みちしるべの伝説

音楽と希望は刑務所でも奪えない。

百人一首と舟歌と中原中也と

2008年09月06日 | ピアノ的雑感
少し前の日経(8/25の夕刊)に、百人一首とチャイコフスキーのピアノ曲と中原中也についての記事があり、興味深かった。

ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ
(紀友則)

この歌は、とても好きな歌。自分も案の定
「のどかな春の陽射しの中、静かに、まるで無の悟りの境地で、桜が散ってゆく・・・。」
と思っていたのだけど、記事によれば、この「しず、こころなく」=「静寂、無の境地」の解釈は間違いであるとのこと。
「しず、こころなく」は正しくは、「しず心」が「ない」=「落ち着かない様子」なんですね。全く逆の意味!

この記事の作者の文芸評論家氏(秋山駿さん)も間違えていたと書かれており、よくある間違った解釈だったんだなあと思う。
で、興味深いことに、記事によれば、あの中原中也も間違えていた、だろうとのこと。
評論家氏は、中原中也がこの一首が好きで、チャイコフスキー四季の舟歌に合わせて歌っていたことから、そう推理されたとのことだったが・・・。

でも、果たして、どうなんだろう?
中原中也は、どんなふうに舟歌を聴いていたんだろう?

チャイコフスキーの舟歌はとてもメランコリーな曲。早めのテンポで弾けば、桜の花が、落ち着かなく散ってゆく様子、不安感、悲しみを見ることもできるし、ゆっくりのテンポで弾けば、「静寂、無の境地」に近い悲しみに感じることもできそう。
中原中也は、必ずしも、間違った解釈をしてたわけではなさそう・・・。

ちなみに、自分がこの一首のイメージに近いピアノの曲をあげるとするとドビュッシー「月の光」かな。
考えようによっては、正しい解釈も、間違った解釈も、両方を包含してる。
あの、静やかなテーマの部分=誤解釈。中間部のさざなみの部分=正しい解釈、といった感じに。素晴らしい!(勝手に自画自賛ですみません)

百人一首のそれぞれに、イメージの合うピアノの曲をあてはめてみる、とか、どうでしょう?
月の光も舟歌も、やっぱり弾きたいな!

ちなみに舟歌はこのあたりで聴けます。6月ですね。

(写真)ハクサンコザクラ@白馬大池付近
一応、サクラということで・・・。
メルヘンの世界から出てきたような、デフォルメされたような花びら。
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焼き物とピアノの共通項

2008年08月23日 | ピアノ的雑感
縮むのだ。焼き物もピアノも。
焼き物は、素地を窯で焼いて水分が抜けて縮む。
ピアノは、練習し始めのうちは、曲はゆっくりで、もわもわとしているけど、練習するうちに、素早く弾けるようになる。
一音、一音、バラバラに捉えている音が、だんだん連結して、まとまりになって、縮んでゆく。
焼き物で、水分が抜けるのと同じように、「弾けない何か、記憶?」が抜けて、弾けるようになってゆく感じ。
焼き上がりを楽しみにして窯で焼くように、仕上がりを楽しみにして、日々練習してる。

そういう意味では、練習し始めの頃(=素地)、丁寧に譜読みしておくことは、仕上がり(=焼き上がり)を左右するから、もっと、しっかりやらないといけないな。

初見でバリバリ弾ける人には、この感覚は理解してもらえないだろうけど、自分のように、不器用で初見は全然駄目で、練習する中で、劇的に弾けるように変貌してゆくタイプの方には、理解してもらえるかな・・・。

(写真)白馬岳にて、名前分からず・・・。
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色と音の不思議

2008年06月04日 | ピアノ的雑感
ニュースを見ていたら、「色と音の不思議」と題したレポートだった。
いろんな色の部屋で、同じ音楽を聴かせて、どの色の部屋が一番、音楽がきれいに聞こえるか?という実験。

結果は・・・。

50%弱が「青」の部屋。次点は「白」の部屋。最下位は「赤」の部屋。
(動態視力に自信がないので、正確なことはNHKにお問い合わせ下さい・・・。)

青の部屋が、どうして一番、いい結果になったのか?
研究者の仮説は、
「青」は、空や海といった人間の手に届かない憧れの象徴の色。そういった深層心理が影響しているのではないか?
といった感じでした。

ふむふむ・・・。
そらみみの仮説としては・・・。
「青」は、生命が誕生した海の色で・・・。(今週はなぜだか疲れやすくて、頭回らず)

強引にピアノ雑感とするならば、
「青」・・・ベヒシュタイン
「白」・・・ヤマハ
です。
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現在、過去、未来

2008年04月25日 | ピアノ的雑感
ふう~。一週間終了。
今週は長かった。でも、いい仕事ができた。
今、携わっているのは人事系のシステムで、この4月の組織変更で持ち上がったトラブルの結果報告を、上司に、直され、直され作り上げていった。はじめは正直、うんざりしていたのだけど、だんだんいい資料に仕上がっていくのは、なかなか、よい気分。

両手で数え切れないくらいあったトラブルを、分類し、整理し、端的に分かりやすく表現する。適切な言葉を選び、表現を工夫するのは、俳句に通じるものがあるなあ。

込み入った様々な課題を「起きた事」「原因」「今後の対応」の3つの当てはめて、まとめてゆく。「起きた事」「原因」「今後の対応」は言うなれば、「現在」「過去」「未来」。
機械的に3分類してゆくと、3拍子のリズムが出てくるし、すっきりまとまるのは美しい。(ドリルが学習に有効なのはリズムが出てくるからなんだろうな・・・。)

打ち合わせや、報告で、誰かに何かを分かりやすく説明する時、~の原因で、~が発生した。~の対応をとった。という三段論法は、無意識のうちに使えるぐらいに、染み込ませておきたいと思う。

ソナタ形式の提示部→展開部→再現部ではないが、何事も、3ステップぐらいで、まとめるのが、見通しがよく、すっきりするポイントかな?(古典派のソナタ形式によって、難解なフーガが渦巻いていた音楽は、随分、見晴らしがよくなったに違いなく、ソナタ形式の生みの親のハイドンは改めて偉大だなあ・・・。)(←仕事中、まったくもって雑念が多い奴だ)

混沌に秩序をもたらすというのは、面白いですね。

今日は遅くなってしまったけれど、明日からのゴールデンウィーク前半、気持ちよく迎えることができそう。

問題解決プロフェッショナル「思考と技術」
齋藤 嘉則,グロービス
ダイヤモンド社

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88

2008年04月23日 | ピアノ的雑感
ピアノの鍵盤は88
全天の星座の数は88

なんとも不思議な一致で、ピアノと星の素敵な出会いだなあ。

8が横になったら∞だとか、今年は8との出会いが多いな。
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なぜ、山に登るのか?

2007年08月20日 | ピアノ的雑感
ランチ時に、たまにコミックを読むのだけど、8/20のビッグコミック・オリジナルの「」で、印象的な台詞があった。
「岳」は山岳救助に携わる主人公「島崎三歩」を中心とした人間ドラマ。一歩間違うと死が待っている厳しい山の世界で、ひたむきに救助にあたる主人公の姿が胸を打つ。お気に入りの漫画。

いいなと思った場面はこんなふう。台詞は定かではないのだけど…。
富士山の九合目まで登ったけれど、ばててしまった、ある登山者が弱音を吐く。
「もう登るのはあきらめようかな・・・。富士山は下から眺めるだけで、十分美しいから。」
それに対して、主人公の三歩が
「それなら、登ったほうがいい。頂上まで登った山の景色はもっと美しくなるから。」

うん。そうだよなと深く頷く。自分の経験からいって、本当にそうなのだ。
自分の足跡がついた山は、不思議と遠くからでも見分けがつくし、山を見ていると、しんどかった体験やら、山頂からの素晴らしい眺めの記憶やら、いろんな思い出がないまぜになって、なんともいえない、感動が湧き上がってくるんだなぁ。

古典的な命題「なぜ、山に登るのか?」の問いに対して、単純に「景色が美しくなるから」というのは、背伸びでもなくて、哲学的でもなくて、とても本質的で的を得た回答だ。人生、美しいものが多いほうが楽しい。

それで、このブログの読者の方には御察しのとおり、同じことがピアノにも当てはまる。自分はピアノを弾く割には、耳が悪くて、弾いたことのな曲だと、ピアニストの違いは、ほとんど分からない。でも、自分が練習した曲だと、ピアニストによる表現の違いがよくわかって、聴くのが、とても興味深くて面白い。感動も深くなる。

趣味でピアノを練習する目的の何分の一かは、違いが分かる耳が欲しくて、多くの感動が欲しいからなんだろうなと思う。


ジャンダルムのてっぺんにおじさんがいます!ここから落ちたら、命はありませんね。
先頭の写真、富士山、分かりますか?

そうだ。岳、単行本で揃えようっと。

岳 4 (4) (ビッグコミックス)
石塚 真一
小学館

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帰ってきた音楽会議

2007年08月01日 | ピアノ的雑感
もう一月前になるけれど、「帰ってきた音楽会議」という面白そうなイベントがあったんですね。こちらのBLOGの記事、一ピアノ愛好家としては、なかなか興味深かった。

・ヤマハの大人向けの音楽教室の現状
「問い合わせ数80万件、入会率5%」・・・意外と低い。音楽教室に興味がありながら、障害があってレッスンできない人が、数多くいる。
「会員数11万人」・・・自分もその中の1人?

・音楽を弾く目的の第2位
「趣味だから」・・・よくわからないなぁ。楽しくないけど、趣味だから音楽をするという人もいるのかな?

・音楽を弾く際のマイナス要因
「なかなか上達しない」は日本は突出して1位・・・実際に自分自身も、ピアノの練習をしていて、そう思う。練習時間を費やしているわりには、上達の速度は芳しくなさそうだな、と常々感じてる。というか、そもそも、上達しているのか、どうかも怪しい。

曲が弾けるようになることと、上達は、必ずしも一致しないですよね。難しめの曲でも、数ヶ月、根気良く練習すれば、ある程度、形になってくる。でも、それって、数年前でも、練習時間を費やして練習すれば、同じように弾けていた可能性はあるわけで、曲が弾ける弾けないでは、上達の具合は測れないなぁと思う。(まぁ、気分的には、難しい曲が弾けてきたら、上達したことにしてるけど・・・)上達が実感できるのは、数年前、どう頑張っても弾けなかったパッセージが、弾ける時かな。

あと、この「帰ってきた音楽会議」の中で、継続して使ってもらえるサービスのアイデアを募集する企画があったみたいで、さぁ、この穴埋め、どうやって埋めるか?

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
新しい楽器レッスンサイトの詳細
そのサイトは、あなたが継続的に使っている(   )の(   )という特徴にヒントを得て、(   )する機能が実現していた。またその機能は楽器本体と連動していたため、そのサイト対応の楽器には、(   )という特徴があった。その画期的な楽器レッスンサイトの名前は(   )。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

う~ん、自分はセコいので、平凡だけど、練習時間に応じて、ポイントがたまるようなレッスンサイトかな?ポイント還元で楽譜が買えるとかぐらいは、すぐできそうだ。昔のたまごっちのように、練習時間に応じて、何かが育つような仕組みも面白いかな?練習仲間を紹介するような仕組みも励みになるのだろうか。

あと、上記の音楽を弾くデメリットは、上達の度合いがわかれば、ある程度、解消するだろうから、デジタル(数字)の強みを生かして、練習時間、練習方法、密度、上達具合の数字を全部、サーバーに収集して、効果的な練習方法を割り出すことができないかな?(機械的なハノンならともかく、音楽性を数字にするのが難しい?)

逆に個々人の上達曲線もシビアにわかってくるだろうから、こわい面もあるだろうか・・・。
A.時間をかけるわりに、上達していない。(=才能に乏しい)
B.短時間で、ぐんぐん上達する。(=将来性あり)

自分はAだなぁ・・・。
(でも、いいんだ。ピアノを弾くのは楽しいから。)

こういう企画を行うヤマハ社はすごいなぁと思いつつ、最初に習うときは、オンラインレッスンではなくて、ふつうに教室で先生にみてもらう方が断然いいと思う。力の入れ具合とか、変な癖とか、やっぱり、先生に診てもらわないと。

だから、こういうオンラインレッスンは、入門者向けじゃなくて、ある程度、進んだ中級者をターゲットにしたほうがよいのでは?



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鐘とピアノをつなぐもの

2006年11月10日 | ピアノ的雑感
鐘の話の続き。発展編。
(最初にことわっておきますが、リストのラ・カンパネラではありません)

岩船寺でついた鐘の感触があまりによかったので、その時のことがよく思い出される。
どうして良かったのかな?
なんとなく考えて、あることに思い至る。それは脱力。(ピアノを志す者にとって、脱力は永遠のテーマ。)

鐘をうつ棒を、撞木(しゅもく)と呼ぶそうだ。鐘をつく時、撞木を引く綱を、全身で後ろに引いて、自然な勢いをつけて、そして、鐘をつく。鐘をつくときの一瞬は、体から力が抜けた、いい状態。

鐘をつく動作で、自然と体から余分な力が抜けて、脱力してしまっていたのではないかな?
鐘の音色が心に響くのも、変な緊張がとれた脱力の状態があったればこそなのではないかな?
鐘をつく、なにげない動作に、緊張をほぐして、いい心理状態に導くような、偉大な知恵が隠されている?
あの鐘をつく感覚で、ピアノの最初の一音を鳴らせられないかな?

(そんなことを考えて、発表会まで、あと一週間・・・。)
(鐘つきが、とても心地よかったので、これからは、いろんなところで積極的に音を鳴らすべし。と決意を新たにしたのでした。)

(関連リンク)
梵鐘
梵鐘の歴史と音色について
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日経、ピアノ記事2題

2006年09月07日 | ピアノ的雑感
昨日の日経の夕刊は、もちろん「紀子さま児ご出産」が一面だったのだけど、ピアノの記事が2つもあったのが珍しく、ピアノ好きには嬉しい。

その1
「運動センスをピアノ演奏で磨く」
ピアノがスポーツ選手の能力向上に効果があり、ピアノを弾くことで「集中力やリズム感、脱力のコツが身に付く。また、通常のトレーニングでは鍛えにくい指先など抹消の神経や筋肉を強くする。スポーツに必要な能力が身に付く楽器」がピアノなのだそうだ。(日本音楽療法学会評議員の板東浩医師談)。中でも、ゴルフと野球は、ピアノ演奏の効果が高いスポーツなのだそうだ。ゴルフの宮里藍選手もピアノを弾くんですね。

その2
ピアニスト館野泉氏の読書日記「蒼き狼」 ~悩まず、流れの中に生きる~
かつて館野氏も井上靖の小説を読み耽っていたんですね。「蒼き狼」自分も読み返してみようかな?その昔、とても面白くて、一気に読んだ。難しいこと抜きにして、ぐいぐい話に引っ張られて、途中で止れなくなる面白さだった。井上靖の西域物「敦煌」「楼蘭」も、皆、良かったなぁ。

成吉思汗(チンギス・ハーン)ほどの人間であろうと、大きな生の流れの中では小さな存在にすぎないと思えたのだ。
それはかつて聞いたことのある「遊牧民族は歴史を持たない」という言葉とも呼応した。井上靖の作品は「悩むな。より大きな流れの中で生きろ」と言っていたのだろう。


皆、同じようなことを言うなぁ。大きな宇宙の小さな存在であることを感じることは、気を楽にして生きることの秘訣かな・・・。
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コオロギと共に

2006年08月25日 | ピアノ的雑感
部屋に大きなコオロギが迷い込んできた。
自室の唯一の緑、ベンジャミンの鉢が気に入ったのかな?

その彼、何を思ったのか、早朝、大きな音き鳴き始める。よく聞いてみると、コオロギは二連符?、三連符、五連符で鳴くんですね。鈴虫のような良い音ではなくて、なんとなくパルス回線の電話の発信音のようだな・・・。
正確な二連符、三連符、五連符は面白くないなぁ・・・。

などと考えていると、目が覚めてしまい、今日は寝不足だった・・・。とほほ・・・。

先ほど、なんとか室外に脱出させるべく、捕獲作成を試みたのだけど、失敗に終わってしまう。こんな水も餌もないところでは、生きられないだろうし、なんとかして脱出させたいのだけど・・・。(自分も寝不足になりたくないし・・・。)

コオロギよ、虫捕り網が来るまでは、君、なんとか生き永らえておくれ。
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