楽しませてくれている、中央公園の「もみじ」。
その色の変化を追い続けていますが、
余りにも綺麗なので、近寄り木の下へ。
ややっ、遠目が綺麗ですが、近ずくと盛期を過ぎて・・・。
もうしばらくで、「落ち葉になるのかの境目」です。
紅葉は「遠目がよいというのは本当ですね」
それでも部分は綺麗、綺麗。
楽しませてくれている、中央公園の「もみじ」。
その色の変化を追い続けていますが、
余りにも綺麗なので、近寄り木の下へ。
ややっ、遠目が綺麗ですが、近ずくと盛期を過ぎて・・・。
もうしばらくで、「落ち葉になるのかの境目」です。
紅葉は「遠目がよいというのは本当ですね」
それでも部分は綺麗、綺麗。
当地の日の出は、午前6時32分。
降雨もあり真っ暗の中の禅堂行きである。
全員座につき始めるころ、
老師の撞かれる6時の梵鐘、同時に読経がかすかに聞こえ
これから始まる、1炷への気が引き締まる。
今朝はベートベンの曲も無く
背後を歩かれる老師のすり足の音、
姿勢の点検をしていただいているのです。
しばらくして小鐘3つは坐禅スタート。
まずは「正身端坐」、
1つは、姿勢を正しく作るのです、から始まった。
「鼻と臍を対せしめんことを要す」
すなわち、鼻筋とおへそを一直線になるよう背筋を伸ばす。
手は、「法界定印」に結び、この一直線の位置。
腰の位置を少し前に押し出す感じ、
「目は須らく常に開くべし」
すなわち、目はいつも開いて1mくらい前を静かに、
やさしく見る、目力を入れない。
開いた目は、「正身端坐」姿勢・呼吸を常に点検する。
開祖道元禅師様直筆の「普勧坐禅儀」(国宝、大無永平寺展冊子)
2つめは呼吸を整える。
これは、「鼻息かすかに通じ」すなわち息は口でなく
鼻からのみで行い、隣の人に悟られないような静かさ。
3つめは、心のおきどころ。
すなわち、坐禅をしているという、
ここから心が離れないよう。
人は皆、色々な思いが複層するもの、坐禅をしていても「妄想」がある
古歌に、「はけば散りはらへばまたも散りつもる、人の心も庭の落葉 」
(朝比奈宗源・仏の道)
その雑念を沈めるのが、この坐禅の時間です。
大切なのは揺れ動く心を「左上に置きなさい」。
深い静かな世界に入り、その思で遊んでください。
その世界を「大禅定に入る」と言います。
どうぞ、もうしばらく座に勤めてください。
(半分くらいで、禅堂の「すりガラスから入る朝の明るさ」、
外は「雨だれの音と野鳥の声」のみ、静かな時間の愉しみ)。
小鐘1つで終了。
毎回坐後、振舞われる「塩粥」、
成し遂げた思いが重なり美味しいこと。