
何十年も前の話。定かな記憶は残っていないが「カイロプラクティック」という施術を経験した。足を運んだ訳は職場で「腰が重い」と話したら「あれはいい」と勧めら訪れた。医者風の白衣を着た人が「誰に勧められての来訪か」と聞くので同僚の名前を伝えた。それには無反応で、治療台に伏せるよう促す。首のあたりから腰まで「スー」と手で撫ぜ「がたがただ」という。
どんな「がたがた」の説明もせず突然に脊柱を押さえる。続けて体中の骨がバラバラになるのではと思うほど骨をぼきぼきと音をさせる。臥せているので何をしているのか分からないが、時々、気合のような声を発する。時間までは覚えていないがそれほど長い時間では無かった。「体が傾いてねじれているから腰が重いのだ。これでよくなった。はい、うん千円」。2度と行くことはなかった。
ギリシャ語でカイロは「手」、プラクティクは「技術」を意味する造語で補完代替医療として世界中にそれなりの位置を受けているという。1回だけで即断してはいけないが、医療を補完する感じはなかった。骨格の歪みが体によくないことは知っている。ズボンの後ろポケットに財布入れているのを見た知人から「姿勢によくない」と注意された。それほど中身が入っていれば、と笑ったが、最近のワイドショーで同じ話をしていたという。
傾きを思い出させたのは背高のっぽの電信柱。並んでいる他の電柱に比べ家の軒を避けるように傾いている。見通せる次の電柱は垂直に見える。傾くことは身体は勿論のこと、家計も経済も社会などなど良いことにはならない。大きく傾いた電柱を見上げながら少し遠ざけるように通り過ぎた。なんとなく不気味な感じ。