結構な雨でした。まるで嵐のような風雨でした。このところお天気がおかしいですね。何かの前兆でなければいいのですが。予期せぬ天気とか昔は言ってましたけどいつの間にか「想定外」だとか日本人らしからぬ表現にとってかわられて社会全体から潤滑油が奪われていくような気がします。この「予期せぬ出来事」が南アフリカのスポーツ大会にいたシュワちゃんに起こった。シュワちゃんがファンを目の前にして立って応対してた時にシュワちゃんの背中めがけて黒人の若者がいきなりのトビ蹴り。無防備なシュワちゃん、アワやと思ったら「さすがシュワちゃん」だね。体幹がしっかりしてるからか驚いただけ。ビクともしない。黒人の若者は思いっきり飛んできたんだけどね。あとでシュワちゃんのツイッター見たら「群衆に押されたかと思った」だって。「さすがターミネーター」とsnsでは評判だ。あの黒人の若者は警備員かボディガードに取り押さえられてその後どうなったんでしょう?新聞の表記では「精神異常者」みたいに書いてあったが。「有名になりたかった」若者なんでしょうかね。時々いるんですよねこういうトチ狂ったヤカラが。でも、ボディガードはクビだね。実際アタックされてるんだから。これがナイフなら大怪我、ピストルなら大惨事だからね。まぁ、痛しかゆしのところもあるけど「狙われたら防げない」ということか。だったら無差別テロは意味がないね。これは大義がないまやかしだということがこんなことから教えてくれる。同時にそんなことされても体幹がしっかりしていれば揺るがない自己というのも見せてくれた。何かにつけて「さすがだねシュワちゃん」
今だったかなカンヌでコンパドールに参加はしてないんだけどクロードルルーシュの53年後の男と女というかジャンリュイトランティニアンとアヌークエーメで「les plus bells annees d'une vie」(人生で最も美しい年)という映画が公開されて話題になってるって。日本でも見られるのかな?久しぶりに見たいなと思った映画だ。アヌークエーメもヘンにシワ取りしてないナチュラルメークでトランティニアンも素敵なジジイで登場するんだ。フランシスレイの音楽がまたいいんだよね。ところどころに昔の男と女のシーンが挟まって泣かせるね。la mort c'est l'mpot de la vie(死は人生の税金さ)だなんてルルーシュの美学が詰まっている。あのラバラバラのなつかしい曲とともに帰って来た「男と女の53年後」ニクイネ。洒落てる。今度の曲はね詳しくは知らないけどc'est toi toujoursって歌っている。これ聴いただけだから正確じゃないかもしれないけど。これがまたいいんだ。シャンソン風でさ。今の歌にないニュアンスでね。ああ、俺たちの時代って感じ。いいもの作って来たんだな俺たちはと思わずエヘンと言いたくなる。53年前って言えば17~18か19くらいだからあの時代に見たもの聞いたものなんて忘れないものなんだね。この記事をフランスの新聞で見た時なんか「俺の血が騒ぐ」ってにかっつ映画のタイトルのように高揚した気分になった。足はいたい腰は痛いというのに手にはコルトだぜ。ッテな気分。早く見られないかなと待ちわびる。
baw looのホットサンドメーカーが出てきた。日本初のホットサンドメーカーでブラジルのバウルー村からやってきた由緒正しいホットサンドメーカーだ。いつだったかなアウトドアでコロッケでも挟んで焼いたらということでキャンプ道具にいれて持ち歩いてたものだ。それが事務所の引っ越しやなんかで行方知れずとなっていたんだが畑の物置に放り込まれていたのを見つけて早速ホットサンドを作ってみようということになった。何年も使ってないからまずはシーズニングからちょっと油を馴染ませて磨く。(・_・D フムフムこれはダブルかいなと仕様を確認。あちゃー食パンがなかった。Paulのイチジクパンがあったからそれを薄く切ってベースにする。トマト、やき卵、焼いた肉を乗せてパンで蓋をして焼く。便利なもんだねとか何とか言いながらひっくり返して2分。そろそろいいかな。簡単、ハイ出来上がり。焼けてます。いい感じ。食パンならもっとうまくいくかな。これなら冷蔵庫の残り物でできるね。今度はカレーサンド作ってみよう。まさにアウトドアでいいね。ダッチオーブンはちょっと重いからかわりにこれで肉なんか焼こうかな。ホットサンドの基本はね大林先生によるとパンを皿だと思うことなんだって。だから何を乗せてもいいんだって。下のパンは皿、上のパンは蓋。ホットサンドメーカー、これはちょこちょこ活躍しそうだな。簡単で美味しいからね。
今日はヴィレッジが始まるけどあいにくと天気が悪い。降水確率80%だって。まだ雨は降ってないけどね。行くのをためらっている。毎年楽しみにはしているのだが。こだわりを持った職人たちのバザールというか一つのライフスタイルの見本市というか手作りが好きなスローライフの人たちが集まってくるマーケットだね。どこにこんだけ若者がいるんだろうというくらいジジババより若い人が多いのも珍しい。カンカン帽をかぶってフォークロアな衣装に身を包んだおねえさんが闊歩するんだ。この独特な雰囲気が好きでね毎年写真を撮って絵を描かせてもらっている。でも天気がこれじゃぁね。明日にしようかなとまだ降らない空を見上げつつ逡巡する。田舎の小さな楽しみなんだから邪魔しないでもらいたいなと空に向かってブツブツ。
アランドロンにファビアンという息子がいるのは知ってたけどその姉のアヌーシュカがいることは知らなかった。アランドロンはアランドロンだから何人子供がいたって知ったこっちゃないと言われればそれまでだがアヌーシュカは28歳だというじゃない。孫かと思ったら娘だって。ジョニーアリディんとこが遺産を巡って争ってるからそれを見てアランが手を打った。後継人はアニューシュカだと。まぁオレが死んだあとケンカしないでくれよな。というようなことが今朝のフランスの新聞に出てた。やはり人は死ぬ準備に入ったらあれこれ思うんだろうな。自分は勝手に生きてきたくせにさ。自分の死後は管理できないんだからと思うけどそこが人間の欲なんだろうね。芭蕉のようにすべてを捨て去って旅に生きるのは難しいんだ。「月日は百代の過客にして行き交う人もまた旅人なり」か。でも芭蕉ってよっぽど旅が好きだったんだね。「旅に病んで夢は枯野を駆け巡る」というのが最後の句でしょう。死ぬ間際まで旅を夢見てるなんて遺産の管理を娘に託す話よりよっぽどスケールがデカいと思うんだけど。やっぱり日本人の方がサムライナンだね。と言うとアランドロンがそんなことアヌーシュカというのでしょうかね。
あのモネの積み藁の一連の作品の一つがニューヨークのサザビーのオークションで1億1000万ドルで落札だってね。積み藁の一連の作品は多くが美術館の所有なんだけどまだ持ってる奴がいたんだね。印象派で1億ドルを超えたのは初めてだってね。印象派って人気があるんだね。フランスのノルマンジーの入り口にあるジヴェルニーのモネの家に観光に行くのはフランス人より外国人の方が多いってね。その中でも中国人、日本人、アメリカ人が多いって言うからニューヨークで人気があるのもうなづける。誰が買ったかは分からないが多分今時なら中国人かな。印象派って絵そのものはあまり上手くないと思ってるんだけどなぁ。一番は市場というか価値が安定してるんだって。絵も経済の一部だからね。安定してると投資の対象にもなりやすいってことだ。鑑賞ばかりの人だけでは絵の価値は決まらないからね。高く絵が売れるということはいいことだと思う。そしたらもっともっと凄い絵描きが出てこられるというもんさ。もっと凄いもの見たいじゃないか。でも絵画は絶滅危惧種だからね。環境を整えてあげないと経済も含めて。投機的価値だけでなく芸術的価値というのを再発見しなくてはいつまでも過去の絵に頼るわけにはいかないからね。オレなんかいまだに絵が上手く描けるコツなんてネットで見てたらいけないんだよね。そんな一足飛びのコツなんてないんだから。高知のモネの庭にバラが満開ってニュースでやってた。なんでマルモッタンっていうのか分からないが高知のモネの庭はジヴェルニーのモネの庭をまねて作ったんじゃないかな?まぁ、バラが咲いたとなると人も多いだろうね。ニューヨークも高知もモネのおかげだね。絵描きは世界を救うってか。
今日は自動車税を払ってスケッチブックを買いに行こう。自動車税を払うとき決まって思うことは自動車って維持費がかかりすぎるってことだ、車庫題、ガソリン代、自動車税、保険料、車検代とざっと見ても絶対必要経費がこのくらい掛かるんだ。バカみたいだねと思う。でも高知は車がないと生活できない田舎だからなとブツブツ。そしたら税金とか保険料とか車検代なんかを安くするべきだと思うけどな。誰か車に斬り込む政治家はいないものか。いないだろうな運転手付きの車に乗ってるんだもの。貧乏人は何でもとられるから貧乏なんだよね。とこの国の理不尽さを嘆く。嘆くと言えばこの度維新の会を除籍された丸山議員、酒乱の気があるのかな、確かに議員の質はないけど一人の若者としたら貧乏人の発想で「いいたこと言ってくれたな」と思う。こういうヤカラは酒が冷めたらスゴスゴとうなだれて帰ってくるんだから相手にする方が間違っているけどまぁ、若者特有の表現力のなさでしょうかね。それともゲームのやり過ぎかな。まぁ、どっちにしても外交上ロシアに利したことには間違いない。口が裂けても言ってはいけないことって政治家にはあるんだよね。若者が居酒屋で談義してるんじゃないからさ。まぁ、わかったら、さっさと議員ナンカ止めてさ居酒屋談義で話に花を咲かせたらいいよ。まだ辞めないって本人は頑張ってるみたいだけど政治生命は断たれたんだからしがみつくのはみっともないよ。と思うけどね。
今日から横浜の大倉山で「大倉山スケッチ・高知(倫の会)」の合同水彩画展が始まりました。高知の展覧会で出品してたのとは別の絵でおいらも参加しています。大都会の横浜ですから東京からとかどっと人が見に来るんじゃないかと勝手に思ってましたけど都会は美術館やアートギャラリーの数が多いですから興味は分散して高知で思うほど観客数は伸びないとのこと。それでも大倉山記念館って会場は雰囲気がいいですからね。まだ見たこともない横浜の会員の洒落た絵が並ぶ中に緑と茶色の高知の絵がどことなく異常だという声と土着性があっていいという声とが聞かれるそうです。風景画が主ですから高知の風景と言えば緑と土色と空色だけですものね。桜の季節ならこれにピンクが加わりますけどね。土着性と言われればそうかな。別に異常ではないんだけど。とブツブツ。でも発表の場があるというのは有難いものでそれも地元と都会とでの展覧会となると都会と田舎に同時に住んでるみたいで異空間を彷徨う旅人のような気分だね。僕は外国でもやってみたいという気はあるんだけどなかなかオファーが来ない。オバーは来るけどね。ジジババ絵画展、夢はFly us to the moonなんだけど。その前に天国へ連れていかれるかな。そんなジジババが命を削って描いた水彩画展覧会。みんな気が向いたら来て見て下さいね。たしか20日まで開催してるはずだから。
なんだか久しぶりに休日気分を味わいたくてdogsidesを履く。毎日が休日なんだけど休日気分じゃないからね。と履いてみると普段がカジュアルなだけにこっちの方がかしこまったようでヘンな気分。やっぱりファッションはキチンとするのが原則だね。緊張と弛緩、それが大事だ。体もそうなんだってね。ある程度の緊張と弛緩が健康にいいんだってね。何でもバランスなんだねぇ。毎日だらけているからちょっと緊張を入れようと今日は不燃物のゴミ出しの日だったから壊れたオーブンレンジを抱えて800m先の集積所まで持って行った。確かに筋肉は緊張し荷物を下ろしたときの弛緩は気持ちよかったけどガラスの腰が悲鳴を上げている。上手いこといかんもんだね。日本ではまだかも知れないけどタスマニアのブーツが人気なんだってね。農場で履くようなサイドゴアのブーツなんだけどオーストラリアのごく一部で履かれていたんだけどヒョンナことからイスラエルで大人気になって今フランスに上陸だって。パリジャンが履くと日本でもすぐだね。サイドゴアのブーツは好きだから楽しみだな。あれ結構着こなし難しいんだよ。体幹がしっかりしてるというのが前提だから押されても倒れない男の靴なんだからね。さぁ、弁当詰めて野良仕事に行ってくるか。
母の日だそうで。もう母はいませんけど。いつも懐かしく思ってます。といってもボケてからの印象が強烈だったものですからほとんどボケのときのことしか思い出せないのですが。いまだに笑わせてもらってます。あんまり介護で困ったことや大変だったことは思い出せません。その時は困り果てていたんですけどねそんなことすっかり忘れて面白かったことだけ思い出します。ボケているのに喜んでくれたことやちょっとしたチャーミングな言い方や。生きているだけで幸せだったことや何かと話題が尽きません。それでも時たま涙が出ます。母ってそういう存在だったのでしょうかね。医者の鼻の穴に指を突っ込むようなボケた母親でしたけどね。今日は母の為にカーネーションを描きます。