日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

急斜面の団地で

2015年03月21日 | 地域


 国道そばから切り立った崖の上の団地、下からは顔を上に向け見上げないと団地の存在に気づかない人もある。話では、その崖団地の奥には百戸近くの住宅が街並みを作っている、と聞いていた。先日、所用でその団地を初めて訪ねた。というより、上ったという言い方が当てはまる。ここまで宅地としてよく開いたものだ、建てるときの資材の運搬は大変だっただろうなど、いろいろなことを思いながら歩いた。

 国道から続く急な坂道を上る。しばらくすると道路から玄関まで傾斜が30度もあろうかという坂を10から15メートルくらい上る。その隣へ行くのに上った坂を下って隣の同じような坂道をまた上って下る、そんな繰り返しが続く。離れた所では10から20段の石段を上る。その隣家には石段を下りてまた石段を上って下る。そんな高い法面には広い床下車庫が設けられている。造作費用も相当だろうなどと眺める。

 そんな坂道で買い物帰りの年配の主婦のかたに何人か出合った。体を前かがみにしてゆっくりと上る姿勢に長年の会得された歩き方を感じる。記憶違いでなければ団地になり始めて数十年くらい過ぎていると思う。そんな団地を上りきると平らな場所、ほっとして進むとすぐにカーブの多い下り坂になる。聞いていた通りひと山全部が団地になっている。

 そんな急峻な斜面にある団地、振りかえるとその眺めは路面から見慣れた景色と異なる。ふと「高き屋に のぼりて見れば 煙(けぶり)立つ 民のかまどは にぎはひにけり」という仁徳天皇の和歌を思い出す。この和歌は、煙立たずを見て3年間、税を免除し自らは節約した後に作られた歌という。ガスに電気の現代、民の暮らしとその心を知る方法は何だろうう、額の汗を拭いながら一休みする。
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反省

2015年03月20日 | 生活・ニュース


 1953年3月、この年のこの月に小学校を卒業した。思い返せば62年というときが過ぎたことになる。入学は1947年4月で終戦の混乱は続いていた。街には進駐軍のジープが走る。それから降り立った進駐軍兵士はとにかく大型、中には青い目の兵士もおりこわごわとそばを通った。低学年のころ、進駐軍からの支給でオレンジジュースと脱脂粉乳が日替わりで飲めた。

 ランドセルはズックでそれは父の手製だった。赤紙がいつ来るかわからないという戦況下で、入学するとき困らないようにと早くから準備したという。そのランドセルは卒業まで使った。とにかく丈夫で型崩れしたなどの記憶はない。時代は変わり、こんな昔との比較は「話にならない」と一蹴されるだろうが、これからの子どもらに再び経験させてはならない。

 今日は母校でもある近くの小学校の卒業式。正装した夫婦が卒業式参列のため校門を入る。緊張したなかに喜びを感じる。息子の卒園式、小中高大の卒業式に参列したことがない。すべて家内任せだった。参列しなかった言いぐさの確かな記憶はないが「仕事」にかこつけていたのだろうか。卒業式もだが入学式も同じだった。だから息子の晴れ姿を目にしていない。夫婦並んで校門を入る姿を見ながら「反省」の2文字が頭をかすめる。

 今、息子家族は私の過ちを繰り返していない。折々の連絡では夫婦で出かけているようだ。息子は晴れ姿を見てもらえなかった寂しさを自分の子どもに経験させたくないということだろう。そんな孫は4月から高2、先日の電話では「なかなか帰省できない」というくらい忙しくしているようで、顔は見たいが、いま出来ることを精一杯やる姿勢に安心した。大人びた孫の話しぶりに成長を感じる。
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次は我らが

2015年03月19日 | 地域


 21日から第87回選抜高校野球大会が始まる。県内からの出場は中国地方枠から宇部鴻城高校が12ぶり2回目の出場。大会8日目第2試合で群馬の健大高崎高校と対戦する。この健大高崎は昨年の選抜に出場した岩国高校が対戦し敗れた学校、何の因果か連続して1回戦が同じ県との対戦となった。お互い爽やかなプレーを期待する。

 高野連加盟は4千余高校、その部員数はおよそ17万人という。 選抜出場は21世紀枠などを含めてわずか32校、夏とはまた違った厳しい出場要件を獲得した選手らの高揚感はいかばかりだろう。選抜に出場出来なかった野球部員、今年の夏こそは、と新たな練習が始まっている。新入部員を迎える前の練習風景、フライの補給練習を高台から見下ろす。

 ノックしているのは監督だろうか、遠くてよく分からない。部員は100メートルくらい離れて丁度10人が待っている。1打ごとに球の行方を追う。補給を終えると必ず大きな声を出す。落球する者はいない。徒然草の弓射る人はこの一矢に気持ちを込めろる項を思い出す。一つの落球がポジション争いか外れるかもしれない重要さを選手はよく知っている。

 ノッカーは近く遠く左右に打ち分ける。部員は自分の補給が終わると列の後ろで屈伸運動をする者もいる。こうした意識がやがて大きな芽になるのだろう、自分には未経験のことだが勝手に思いながら眺める。時々、ノッカーのバットは指示を出す仕草に見える。次は我らが甲子園に、部員らの声がそう聞こえる。桜の大きくなったつぼみもエールを送る。
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しきびの花

2015年03月18日 | 生活・ニュース
 

 彼岸の入りだがあいにくの雨、まとまった雨量という。この時期の雨は植物へ春を告げる大切な自然のなせる技でいろいろな呼称があるそうだ。菜の花の時期なので菜種梅雨はよく知られている。催花雨とも呼ぶそうだが、いかにも花を呼ぶにふさわしい命名と感心する。
 
 墓には樒(しきび)を供えるのは我が家の慣わしで、少なくとも月に1度は参るので取り替える。この物価上昇のせつ、近所の種苗店で花店の半値、束の太さは花店の倍くらいで生き生きしたものが買えるので大変重宝している。どこから仕入れされるのかは知らないが、その生産者の人にも感謝したい。彼岸まえの墓掃除、買ったしきびに何輪かの淡黄色の花が咲いている。

 墓掃除をしていて背後から声をかけられた。振り向くと古くからの知り合いの人が、母親を支えるようにして立っている。会話は自然と健康に移る。「わしも80を超えて医者通いが増えた」と寂しそうな笑い。若い時は燃料店と農業をこなしスポーツ大好きな人だった。いま、農業は自家用だけという話し。最近は墓地で交わす会話も健康関わりが増えている。元気で墓参りができるのは幸せか、と思い直す。

 雑草の茂るまま放置される墓が年々増える。それでも、盆に帰省した他県ナンバーの車が並ぶとほっとする気持ちになる。同時に子どものころの賑やかだった話し声の聞こえていたことを思い出す。道沿いの地中で雑草がうごめく声が聞こえそうな暖かい日だった。
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トワイライトエクスプレス

2015年03月17日 | 回想


 山陽本線に新型車両が導入された。なんと32年ぶりという新型電車は「レッドウイング」と呼ぶ。北陸新幹線が長野から金沢まで14日に延伸開通で、金沢から東京まで2時間半に短縮され、沿線は祝賀ムードに包まれている。一方では最後の寝台特急ブルートレイン「北斗星」が27年間にわたる定期運行の幕を同じ14日に閉じた。その前日にはトワイライトエクスプレスが26年間の運行を終えている。山陽本線からブルトレが消えて久しい。

 トワイライトエクスプレスを利用したのは50歳の時、永年勤続記念として会社からのプレゼント。それは運行を初めて間もなくだったことを、運行が終わるニュースを聞いて気づいた。大阪から札幌の下りを手配したがダメ、仕方なく上りに変更「やっと取れました」、その時の旅行会社担当者の笑顔は今でも浮かぶ。運行間もなくで人気は高かった。そんなことから食堂車は利用できなかったことは残念だった。乗車して気づいたのは乗客の多くは団体さんだった。

 青函トンネル、海底駅でしばしの停車、ひとかけらの不安を抱くことなく技術の素晴らしさを感じた。そこを抜けると、大阪までひたすら日本海を眺めながらの旅は、ブルトレや新幹線を利用しての東京出張とは違うのんびりゆったりだった、と懐かしい。

 トワイライトエクスプレスや北斗星の最後の定期運行に駆け付けたフアン、北陸新幹線開通に喜ぶ駅ホームの映像を見ながら思い出す。40年前、山陽新幹線が博多まで延伸開通した日、4月から小学生になる息子と初乗りをした。普通車は満員で「子どもは膝に」という自然発生の声に誰も異なる声が出なかったのは開通の喜びからだろうか。0型の丸みが懐かしい。 

 
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値上げラッシュ

2015年03月16日 | 生活・ニュース


 「弁当も値上がりしとるね」、スーパーの有名弁当売り場の特設コーナーを見ながら同年配くらいの人が会話しながら立ち去った。「美味しいですよ」と呼びかける何種類もの綺麗で見栄えのする包装紙が客の手を待っている。遠くは東北や北陸からはるばるやって来た弁当、聞いたことのある弁当名もあり「美味そう」、そう思いながら眺めて通る。

 今月から値上がりした食品も多い。その上げ幅が数%くらいでは驚かなくなったからでもないだろうが10%は珍しくなく、20%を超える商品もある。その値上げ理由は輸入原材料の上昇が必ず顔をのぞかせる。原油安が上昇に転じことで、ガソリンなどの小売価格もそれにならえとなった。運賃コストの上昇が食品へ跳ね返るのも近々だろう。「一箱を5日で食べていたが、最近は1週間に延ばした」という会話。表現からその物は食品と思うが、これも出費を抑える策だろうが、何か寂しい。

 先日の報道では個人消費は消費税増税後からいまだ上昇に転じないという。輸出の増大がGDPを引き上げるという教科書の教えは、そうではなく個人消費の伸長に寄ると数年前に転換された。日本経済は個人消費の伸びに掛かっていることになる。年金は下がり物価は上がる、社会保険料は年々増額、消費金額増のための有効策を見出さねばいけない。

 閉店した近くのスーパーの解体が進んでいる。そこの新たな活用についての噂が聞こえる。噂なので何とも言えないが、閉店後の人通りが心なしか少なくなったことを覆すにのは無理かな、という気がする。昨年のこの頃は消費増税前で売れて売れての報道が続いた。今、値上げ値上げで消費は落ち込む、この解決策、どうなるのだろう。「懐を締めて歩めよ高齢者」。
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任期満了

2015年03月15日 | 地域


 春は別れと出合いの季節。卒業に就職と進学、年度変わりの人事異動や退職などその場面は多彩。それぞれに思いや考え目指すものがあるだろう。退職するとそうして過ごしてきたことへの思いが次第に薄れていく。主人の退職に多くの同僚が集ってくれて感激したというブログ、そうだろうとその気持ちが分かる。

 この度、任期満了といってもそんなオーバーなことでは無いが自治会役員の末端を担う班長の任期が今月末で終わる。先日の総会で後任に申し送りを済ませた。越して来てから20年、自治会長を含め数年間お手伝いをさせてもらった。班内の所帯数からして次の班長は回ってこないだろうと思っている。来るとしたら90歳も半ばを超える、生きていればのことだが。

 班長の仕事は会費の徴収と市の広報の月2回の配布がメイン。ほかに班内の弔事や災害時の被害聞き取りなどだが、それほど発生するものではない。広報配布には県、市議会、保健センターほかの関係団体などからの配布誌紙が加わる。ポストインだが、雨降りのそれは濡れないように気をつけ乍ら、毎日配達する郵便局員の苦労を思う。そう、ポストはブロック塀に取り付けられているのがほとんどで、軒下に設けてある家は少ない。

 数年前に84歳の主人を亡くされた独り住まいの人が「班長」をやります、と元気な挨拶をされた。班長は原則、家の並びに沿って順に回る仕組みになっている。出来なければ次の人が担っている。よその地では班長希望者が無いので抽選で決めているとこもあるようだが、お互い助け合うということで住まいの地区はうまく回っていてひと安心。特別なお世話はしなかったが、終わってほっとしている。
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整然と解体

2015年03月14日 | 生活・ニュース


 向かいの長く続いている自転車店が新しい住まいを建てるため住居兼店舗の解体が始まった。作業は小型重機が蟹の爪を振りながら進んでいく。これまで、通りすがりに見かける重機による家屋解体は、解体というより壊している、崩していると思っていた。目の前で進む作業を眺めていて、これまでの思い違いに気づいた。

 自在に回転するクラッシャー、蟹の爪が解体部分をしっかり掴むとオペレーターはそれをゆっくり引き寄せる。と、掴んだ部分だけが取り外され、その周囲が大きく崩れることはない。柱を取り除いても様子は同じ。どの箇所も同じ状態で解体される。そこには計算しつくされた解体手順がオペレーターの頭にあるようだ。見ていて大きく崩れ落ちることがなく、もうもうと立ち込める土煙を期待したが裏切られた。

 解体した残骸をクラッシャーが木材、金属、土壁とその中に埋没している残骸などそれぞれに分別する。見ていると人手と同じように動き確実に分別している。仕分けた残骸は待機した運搬車へ積み込む。そのスピードも処理する量も人手ではとてもかなわない。トラックに満載の柱などが廃材処理工場へ運ばれていく。燃料用ペレットになり再び利用される。

 小型重機ながらその強力な粉砕力を発揮かと思えばと細かな仕事もやりつくしている。オペレーターの「この重機は手足のように動いてくれる」という話に、操作術を超えた一体感を感じる。自転車の数々がところ狭しと並んでいた店舗、今は広々とした空間がその時を待っている。
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春待ち

2015年03月13日 | 自然 季節


 「芒」と書いて「すすき」と読む。このイネ科の多年草は土手や荒地などに大群落を形成する。秋の七草のひとつで、その季節の姿,特に中秋の名月にこれを供える風習は今も見られる年中行事になっている。供華として捧げた芒に月の神が降りてくると信じた名残という。

 青い葉の芒を青芒と呼ぶ。そして供華として捧げられる芒の最盛期を過ぎるとやがて寒風にさらされると枯れ芒と変わる。芒の1年は人生のドラマに例える人もある。冬の枯れ芒の風情は捨てがたいと詠む人もある。

 川沿いの遊歩道から見える中洲、冬枯れ芒の大群落、その近くに咲いている黄色な群れから離れて来たのか菜の花が一株咲いている。春めいた日ざしと一緒になって、早く青芒になれと囁くように揺れている。自然の巧みな演出を眺める。

 そんな群落のあちらこちらから姿は見えないが小鳥の鳴き声が聞こえる。春に向けてウオーミングアップしているのだろう。冷たかった川風を心なしか暖かく感じ、春本番の近いことを予感させる。
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イキナクロベイ

2015年03月12日 | ウオーキング 散歩

 春日八郎の歌った「お富さん」。「イキなクロベイ ミコシのマーツに・・・」の出だしの「粋な黒兵衛さん」とはどんな粋な人だろう、そう思いながら気持ちを入れて歌っていた。そんなある時「黒兵衛ではなく黒塀」と知ってからは歌わなくなったという歌の上手い知人がいた。確かに、黒兵衛ならぬ黒塀では歌への思いは変わるだろう。野暮な私は「粋」という言葉には憧れるとこがある。

 その黒塀とは「黒い塗装は渋墨塗といって、柿渋と松の木を焼いた煤(松煙)を混ぜたもので、防虫・防腐・防湿効果がある他、建物の化粧として屋内外に用いられる日本古来の伝統技術」という。低粘度の液状で刷毛で塗布する。これは含浸して着色するので塗膜を作らない。塗膜を作らないから木目や節などがくっきり浮かぶ。この日本伝統の技術も消滅に近いという。

 知人の大工は木造の家を手掛けている。完成したそれを見学したときにこれまで知らなかった匂いに気づき訊ねると「柿渋」の匂いという答え。これまでに見たことのない色合いだったように記憶する。「年数につれ黒味が現れる」と誇らしげに話した。あの家はどんな落ち着きのある家に変わっただろうか。

 散歩道に黒塀と思うそれに囲まれた屋敷、それは元割烹で門の両側の黒い板塀の家。そこにはお富さんはいないが、宮本武蔵に登場するお通のモデルになった仲居さんがいたという話が伝わる。京都では茶屋街で黒塀の観光が楽しめるとか。粋な姿で宴席を設けてみたいが、黒塀は丁寧にお断りしてくるだろう、場違いですと。 
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