tarpin翁のスローライフ

福井県奥越地方、季節のたより、ガーディニングなど、
写真日記・・・そして・・・。

坐禅会(パート2)道元禅師様悟りの時、顛末。

2020年06月21日 | 坐禅会

ここから、久々の早朝坐禅会でありますので、

道元禅師様が中国の地で「悟られた時の喜び」の場面を紹介する。

今、我々が生きる真の世界感に通ずるはずです、

お互いに励みましょう。

 

道元禅師は、中国で修行の時、

「如淨」老師、に教えを乞われたものです。

道元 「お教えの正しい禅定に入るのはどのようにするのですか」

如淨 「常に意識を左上に置き、ただ座りなさい」。

(書物にはその修行時間の記録はないようですが、座るといっても生まれた

 時からの癖などあり、それを正す相当な努力と時間を実行された)

この修行で、道元禅師は、手のひらの上の目(心眼)から意識が消えていくことを

会得された。

道元「この度こんなことがわかりました」と報告、

如淨は「それでよい」とは言われなかった。

 

又々坐禅を繰り返し修行

道元「この次は何をすればよいのですか」と問うた。

如淨「汝の心眼を全身のすべての毛穴の先迄いきわたらせなさい」との宣託。

道元は、またまた坐禅の繰り返し、ある時、

「自分の体が宇宙の中に消えていき、全身が大きな玉となり光輝いている思いをした」

そのことを如淨老師に報告すると、それを聞かれた師は

如淨「おめでたいことだ、本日をもって元子(げんす)」

「確かに禅定に入った事を認めよう」。

修行の目的が果たされたのでした、

この時の道元禅師の喜びはいかほどか。

ここまで行つて仏様の教えが何たるか。

道元禅師様は、悟られた事を今に伝え残された。

人はいろいろな生き方がある、どれが良い悪いでなく、

道元禅師様が喜ばれた時の思いを共に喜び、

私たちもこれを参じようではありませんか。

「それが座禅の意義かもしれませんと」

老師は結ばれた。

外出自粛での3か月目の坐禅会、

久々でもあるのか

最後に全員へ「警策を1発」、足の疲れもどこへやら、改めての緊張

突然「願わくば、この功徳を持って普く一切に及ぼし、

 我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」

と、回向唱えられ小鐘1つ。

 

今朝の坐禅会のおひらきです。

 

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6月の「早朝坐禅会(パート1)」は、いつものメンバー全員参加。

2020年06月21日 | 坐禅会

自宅出発の午前5時半は、すっかり朝も明け、

快適な今朝の気温と湿度、少しのそよ風のここち良さは格別、

坐後の朝食会は分っていましたが、

この外気に、車に乗らずに徒歩での参禅でした。

早目の席に着きましたが、すでに老師と今一人の仲間は

完璧な姿勢で着座。

ザブ(座布団)の間隔は広く、3密を意識しての席つくり

は心遣いか。

 

定刻の午前6時、参禅者全員は着座。

 

突然の6時の梵鐘「ゴーン」、

あれっ、老師は座っていらっしゃるのにと思っていたら2つ目のゴーン、

いつも聞こえる「般若心経の読経」は聞こえない、

そして、鐘の間隔も違う、

今朝は坊守さんの番だったのか。

 

しばらくして老師のお話が始まった、

(小声での話、コロナの自粛のせいか)。

「坐禅は、ただ座っているようですが」、

多くの約束ごとがあります。

足を組み胴に力を入れ、更におへその当たりに力を入れる、

両手を組み、親指、「両拇指を面いて相拄う」おなかの前に組む、

この姿勢が大切、「すなわち坐禅の要術なり」。

背すじを伸ばしその上にまっすぐに頭が乗る、

口上あごの下に先舌を当て、唇はしっかり閉じる、息は静かに出し入れする。

 

ただ座るだけでなく、しっかり姿勢・息を意識して座るのです、

続いて目は閉じずに半眼、前方少ししたを見る。

目が見ているものは何か」、

まず体の姿勢を見る、吸う息吐く息はしっかりできているか、

鼻息かすかに通じ、「兀兀として坐定して、この不思量底を思量せよ」

すなわち、座って静かな世界に行く、その意識は両手の平に持っていくのです。

この時の目は、常に左手のひらの上にある

その姿が、「天地の摂理・道理・約束など表している姿」なのです、

と道元禅師は示された。

その姿は「正身端坐」です

宇宙の真理を身体で実行する、そのように教え、

残してくださったのが座禅の姿です。

(すみませんパート2に続く)

 

 

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