題名:うつけの采配 著者:中路 啓太 発行所:中央公論新社 発行:2012年2月25日
この本を読もう、そう思ったのは新聞の新刊紹介で「著者に聞く」という欄の見出しに「信念貫いた吉川広家」とあった。吉川広家は毛利元就の二男・吉川元春の三男で岩国藩の祖となる人だ。
吉川広家は関ヶ原の戦いで西軍(総大将は毛利輝元、東軍は徳川家康)の指揮を執りながらも、最後まで兵を動かなかったとされる。この戦いで西軍は敗れた。毛利氏は改易は免れたが長門・周防の2カ国に大幅に減封されたた(112万石から36万石)。輝元は東の守りとして広家に岩国3万石を与えた。広家はそれまで出雲国富田で14万石を領していた。広家は1600(慶長5)年に着任。
以降の広家の藩主としての姿は歴史で知ることだが、それ以前の吉川広家とはいかなる武人であったかは知るところで無かった。関ヶ原における采配が「毛利家を救った英雄か、裏切りか」といわれる。毛利家としては後者にとらえ、冷たい処遇をとった。
題名の「うつけ」とは、気が抜けてぼんやりしているような人、間抜け、愚か、などいい意味ではない(広辞苑参照)。さて広家は本当に「うつけの広家」であったのだろうか、読後の思いは我が藩の祖は「深慮遠謀の広家」につきる。
物語の終わり、広家の起請文に家康が広家の武人としてずば抜けた力量を認めるあたり、岩国藩の祖として誇れるものを感じた。今の日本にはこんな信念の人が政を担っていれば、国の姿が変わっていたかも知れない、と考え込む。
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