tarpin翁のスローライフ

福井県奥越地方、季節のたより、ガーディニングなど、
写真日記・・・そして・・・。

早朝「坐禅会」参禅報告。

2021年09月19日 | 坐禅会

午前5時の起床時は真っ暗、随分と日が短くなりかけています、

今朝は「月1度の坐禅会」。

午前6自10分前、すでに女性一人が着座・・、私が座に就く前に

小鐘一つ、一度終わった様子にびっくり。

 

老師は坐を立たれ釣鐘堂へ、「6時の梵鐘」は老師の当番らしい、

力強い般若心経の読経、ゴ~ン、6時である。

 

席に戻られた老師は、参禅者の後ろに回られ「検単」を受ける。

同じくして老師の坐中のお話が始まる、

*今日のお話は、比較長かったので要旨は、

  1. 一人一人が世に出た意味
  2. 生きていく上の苦しみ悩みを除く「解脱」、お釈迦様の教え。
  3. 最後は、坐禅は悟りや対価を求めるものではない、自己の研鑽。

 

淀みに浮かぶ、泡沫はかつ消え、かつ結ぶ・・・」

川の流れの中で、泡はいくら出てきても、ぼつぼつと消え

自然に流れゆく。これは「我々人生の流れと同じ」ではないか。

どのように生き方をしてきたのか、年齢、環境等

それぞれに価値観はいろいろ、

多くの苦しみ・悩み・病もそれぞれでありますが、

仏教ではこうしたことから逃れたい事を「解脱」といいます

このことを成し遂げたい人が求めたのが

「おしゃか様の教え」でした

この教えに学ぶことは「正しいとされる根拠」は、

道元禅師様のほか8宗の開祖様等諸先輩が、

おしゃかさまの膝元へ近寄ろうとして事実です。

この思いを表す方法が「おけさ」です。

 

また、苦しみから、解脱したい、逃れたい人達、

我が強く、悩みの多い人ほど佛教がわかる人。

この世に生きる理由は

  1. 命のありようは「願生」すなわち生きる事を自分で願い出てきたもの。
  2. 「見、釈迦牟尼仏をよろこばざらんや」すなわちお釈迦様と出会い 喜びのため来たのです、仏の教えが「生きる意味」です

    仏様に会える道は、「仏とは物持たぬ心なり、我が仏と思わぬなり

     

    「愚とは、従順の姿なり」とも、この姿で、仏様を見る、と教えています。

    仏様の姿とは、実像があるわけではない、

    人それぞれの心の中に有るもの。

    そこに、新しい世界が始まるのです、

    そうした中に解脱も現れ、良い世の中が構築されていくのです。

     

    坐禅する姿」は、正身端坐、何も求めない姿、

    すなわち我を捨てる時間、あとは仏様にすがる姿かもしれません。

    座りながら考える、そんな時、救われている私の姿なのかもしれません。

    「煩悩即菩提」 と結ばれた。

    小鐘1つ迄、お話の連続、坐禅も50分に及んだ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする