昨夜来の降雨は幸い、初雪にはなりませんでした、
それでも外は真っ暗で寒い。
午前6時からの参禅会、禅堂は赤々と明るい。
私より先客は、師家の老師と珍しくご住職様ほか2名が座についていらっしゃる。
私が座につくと、同時に小鐘3つ、スタートです。
同時に坊守様の撞かれる梵鐘の音。
老師の座中のお話しが始まった。
「白麓山の鐘の音、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、
盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらはす」、
今この鐘の音は鳴ったかとかと思うと、消えていく、どこへ行くのでしょう。
(平家物語りの巻頭語に加えて、「白麓山」は禅堂義宣寺の山号)
この事実を、諸行無常といいます。
この事を感じて生活するか、感じなくていくか、今あって先の保証の無い事を
鐘の音の中に聞き取る、それが「信、信仰」です。
余のことは諸行無常、これだけが信です。
同じ生活をするのなら、この信を感じ生活する方が、
より大きく変わるのではないか、
お釈迦様は、この事を「結跏趺坐・正身端坐」により、
姿勢・呼吸・気持ちを整え無情の時を有情する、そのありようをお示しになられた。
それが坐禅、今、私どもはその真似事の一旦をやっている。
(そして無言の時間・ファンヒーターの風音以外は静粛の世界)
しばらくして、先月のお話しの「命の風」のお話しから仏法への帰依について、
「菩薩大師心に唱えたまえ、我等それらと一心に至る」、
と、仏法・僧などへの三方への思いを託すお話でした。(子の解説に読経がありましたが難解)
一年の過ごしたあり様を諸行無常の一つ一つを確認しながら
来る年への準備をしようではありませんか。
「明日をありと思うな、心のあだ桜」
いつの時か我が身に降りかかる無情の流れ、
この命の風に出合わなければならない時がある、それがお互いが持っている諸行無常。
休み中もご家庭で静かに足を組み、命の風を感じてください。
そんな日々が送れる事を思い合いたいと思います。
そして小鐘一つ。
「願わくば、この功徳を持って普く一切に及ぼし、
我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」と、回向唱えられた。
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