静粛の中、突然の「警策」の音、
「パチッ」でなく「パシリリッ」である。
身の構えの悪い人、時により眠くなった申し出の人などが、
頂けるものらしいが、今朝は全員へ。
坐禅には、つきもの「警策」というと変ですが、
毎回願いたいものです。
老師が後ろにお立ちになられると、
なんといっても緊張が走る。
小鐘3つの後、坐中にお話が始まる。
今日のお話は、いつもと異なり、「禅語やことわざ」が多いこと。
座禅をするということの中身は、3つある。
先ずは座る身の構え、
定められた姿勢により身を構える、
「鼻と臍を対せしめんことを要す」
すなわち鼻筋とおへそを一直線になるよう背筋を伸ばす。
「目は須らく常に開くべし」すなわち、目はいつも開いている。
2つめは呼吸を整える。
これは、「鼻息かすかに通じ」すなわち息は口でなく
鼻からのみで行い、隣の人に悟られないような静かさ。
3つめは、心のおきどころ。
すなわち、坐禅をしているという、
ここから心が離れないよう。
「妄想」があるとき、気つけば、心をここに戻す。
「回向返照の退歩を学すべし」
「禍福は、あざなえる縄のごとし」(「宝鏡三昧」、洞山良价禅師(中国唐代の祖師)
楽しいことや、つらいことばかりではなく、それが縄のように
絡まっているのが人生です。
座っている前に鏡を置いて、己の姿を見るとき、
「汝これ彼に非ず、彼まさにこれ汝」
小鐘1つで終了。
思いなしか、今日の老師の話は、力が入っていました。
涅槃の日にかんがみ、禅堂にしつらえられた大きなお軸。
「お釈迦様の涅槃図」である。
老師の勧めで、
全員前に集まり真近で図を見ながら、
お釈迦様のお母さん(摩耶婦人)が天上から迎えに参られたお話。
案内役は、高弟の一人、周利槃特(シュリ・ハンドク)さん、
釈迦の講義中に居眠りばかりをするので
キリを自分の身にさして、眠気をこらえたことや、
その後、目が見えなくなるのですが、
その分、心眼を会得されたお話。
棺の四隅に有るのは、沙羅双樹の木、
などなど。
おとぎ話というと、お叱りを食うかわかりませんが、
興味のある教えの多いこと。
坐後に頂く、いつもの「塩粥の味も」
一層の坐禅会となりました。