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みちしるべの伝説

音楽と希望は刑務所でも奪えない。

腰を落とすことについて

2006年08月09日 | ピアノ的雑感
メンデルスゾーンのピアノ協奏曲1番(オケパート)に苦労している。長くて、なかなか覚えられない。すらすら弾けるようにならない。でも、覚えにくいのにも、一つの法則性があることに気がついた。

それは、スタッカートが続く部分は覚えにくいということ。

スタッカートを弾く時は、手首を使って、わりと手が不安定な状態で弾いているのだけど、これは、スポーツでいう、腰が入っていない状態とそっくりだなぁ。自分の経験上、野球でも、卓球でも、相撲でも、あらゆるスポーツの基本は、腰を落とすこと。(日常生活でも、腰を落とさないと腰痛になっちゃう)ピアノもね、腰は落とせないけど、重心を低くして、安定して、しっかり打鍵しないとなぁと思った。

記憶力の最大の妨げはストレスという話はよく耳にするけれど、筋肉も安心した状態にすることで、記憶力が高まるんだろうな。安定した状態で弾くことで、動きもしっかり覚えることができる。

無理のない指使いで安定して弾けるというのは、ミスタッチを少なくする目的ばかりじゃなくて、早く覚えるという意味でも重要なんだろうな。

いろんな事象に共通する法則に気づくのは楽しいこと。

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14日目

2006年07月30日 | ピアノ的雑感
今日で14日間連続出勤。一週間の締めくくりの日曜日は、健闘むなしく、終電。
帰りの電車の中で、不思議なことに、しんどさを通り越して、可笑しさがこみあげてくる。
このひどいプロジェクトを一緒にやっている同僚と、ボロボロの状況を笑いあう。(いい戦友に恵まれたおかげで、なんとかやってゆける。ありがたいことだ。)

この突然の笑いが襲ってきた後、モーツァルトの幻想曲ニ短調を思い出した。
悲痛な短調が、おしまいで一転、明朗な長調に変わって、一体なんなんだ???と、わけが分からないあの曲です。
見事なまでにひどい状況、無残な状況って、可笑しいということ。恐らくはモーツァルトにも、同じようなことがあったんだろうな。この曲のことが、ようやく少し分かったかな?

休日が無いことでの発見。その1
・普通の勤め人が日曜日の6時頃に襲われる「休日が終わる」ブルー症候群と完全に無縁でいられること。
・休みがなくても、それなりに平気で働いてゆけることがわかったこと。人間の適応力ってすごい。

夕暮れ時、おやつで食べたアイスクリームが実に美味だった。
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スーパーピアノレッスン~構成~東京奇譚集

2005年11月08日 | ピアノ的雑感
NHK教育のスーパーピアノレッスンはショパン「幻想曲」。
この曲の冒頭部は「雪の降る町よ」と、そっくりだよなと、たわいないことも感じつつ、肝心なのは「構成」なんだと思った。「構成」。聴き手に、説得力を持って迫るには「構成」。

全体の中で大きく、まず起承転結のような流れがあること。
その上で、ブレークダウンする(部分、部分へ目を向ける)こと。
例えば、「起」の部分を構成する個々のフレーズは、より明確に「起」を表現すべく、組み立てられること。(今回のレッスンの例だと、似たような旋律が3つ続く時に、「緊張感」→「やさしく押さええて」→「盛り上げて」)

上級者の方には、当たり前すぎることが、す~っと頭に入ってきたかんじ。

でも、なにもピアノに限った話しではないのだ。
たとえばビジネス。ビジネスが成功するためには、まず全社的な「戦略」があって、その戦略に沿って、個々の部署では「戦術」を組み立ててゆく。いくら「戦術」に長けていても、「戦略」が間違っていたら、結果の業績が覚束ないのは、ピアノにもあてはまる。
部分、部分(=戦術)は、上手く弾けていても、全体の構成(=戦略)がなってなかったら、いい演奏にはならないんだろうな。

などと考え出したは、たまたま今、読んでいる村上春樹「東京奇譚集」で、バランス感(例えば、小説の構成、音楽の構成etc.)に、こだわりを持つ女性の話が出てきてたから。この話の女性は天秤座。そして自分も天秤座。実はバランス感(構成)には、うるさい素質はあるのかもしれん、と思ってみたりもする。

ああだ、こうだと、書き連ねてしまったけれど、とにかく、「一事が万事」的に、いろんな物事の繋がり、共通項を知るのは、好きなんだなぁ。
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ピアノの先生と音符の仮説

2005年08月31日 | ピアノ的雑感
昼休み、後輩とランチをしながら、趣味の話から、めずらしくピアノの話となる。
彼の彼女がピアノの先生なのだそうだ。
それで、その彼が、ぼそっと「ピアノの先生って、きれいな人が多いですよね」。
むむむっ。これは、昼間から、のろけ話であるか・・・。と半分聞き流していたのだけど、
帰りの電車で、この話を思い出して、確かに当てはまっていることに気づく。

きれいかどうかは人それぞれとして、ピアノの先生(and ピアノの先生級にピアノが上手な人)には共通する独特の雰囲気がある。これはYES。(あくまで一般的な傾向として)

特徴的なのは、やっぱり目だろうか?クリックリッとしてて、知的でチャーミング。独特の光を発してる先生が多い。

恐らくは、長い年月、毎日何時間もピアノに向かって、きれいなピアノの調べに身を置いてきたことが影響しているのだろう・・・。

しかし、それだけでは、つまらないので、大胆な仮説1。

仮説1)来る日も来る日も、楽譜の丸い音符を見ているから、目がピアノの先生的な独特の丸っこい形になる。すなわち、ピアノの先生の目と音符の丸は相似である。

ん~。多分、却下だな・・・。探偵ナイトスクープに調査依頼を出すか?
人間も動物も好きなものに似る本能があるのだけど・・・。
(ペットと飼い主は似るし、長年、連れ添った夫婦だってそうだ。)
(仲が悪いと似ないわけで、ある意味、怖い・・・)

音符が丸ではなく、四角形だったら、ピアノ教室の雰囲気は、ちょっと角張ったものになっていたかも?と、そんなどうでもいいことを考えられることに感謝しつつ、8月もおわり。
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引き返すのは難しい

2005年07月28日 | ピアノ的雑感
相変わらず半音階練習をやっている。
半音階のなんだか不穏な響きで、鍵盤を行ったり来たり。けっこう食傷気味。

もう1ヶ月もやっていて、多少はマシになってきている?感じだけど、相変わらずターンの失敗率が高い。
上昇から下降に運動の方向が変わるところ、引き返すところが、弱点なのだ。

ミスるたびに、駄目だな~と、気落ちしながら、あることに気付いた。

山登りで、引き返すのが難しいことに。
天候が悪かったり、体調が良くなかったり、いろいろ引き返すべき材料があっても、
引き返す決断をするのは難しいのです。
ピアノも登山も同じであるか・・・。

思えば、日本が戦争に突き進んだのも、引き返すのが難しいからからなのだ。
見事に、運動量保存の法則は不滅だなぁと思う。

もっと言えば、人が年をとって頑固になるのも
若い頃のちょっとした癖がとても目立つ癖になるのも、
生活習慣病も・・・。
皆、根っこは同じかな?

引き返すこと、改めること、大切だよな、と思いつつ、あれまぁ!また失敗。
そんな他ごとを考えていては、上達しないよなぁ・・・。
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下から上を見ると

2005年07月19日 | ピアノ的雑感
ピアノの上級者から「この曲なら弾けますよ~」と言われることがある。
でも、実際のところは、どうなんだろう?と思う。

胸に手をあてて思い出してみると、自分の場合も、仕事で後輩に「大丈夫!出来る、出来る!」と同じようなことを言っているんですね。
でも、言われた後輩達は、結構、疑心暗鬼で、なかなか信じられないし、
大丈夫と請合った自分も、まごまごしてる後輩を見て、なんで、そんなことが出来ないんだ?と内心ハラハラしてたりする。
自分も新人の頃は、先輩たちの仕事振りを見ては、あんな風にやれるのか?と随分、不安を抱えていたのを忘れて・・・。

実際、技が会得できてしまうと、その技を身に付けるための膨大な試行錯誤って、忘れがち。
ちょっとしたコツとか、見方とか、バランス配分とか、分かってしまえば大したことの無い事でも、
掴むのに、体得するのには、以外とたいへんなエネルギーが要ったりする。
(人間、嫌なことは忘れるように出来てるからな・・・)

山登りでも同じ。頂上から見下ろすのと、ゼイゼイ、ハアハア言いながら頂上を見上げると、同じ標高差でも、実感は全然違う。
(下から見ると、まだあんなに!って思える)

その辺、よく頭に思い浮かべないと、リーダー失格ですな・・・。
(もちろん、勢いも大切だけど・・・)

と言うことで、ピアノと仕事と山の共通点でした。(おわり)
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