ここから、久々の早朝坐禅会でありますので、
道元禅師様が中国の地で「悟られた時の喜び」の場面を紹介する。
今、我々が生きる真の世界感に通ずるはずです、
お互いに励みましょう。
道元禅師は、中国で修行の時、
「如淨」老師、に教えを乞われたものです。
道元 「お教えの正しい禅定に入るのはどのようにするのですか」
如淨 「常に意識を左上に置き、ただ座りなさい」。
(書物にはその修行時間の記録はないようですが、座るといっても生まれた
時からの癖などあり、それを正す相当な努力と時間を実行された)
この修行で、道元禅師は、手のひらの上の目(心眼)から意識が消えていくことを
会得された。
道元「この度こんなことがわかりました」と報告、
如淨は「それでよい」とは言われなかった。
又々坐禅を繰り返し修行
道元「この次は何をすればよいのですか」と問うた。
如淨「汝の心眼を全身のすべての毛穴の先迄いきわたらせなさい」との宣託。
道元は、またまた坐禅の繰り返し、ある時、
「自分の体が宇宙の中に消えていき、全身が大きな玉となり光輝いている思いをした」
そのことを如淨老師に報告すると、それを聞かれた師は
如淨「おめでたいことだ、本日をもって元子(げんす)」
「確かに禅定に入った事を認めよう」。
修行の目的が果たされたのでした、
この時の道元禅師の喜びはいかほどか。
ここまで行つて仏様の教えが何たるか。
道元禅師様は、悟られた事を今に伝え残された。
人はいろいろな生き方がある、どれが良い悪いでなく、
道元禅師様が喜ばれた時の思いを共に喜び、
私たちもこれを参じようではありませんか。
「それが座禅の意義かもしれませんと」
老師は結ばれた。
外出自粛での3か月目の坐禅会、
久々でもあるのか
最後に全員へ「警策を1発」、足の疲れもどこへやら、改めての緊張。
突然「願わくば、この功徳を持って普く一切に及ぼし、
我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」
と、回向唱えられ小鐘1つ。
今朝の坐禅会のおひらきです。