チャーリー・カウフマンの人形アニメーション「アノマリサ」では、誰もが同じように見え、同じことを話します。それはまるで、カウフマンが脚本を手がけた初期の映画『ビーイング・ジョン・マルコヴィッチ』で、マルコヴィッチがテーブルからレストランを眺め、ウェイター、食事客、そして通りすがりの犬でさえも、自分の顔と声に気づくシーンが、グローバルになったかのようだ。ある時、語り手のマイケル・ストーンという動機付けのスピーカーの口が顔から手に落ち、ひとりでにしゃべりながら去っていく。グルの改良する神道は、人工的に知能が高く、予測可能で、効果的に超人的なので、それを維持するために体を温める必要も魂も必要としない。しかし、それは最悪の事態ではありません。それぞれの人形は、ライフコーチや他のプロのファシストによって、彼らの個性を表現するために絶え間なく命じられています。しかし、それらはすべて同じであり、同じ物語のコードにアクセスできるので、どうすればよいのでしょうか?これが現代人類の実存的悲喜劇である。カウフマンの操り人形地獄は、韓国系ドイツ人の哲学者ハン・ビョンチョルにとっておとぎ話ではなく、情報が飽和し、電話に夢中になり、ChatGPTが可能な時代の真実を捉えています。・・・・・ここからハンの持論が展開していくのだがついていけないから、分かったつもりで話を聞いていた。面白そうだが like messages(いいね)ってできるのかなぁ。
まぁもうジイサンに
難しい話は無理だろうて
と思う反面
難しい話が好きだったという
昔があって
ついつい若者の話しを
小耳にはさんだりするものだから
ChatGPTとか artificially intelligentとか
訳の分からない言葉は置いといて
随分オイラ達の実存とは
かけ離れてるんだなぁと
感心しきり
それより腹減った
ナンカ食いに行こうといった
実存がずっといいと思うけどなぁ