少し前の日経(8/25の夕刊)に、百人一首とチャイコフスキーのピアノ曲と中原中也についての記事があり、興味深かった。
この歌は、とても好きな歌。自分も案の定
「のどかな春の陽射しの中、静かに、まるで無の悟りの境地で、桜が散ってゆく・・・。」
と思っていたのだけど、記事によれば、この「しず、こころなく」=「静寂、無の境地」の解釈は間違いであるとのこと。
「しず、こころなく」は正しくは、「しず心」が「ない」=「落ち着かない様子」なんですね。全く逆の意味!
この記事の作者の文芸評論家氏(秋山駿さん)も間違えていたと書かれており、よくある間違った解釈だったんだなあと思う。
で、興味深いことに、記事によれば、あの中原中也も間違えていた、だろうとのこと。
評論家氏は、中原中也がこの一首が好きで、チャイコフスキー四季の舟歌に合わせて歌っていたことから、そう推理されたとのことだったが・・・。
でも、果たして、どうなんだろう?
中原中也は、どんなふうに舟歌を聴いていたんだろう?
チャイコフスキーの舟歌はとてもメランコリーな曲。早めのテンポで弾けば、桜の花が、落ち着かなく散ってゆく様子、不安感、悲しみを見ることもできるし、ゆっくりのテンポで弾けば、「静寂、無の境地」に近い悲しみに感じることもできそう。
中原中也は、必ずしも、間違った解釈をしてたわけではなさそう・・・。
ちなみに、自分がこの一首のイメージに近いピアノの曲をあげるとするとドビュッシー「月の光」かな。
考えようによっては、正しい解釈も、間違った解釈も、両方を包含してる。
あの、静やかなテーマの部分=誤解釈。中間部のさざなみの部分=正しい解釈、といった感じに。素晴らしい!(勝手に自画自賛ですみません)
百人一首のそれぞれに、イメージの合うピアノの曲をあてはめてみる、とか、どうでしょう?
月の光も舟歌も、やっぱり弾きたいな!
ちなみに舟歌はこのあたりで聴けます。6月ですね。
(写真)ハクサンコザクラ@白馬大池付近
一応、サクラということで・・・。
メルヘンの世界から出てきたような、デフォルメされたような花びら。
ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ (紀友則) |
この歌は、とても好きな歌。自分も案の定
「のどかな春の陽射しの中、静かに、まるで無の悟りの境地で、桜が散ってゆく・・・。」
と思っていたのだけど、記事によれば、この「しず、こころなく」=「静寂、無の境地」の解釈は間違いであるとのこと。
「しず、こころなく」は正しくは、「しず心」が「ない」=「落ち着かない様子」なんですね。全く逆の意味!
この記事の作者の文芸評論家氏(秋山駿さん)も間違えていたと書かれており、よくある間違った解釈だったんだなあと思う。
で、興味深いことに、記事によれば、あの中原中也も間違えていた、だろうとのこと。
評論家氏は、中原中也がこの一首が好きで、チャイコフスキー四季の舟歌に合わせて歌っていたことから、そう推理されたとのことだったが・・・。
でも、果たして、どうなんだろう?
中原中也は、どんなふうに舟歌を聴いていたんだろう?
チャイコフスキーの舟歌はとてもメランコリーな曲。早めのテンポで弾けば、桜の花が、落ち着かなく散ってゆく様子、不安感、悲しみを見ることもできるし、ゆっくりのテンポで弾けば、「静寂、無の境地」に近い悲しみに感じることもできそう。
中原中也は、必ずしも、間違った解釈をしてたわけではなさそう・・・。
ちなみに、自分がこの一首のイメージに近いピアノの曲をあげるとするとドビュッシー「月の光」かな。
考えようによっては、正しい解釈も、間違った解釈も、両方を包含してる。
あの、静やかなテーマの部分=誤解釈。中間部のさざなみの部分=正しい解釈、といった感じに。素晴らしい!(勝手に自画自賛ですみません)
百人一首のそれぞれに、イメージの合うピアノの曲をあてはめてみる、とか、どうでしょう?
月の光も舟歌も、やっぱり弾きたいな!
ちなみに舟歌はこのあたりで聴けます。6月ですね。
(写真)ハクサンコザクラ@白馬大池付近
一応、サクラということで・・・。
メルヘンの世界から出てきたような、デフォルメされたような花びら。