市内でクリニックを開かれている医師:O先生から40編の随想をまとめられた著書が送られてきた。「謹呈」と記された小さめの栞が添えられている。これまで先生の診察を受けたことはなく、したがって言葉を交わしたこともない。さらに住所も離れており、7歳年下の私が通学途中などで出会うこともなかった。
クリニックは知っていたが先生を知った、といってもそれは、地方文化の会発行の「総合雑誌21世紀」Vol106(平成20年11月)での誌上だった。この号に、私の初投稿が掲載されたことで手に入れることができた。その中に、「岩国のある街で」と題する先生の4千字ほどの随筆を興味を持って読んだことを覚えている。
投稿が縁となり、発行責任者がある人から紹介されたので読後感を、とたのまれ、合わせて3年間6冊に渡ってつたない感想を書かせてもらった。O先生の作品は毎回、書かせてもらった。「常に人への優しさ温もりが」私にもわかる言葉で書かれていた。そして、故郷の様々な姿を背景にしながら平和への希求が感じられた。
「岩国のある街で」は今回の随想集に載っている。5年前に書いた初めての感想をだしてみた。
「人絹町と言ってもそこを知る人が年々少なくなっていく。街の変化は時代を薄れさせる力をもつ。そんな中で忘れられない往時の思い出、街の角を曲がるたび出会ったおじさんおばさんの姿を通して描かれている。八百屋、百貨店、自転車屋、理髪店など会話の集まる所が、その場を知らなくても思い浮かぶ。
鼻髭をつけた作者を『坊ちゃん』と呼ぶ散髪屋のおばさん、SLの汽笛の音色で機関車の形式を当てる煙草屋のおじさんなどは古い映画にでも出てきそうな人柄が浮かぶ。また、サーカスや女相撲、映画館など当時の娯楽の一端も懐かしい風景として思い浮かぶ。
人絹町として忘れられない、忘れてはならない昭和二十年八月十四日の絨緞爆撃、一人の同級生の爆死を通して言葉すくなに語られている。『再びポンペイの街のようにしてはならない』、作者の結びの一行は重く問いかけている」。
ブログタイトルは随想集のタイトル。これで2冊目の著書をいただいたことになる。しかし、まだお会いしたことはない。