少し遅れたが予報通りの雨になった。昨日、予報の「雨」を信じてカラカラに乾燥した畑にを鍬を入れ、仲間と植えた夏野菜の苗はこれでしっかり根付いてくれるだろう。待つときの雨は本当にありがたいものだ。「じう」を辞書で引くと二通りあり、時雨は「ほどよい時に降る雨」、慈雨は「ほどよく物をうるおし育てる雨、ひでり続きのあとの雨」とある。時雨、しぐれとは読んでいたが「じう」という読み方のあることを知った。
ある日のエッセイサロンの例会。「刃傷、一入、蠢、犇、轟、蟲、姦、毳」などの文字がホワイトボードに書かれ、読みとその意味を問われた。これまで祖母の好きだった忠臣蔵に付いて書いたとき刃傷は使ったかもしれないが他の字を使った記憶はない。読みと意味、詳しい仲間に助けられメモした。解かれてみればいずれも納得、漢字が持つ込められた意味の深さを教えられた。書くときに辞書はそばに置く、その大切さを教えてくれる。
サロン例会では「ありふれた表現でなく自分の感性でつかんだ言葉で表現」しようと合評でいわれる。限られた字数の投稿では辞書に載っている、あるいはよく使ういことわざを使うなどすると、字数はもとより書きたいことを素直に受け入れてもらえるだろうと思う。そこには我流の表現を考えなくていいというさぼりも入る。聞いて読んで書いて学ぶしかないだろう。
プランターに植えた夏野菜の苗、植えられてすぐに夏日近くの気温にさらされ、夕方には少し疲れた様子をしている。今日の雨はそれを癒しているだろう。時雨でもあり慈雨でもある。畑の苗ら、植えられてすぐのお礼をしたような背筋はまっすぐに伸ばしただろうか。書くということ思い出せてくれた今日の雨、自分にとっても意味通りの二つの「じう」となった。