竹内マリアの人生の扉って歌を、初めて聴きました。人生の応援歌だとか、感謝だとか
変に悟りきった歌なんて嫌いです。この歌もその類なんだろうと思っていたんですけど、少しニュアンスが違ってました。大きく分ければ、そうなんだろうけど、いままでのとは
ちょっと違う。竹内マリアが、50歳代になって、50歳代の目で50の気持を、諭すでもなく、えらぶらズ、素直に歌っていると言うか、それでもって、まだ、可能性が残っているんだよとつぶやいているようで等身大というのが、なかなかよかった。人生って感性だね。いい人生を歩いている人ってどんなに、忙しくても、自分を見失わず、自分の個性に合った人生を歩んで、人の気持を豊にしてくれる。自分が、していいことと、してはいけないことの区別が、きちんと出来ていて、清潔に暮らしている人のイメージがする。竹内マリアさんにもそんなイメージがオーバーラップして見えました。心を亡くして何が人生かと思いました。人生の扉は、心の扉でもあり、いつでもだれでもノックすることはできるのですよね。そんな、柔らかい感性をいつまでも持っていたいと思ったフェンネル氏でした。
変に悟りきった歌なんて嫌いです。この歌もその類なんだろうと思っていたんですけど、少しニュアンスが違ってました。大きく分ければ、そうなんだろうけど、いままでのとは
ちょっと違う。竹内マリアが、50歳代になって、50歳代の目で50の気持を、諭すでもなく、えらぶらズ、素直に歌っていると言うか、それでもって、まだ、可能性が残っているんだよとつぶやいているようで等身大というのが、なかなかよかった。人生って感性だね。いい人生を歩いている人ってどんなに、忙しくても、自分を見失わず、自分の個性に合った人生を歩んで、人の気持を豊にしてくれる。自分が、していいことと、してはいけないことの区別が、きちんと出来ていて、清潔に暮らしている人のイメージがする。竹内マリアさんにもそんなイメージがオーバーラップして見えました。心を亡くして何が人生かと思いました。人生の扉は、心の扉でもあり、いつでもだれでもノックすることはできるのですよね。そんな、柔らかい感性をいつまでも持っていたいと思ったフェンネル氏でした。