日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

練習艦せとゆき

2015年03月24日 | 地域


 高速船で柱島3島の黒島からの帰途、春霞にかすむ遠くの海上に海上自衛隊の艦船が2隻、かなりの間隔をおいて停泊している。久しぶりの艦船の姿に望遠を一杯にしてアップする。何とか艦船番号が読み取れるくらいには撮れた。それは練習艦「せとゆき」という。定係港は呉で、今月初めまで海上自衛隊初となる女性艦長が乗艦していたという。艦の種類などは知る由もなくネットが教えてくれる。

 艦の停泊している柱島沖の瀬戸内海一帯は、太平洋戦争前から終戦まで、海軍連合艦隊が艦船停泊地にしていた海域で、戦時中は出撃前の戦艦や巡洋艦など多くの艦船が停泊し「柱島泊地」と呼ばれた。1941(昭和16)年12月2日午後5時半、この海域に停泊中の戦艦長門から緊急の暗号電文「新高山登レ1208」が発信された。これは同年12月8日、ハワイ真珠湾を攻撃するという太平洋戦争の開戦を告げる内容だった。長門は当時、連合艦隊旗艦でこの停泊地には旗艦専用の停泊ブイがあった。

 その真珠湾攻撃、42年のミッドウェーなどの出撃拠点になったと資料にある。開戦まもなく呉海軍工廠で完成したばかりの戦艦大和もこの停泊地に合流した。開戦初めには20隻以上が停泊していた時もあったという目撃談が残っている。波穏やかな海面に浮かぶ遠くの自衛艦を眺めながらそんなことを思い出していた。

 柱島周辺の瀬戸内海が海軍の重要拠点であったことを知る人の少ないのは口止めされたからと古老の話。戦後70年の節目、平和都市広島に連なるこの海域が世界平和の泊地となれば、そんなことを思っているうちに自衛艦は遠くなった。 
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