猛暑予報の中での早朝5時は、ここち良い気温。
6時スタートに遅れないよう、禅堂につくとまだ10分前、
老師はすでに着座。しばらくして、坊守り様の撞かれる「六時梵鐘の音」。
今日は女性2名と私の3名の参禅者、少し寂しい。
小鐘3つで坐禅の正式スタート。
老師の座中のお話が始まった。
道元禅師様お勧めの坐禅のあり方とは、
「身を調え、呼吸を整え、意識を手ひらに集中」する。
そのあり方は「鼻と臍を対せしめんことを要す」
すなわち鼻筋とおへそを一直線になるよう背筋を伸ばす。
「舌上のあざとにかけて、唇歯相つけ、目は須らく常に開くべし」
すなわち、目はつぶらない。息は鼻からしか出入りしない。
以上が「道元禅師様の御教えになる坐禅の在り方」です。
今朝は、坐禅の所作は、教えの後半の教えです、
「その前段があり、そんなことを語るのは初めてです」。
仏教を習うは、いろいろな宗派等ありますが、
どの宗派も、一番の基本は「おしゃか様の教えです」。
そのことを意識して(納得して)世の中を生きる、
そのうえで改めて坐禅に入り日常生活に反映するのが大切なことです。
「佛教の基本は、お釈迦様の教えです」
こんな教えを残された。
最も基本的なことは、「三つの宝(三宝)」(さんぼう)に帰依し、
生活することです(己の姿を理解する)。
道元禅師さまも、このことを言葉に変えてこんな記録があります。
「南無帰依仏」(素直になりましょう)。
「南無帰依法」(規則を守りましょう)。
「南無帰依僧」(仲良くしましょう)。
自分を振り返るとき、他人には見せられない、姿があるはずです、
そんな姿を無条件に受け入れ生かしてつづけくれる力、
これは御仏の力です。
「坐禅」するのは、悟りを開くとかの目的でするのではありません。
坐禅は、そんな思いを自分の体につけ日常、他人の力になれる力、
御仏の力がそれぞれの体に備わってくるのです。
こんな話をしたかったのは、このだるま会で10年以上参加されていた
60代のS氏が急逝去された、会の中で想い出多い人でもありました。
長く続けた坐禅にもその前段の教えがあることは、分っていると思いますが、
語りたい思いになったからです」とくくられた。
私も初めて聞く老師のお話でした。
小鐘1つで終わり。
突然「願わくば、この功徳を持って普く一切に及ぼし、
我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」
と、回向唱えられた。
義宣寺近影
明日(8/11)10時半から黒谷観音で義宣寺山田老師の法話があるようです。
残念ながら私は行けませんが、都合があえばぜひ御詣りください。
ようこそ、黒谷様にはまだお参りしていません、
何とか行くきたい思いです、今日は無理です、
老師とあそこの住職様は本山修業時代の仲間だと
以前お参りした時に、聞きました。
比丘尼さんの決断すごいですね、20年も座っている私には、もう遅いですが、それ以上に困難なことです、
これから専門的に得られる知識、体験等
またお話ください行く末お祈りしています。