ピカソの死後50年、ピカソが10代を過ごした街は、彼の人生と作品に重要な洞察を与えてくれますパブロ・ルイス・ピカソはマラガで生まれ、人生のほとんどをフランスで過ごしましたが、20世紀で最も有名な芸術家としての彼の進化が始まったのは間違いなくバルセロナでした。ピカソが13歳の1895年に一家はバルセロナに移り住み、1904年にパリに向かうまでの9年間、ピカソはバルセロナに住み、学びました。ピカソが市内で最初に住んだのは、港の近くの大きなブロックにあるポルクソス・デン・シフレ(Porxos d'en Xifré)で、レストラン「7Portes」も併設されています。この建物は、アーティストが13歳から通った美術学校の本拠地であった古い証券取引所の建物であるラ・リョハの向かいにあります。ラ・リョハの目と鼻の先にある場所を描いた初期の作品はいくつかあり、その中にはモル・デル・ペスカドール、サンタ・マリア・デル・マール大聖堂、バルセロネータ・ビーチ、そして1896年に家族が引っ越したカレール・デ・ラ・メルセの家があります。ピカソの最初のアトリエは現在、カレール・デ・ラ・プラタのレストラン兼ホテルであり、近くにはアヴィニョ通りCarrer d'Avinyóがあり、ピカソの初期のキュビスム作品「アヴィニョンの娘たち」のインスピレーションとなった売春宿(44番地)があった。‥‥・ピカソの基礎を作った町というのかな。バルセロナだったんだね。ピカソはあまりにも有名だから知ったかぶりで、その実、あんまり知らなかったなぁ。フランスだ、スペインだとの論争もあるだろうけど本人がそこんところは曖昧にしてるから、それでいいんだろう。
おそらくピカソの最も有名なたまり場は、
エレガントなバー、アルス・クアトル・ガッツでしょう。
なるほどとその建物の写真を見る
カタルーニャ語のquatre gats(4匹の猫)という表現は、
「ほとんど誰もいない」という意味です。
というキャプションを読む
ただそれだけで
ピカソの横に座って飲んでたりの
錯覚が胸に浮かぶ
あの時代っていうのかな
連れていってくれるよなぁ
時空の彼方へ