田中雄二の「映画の王様」

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『東京裁判』デジタル修復版

2019-07-23 09:16:23 | 映画いろいろ
 小林正樹監督の『東京裁判』がデジタル修復され、8月から公開される。この映画は、米国防総省が記録した膨大なフィルムに、同時代の歴史的な映像を交え、5年の歳月をかけて製作されたもの。
 
 当時、学生アルバイトとして東洋現像所(現イマジカ)で働いていたのだが、食堂で、白衣を着た一人の老女をたびたび見掛けた。その人こそがこの映画のネガ編集を担当した南とめさんだった。この膨大なフィルムを整理した人が自分の目の前にいたのだと思い、いたく感動したことを覚えている。また、フィルムの現像所で働く者の特権として、映画の前売り券がさらに安く買えたので、この映画もその流れで見たのだった。
 
 
『東京裁判』(83)(1983.6.14.新宿グランドオデヲン)

 見る前は、全編4時間余りのドキュメンタリー映画ということを考えると、果たして気力を充実させながら見続けられるのだろうか、という心配があった。ところが、見てみると、映像の持つ力や怖さを改めて思い知らされるようなすごい映画で、最初から最後まで圧倒されっ放しだった。まさしく真実だけが伝え得る迫真力が全編にあふれていたし、俳優ではない実際の人物たちが見せる人間性を感じさせながら、あくまでも客観的に裁判の本質を暴いていくのだ。
 
 今まで自分の中にあった東京裁判のイメージは、同じく戦後ドイツで行われたニュルンベルク裁判同様、単に、国をファシズムへ導いた者たちの罪を裁いただけのもの、だった。ところが、よく考えてみれば、勝戦国が敗戦国を裁くというのもおかしな話で、戦争に勝った方が正義という発想には矛盾がある。

 それは、日本が中国や朝鮮、東南アジアに対して行った侵略行為は許されざるものだったとしても、ではヨーロッパ諸国が行った植民地政策はどうなのか、あるいはアメリカが行った無差別な空襲や原爆投下などは、ファシズム打倒という名の正義の行為だったのか…。そんなことは答えるまでもない。戦争という行為自体に始めから正義などはない。だから、勝戦国が敗戦国を裁くという、この裁判自体に矛盾があるのだ。

 この映画は、その矛盾の核として、米ソの冷戦による利害関係を浮かび上がらせたり、天皇を政治的に利用しようとするアメリカの思惑などを露わにしていく。ここまで暴かれると、もはやこの裁判自体が茶番にしか見えなくなってくる。

 事実、「この裁判を見せしめとして、今後二度と悲劇を繰り返すべからず」と論じたマッカーサーが、朝鮮戦争での原爆使用論がもととなって解任されたり、日本の侵略を裁いたアメリカが、この後、朝鮮やベトナムで取った行動が、この裁判の曖昧さや矛盾を象徴しているとも言えるのではないか。しかしアメリカは、よくもこんな映像を大量に残していたものだと改めて思った。
 
All About おすすめ映画『東京裁判』
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