
1866(慶応2)年6月、当時の長州藩の芸州口、大島口、石州口、小倉口の4カ所で長州藩と幕府軍との戦争が起きた。地元ではこの戦を「四境の役」と呼んでいる。幕府からいえば第2次長州征伐ということになる。では第1次のそれはいつ起きたのか、それは「蛤御門の変」で長州藩は朝敵となり、1864年第1次長州征伐が行われる。この時は幕府に恭順を示し戦いは起きなかった。第2次征伐への過程までの詳細は省略するが、恭順の続かなかったことが幕府を怒らせた。
この戦争は、国のあり方、特に開国を求める諸外国への対応をめぐる対立が発端となっている。四境の役で長州軍が勝利、敗北した徳川幕府の権威は失墜した。長州藩は幕末から明治にかけての変革、さらに近代化に向けての中心的な役割を果たしたことはよく知られている。
四境の役の火ぶたは周防大島だった。周防大島では「この地が近代日本のスタート地点の一つであり、新しい時代の幕開けの地となった」としている。その戦いから150年となる来年を前に、官民一体で記念事業が準備されている。事業費は国の地方創生向け交付金を活用すると報道されている。そこには、近代日本の礎となった尊い命への想いが貫かれているようだ。
そんな活動の一端なのか「四境の役 大島口の戦い特別展」が開かれることを知り会場を訪れた。静かな文化伝承館の一室に開戦から終結までの経過、戦の様子、戦跡、参戦した装備、関係する文献、ゆかりの人物など多くの史料が写真や説明文で掲示されている。初めてみる史料は参考になった。芸州口の戦では岩国藩主・吉川経幹が総督を務めた。隣の和木町でも150年に際する行事があるとか、岩国ではまだそんな声が聞こえない。一考を要するか。