大雪注意報は出ていましたが、予報より降らなく、
寒いけれども、10cmの積雪ですみました。
6時のスタートに遅れないためには5時起床、
髭剃りなど自身を調え禅堂(義宣寺)へ。
誰も歩いた形跡のない途上は、
私の歩いた靴跡もまた雪国独得の風情。
午前6時、老師の撞かれる梵鐘を耳にしながら一同座に着く。
小鐘3つは坐禅のスタートの合図。
寒中の早朝、未だ蒲団の中に入れは゛暖かい時間であるはずなのに、
この禅堂に来て座る、座らせているのは、なぜなのでしょう。
何かを求めてだけなら、そうまでしなくてもよいのでは、
ここへ来て何をしているのか。
坐禅の「基本動作である身の構え、呼吸の仕方など」、
いつもと違った切り込みで老師のお話が始まった。
座る基本は此れでよいのか、自己との対話をして座っているはずです、
坐禅では、自己というもののありようを「自己に親しむ」と言います。
「坐禅は自己に親しむ姿」自己に帰える、
この一つに打ち込むこと「一行三昧」といい
お釈迦様が、「承伝の仏法として道元禅師様まで伝えられた坐禅」である。
(今まで同じことを「回向返照の退歩を学すべし」という占され方もあった)
仏法の伝承について、達磨大師とその弟子のエピソート
とあわせ、老師が、ダライラマ師と会われたときのお話しなど、
興味深々、年の初めの座禅会としていい時間をすごすことができました。
老師は、「新しい歳の初めに、ここに座る、座ることの味わいは「自己に親しむ」姿、
その姿を「一行三昧」の姿として、お釈迦様が伝えたかった承伝の仏法の姿であったはず、
今年一年、事あるごとに、味わいなおしてください」
と結ばれた。
いつもの坐後の「塩粥」の味は格別、
今回は昨年習った食事前の「五観の偈」を唱えた。