今日は祖母の69回目の命日。墓掃除は数日目、雨の合間に済ませておいたが、今朝は幸いに梅雨の晴れ間となり、朝一番の仕事として墓参りを済ませた。祖母は自宅療養だったが苦しんで家族の手を煩わせることはほとんどなく、誰に心配をかけることもなく彼岸へ旅立った。葬儀は自宅葬で近所の人に見送られ出棺した。
今朝、「おばあさんの好きだった『もぶり』をお供えしよう」と妻が言う。祖母は「もぶり」が好きだった。亡くなった日の夕食は「もぶり」を作る仕度がしてあった。残念だが祖母は口にすることなく浄土へと旅立った。浄土真宗では仏前へのお供えを引かうように聞いているが、命日くらいはといつもの様に我が家の「もぶり」お供えした。
「もぶり」は方言で「もぶる」が変化したという。その元は「もぶる」の混ぜるからきている。ちらし寿司はすし飯の上に具を綺麗に並べるが、「もぶり」はすし飯と具を混ぜ合わせてもので「もぶり飯」とも呼ばれる。見た目はちらし寿司の方が上等に見えるが、我が家でなぜかちらし寿司が膳にのった記憶はない。その日は茶碗飯でなく皿飯だった。
皿に盛られたお供えのもぶりを祖母は味わっただろう。昔の味を記憶していないが今風に変わっていても喜んでくれたと思う。祖母が手放さなかったのは、煙草の葉を細く細く刻んだ「きざみ煙草」を吸う煙管。煙草を吸ってなくても煙管を握っていた。煙草に興味などない子どもころだが、何故か記憶にある。