
市内の高校では卒業式という。我が家は卒業式と縁が切れ20数年、今は孫が元気に次のステージへ進んでくれることを遠くから願っている。このごろ、特にデジカメが普及してこうした記念日の記録として写真が容易に撮られる。それも思いのままに、いい記念として残せる。
時代背景から仕方ないが、学校出るまでの写真といえば大方が集合写真。小学校では2年ごとに担任が変わっているが、そのたびにクラス50数人が真面目な顔で写っている。中高では毎年撮っている。修学旅行も別府の地獄、大阪城や奈良公園などで全員が行儀よく並んで写っている。男子は詰襟の学生服に学生帽、女子は襟に白線の付いたセーラー服に白のネクタイ、どれも清楚な感じで生徒らしい。
懐かしい顔、顔の集合写真が送られてきた。送り主は岩国出身の女性書道家、都内で習字教室を主宰するほか多方面の文化活動をしている方。現役のころ会社の同じフロアーで勤務していたことから知っている。写真は岩国出身で東京在の会社OG仲間の送別会での一コマ。見て驚いた、若いころの顔を残したまま年月の積み重ねを感じるいい顔を我がことのように喜びながら、多くのことを思い出す。(写真は加工修正)
退職して10数年がすぎさまざまな記憶が遠くなりつつある。そんな中で集合写真は、一人撮りの写真では思いつかないことが関連して浮かんでくることがある。写真が貴重だったころと違う今、個性ある一人撮りも記念だが、多くの人との思い出醸成のためにも親しい人だけに限定せず撮っておいたほうがいい。送られてきた写真には、入社から退職まで相棒を務めてくれ人がいる。どんな相棒だったか、帰省の時にそっと聞いてよう。