通せば。一般の整備された道路を走らない、でこぼこだらけの道を見つけた無限の未来を感じているぼくは、新宿や渋谷の映画館のなかだけにあるのかもしれない。遠回りで、きちんとした製造ラインにはいないながらも、ぼくはこの道を愛そうと思っていた。同時に、ぼくが愛さなければ、この道は誰にも愛されないことは証明されているのだった。
ぼくは繭にくるまれている。そこから抜け出すのは自分自身に頼るしかない。世界は敵ではないながらも、味方でもなかった。彼女は繭の外にもいない。同時に中にもいない。彼女自身が繭の一部であるのだろうか? ぼくに女性という世界を見せてくれるのは、彼女であるべきなのか。同級生でもなく、母親でもなく、親戚のおばさんでもないスペシャルな何か。友人の姉妹でもなく、教師でもない女性。ぼくの周囲にいた女性たちは、そうすると異性がもたらしてくれるトキメキをいままでは誰も有していなかったのだ。バトンはなく、彼女が最初の走者だった。ぼくがひとりで住もうとしている架空の王国に彼女の椅子はあるのだろうか。このガラス製の王国はそもそも彼女の目には見えるのだろうか。ぼくは本を閉じ、眠い目をこすり、この地上での覚悟を忘れてしまう。とろけてしまう自分が主人であり、王様となる布団のなかで。
ぼくは自転車を漕いでバイトに行く。雨が降れば片手で傘をさして。晴れならばヒット曲を小さな声で口ずさみながら。その恋の歌の対象となる女性は、彼女になった。短絡的な価値観の頭脳。ぼくは食材を焼いた匂いを衣服につけ、帰り道をまた走って通る。ぼくにはストレスなどない。大人がいうストレスというものが、ぼくには心底、分からなかった。世界は彼女がいることによって輝いており、ぼくは自分が歩むべき、けもの道の入口に立っていた。あとは迷おうが行方不明になろうが進む勇気を失わなければよいだけだ。ぼくは服を着替え、彼女に会いに行く。彼女も自転車をこぐ。病気などまだ一切なかった世界。無知であり、同時に世界の賢さを身に着けてうまれた当初のふたり。彼女は自転車から降りる。小さな身体。所得も学問も、親の仕事も家柄も、どんな基準も含まれない世界。そこに彼女がいて、ぼくも住む資格を得ている。判断となるのは、ぼくのこころが決めた好きというものだけだった。だが、それもぼくが決めたのではない。徐々に芽生え、そして、突然にあらわれた感情。彼女が自転車から颯爽と降り立ったように。ぼくらは自転車を置き、公園のベンチにすわる。缶コーヒーをふたつ買う。彼女はコーヒーが好きなのだろうか。あのときに訊いて置くべきだった。もっと好みを、もっと頻繁に。