日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

野 菜

2020年06月17日 | 生活・ニュース

 「いつも月夜に米の飯」ということわざがある。これは「明るい月の夜と米の飯が毎日続けばこの世は極楽という」明かりが貴重な時代の話。現在では「現実はそれほど甘くない、なかなかうまくいかない」という意味に使われるという。水も空気も有って当たり前のように思っている。何か事が起きるとその存在、有難み、重要性など感謝しながら享受している。しばらくすると元のさやに納まっている。

 新型コロナウイルスへの恐怖について収束はだれも見通せていない。そこで、有って当たり前の生活に転換を促すよに「新しい生活様式」を求める広報やお知らせが増えた。どんなに生活様式を変えようとも変えられないものがる。水や空気と同じように食べることだ。コロナの影響で販売には新しい方式が取り入れられ外出や接触の削減になっている。

 その食べることだが、食材がなければ食べたくても食べれない。日本の食料自給率はカロリーベースでの計算値が採用されているが、その値は30%後半の中くらい、熱量的に乏しい国内自給力でしかない。自給率の品目では米は100%、いも・野菜・きのこ類も高い数値だが、それ以外は低い値で輸入が困難になると食糧難になるかもしれない。

 さかのぼること40年くらい前の菜園仕事を思い出す。時期が来ればいやでも植えたり収穫の作業は欠かせなかった。そのころは自作自消で野菜を心配することもなかったが、最近はいただくばかり、今日も届いた大きなキャベツや何種類かの野菜を眺めながら思いだしている。最近、食の心配から庭を菜園に変えた人がいる。コロナ禍、何が起きるかわからないということだろう。いただいた野菜、大切にいただかねば罰があたる。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする