禿頭火という友人がいる。糖尿病で何とかで体の具合は良くないとのことだが山を登って詩を作り俳句を読む。彼の発表の場は新聞の文芸欄。たいてい詩か川柳の部門で毎回入選特選を繰り返している。彼の安否確認と言うことで2週間に1回出る文芸欄を毎回見ていると彼の死生観の在る詩に感心させられたり驚いたりと毎回楽しい。その彼が川柳部門で久しぶりに特選をとった。川柳というよりも俳諧の気品すらただようのだが・・・・。
瘤のないラクダが街を闊歩する
禿頭火
「大切な瘤がなくなっているのにも気付かず闊歩するラクダ。危機に無頓着、そのくせ土壇場になると他人のせいにする。街中に溢れる瘤のないラクダは行くヘ解らぬ世相への痛烈な皮肉であり現代人そのものである。」と選者の弁。
考えさせられる一句だと思いませんか?
瘤のないラクダが街を闊歩する
禿頭火
「大切な瘤がなくなっているのにも気付かず闊歩するラクダ。危機に無頓着、そのくせ土壇場になると他人のせいにする。街中に溢れる瘤のないラクダは行くヘ解らぬ世相への痛烈な皮肉であり現代人そのものである。」と選者の弁。
考えさせられる一句だと思いませんか?