「わからない映画」の最終回。
『恋の浮島』(82)(1983.4.30.岩波ホール)
最終日の最終回に滑り込みで見た。疲れた!これが映画を見終わった後の正直な一言。監督のパウロ・ローシャは、従来の映画のパターンを排除して、歌舞伎やオペラを念頭に置いてこの映画を作ったらしいので、その道に詳しい人たちが見れば、十分に理解できたのだろうか、という疑問を感じた。
また、主人公のモラエスの故郷への追憶と、日本への強い思いという矛盾した考えを、時折画面に姿を見せる女神(ビーナス)によって表現している、とも取れるのだが、何しろ観念的で、遠目のカメラの長回しのシーンが続くもので、こちらにはストレートに伝わってこない。例えば、鈴木清順の『陽炎座』(81)を見た時にも、同じような感慨を持ったのだが、あの映画も歌舞伎からヒントを得たらしいので、その点ではローシャの意図は反映されていたのかもしれない。
それにしても、この観念的な映画に3時間近く付き合うにはさすがに骨が折れた。チケットを買ってしまった手前、意地だけで見てしまった感も無きにしも非ず。まだまだ修行が足りません。
『ニーチェの馬』(11)(2011.11.18.松竹試写室)
貧しい農家の父娘の生活を、モノクロ画面と長回しのカメラで執拗に描く。“カッタルベーラ”の面目躍如の一作。見始めは後悔したが、段々とペースに慣れてくる自分がいた。たびたび出てくるふかしたイモが、何だかとてもうまそうに見えてくるから不思議だ。
【今の一言】2012年度キネマ旬報ベスト・テン1位って、どうなのだろうか。これも分からない。