日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

桜の開花

2019年03月21日 | 自然 季節

 今日は春分の日で彼岸の中日、墓参りをするのは昔からの日本の風景だが、最近は葬儀なし墓なしの風潮もあるようだ。でも墓地購入を考える人を多く、入手困難ともいう。春分の日は「昼と夜の長さが等しくなる日」といわれるが、昼間の方が少し長い。ちなみに当地の日の出では6時14分、日の入りは18時23分で9分余り長いことになる。雨足が墓参りの足を鈍らせたか。

 ここ数日、染井吉野の開花を待ちわびるテレビ局は、必要以上に繰り返し桜待ちの様子を伝える。桜の開花を誰もが楽しみにしているが、あそこまで報道が必要なのかと首を傾げながら思う。今日、東京の標本木が開花したそうで少しは静かになるかと期待している。

 エッセイ同好会の花見は27日、錦帯橋上流の桜公園で予定している。桜の開花は、2月1日から毎日の最高気温の累計が600度になると開花する法則がある。会代表Oさんの緻密な計算によると開花は22日、明日が開花の日にあたる。すると27日の花見の日は3分か4分咲きくらいが期待でき、楽しめそうだ。茶店もオープン、週末から賑わいそうだ。

 春の彼岸のころに、淡紅色の花を開く桜は彼岸桜。普通なら染井吉野より先に開花する。市北部、錦川沿いに1本の彼岸桜がある。ここに棲みついたいわれは分からないが、良く知られている。満開にあと一歩という咲きぐあいだが、下を流れる清流の音を聞きながらその日を待っているように見える。全国で桜開花を待つがこの時期は菜種梅雨が心配、雨よ一休みしてと願う。
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追走に学ぶ

2019年03月20日 | 生活・ニュース

 国道187号は国道2号と9号を重複した全長73㌔ほどの一般国道。岩国市内から錦川とその支流の宇佐川に沿って北上、分水嶺を越えて島根県に入り高津川に沿って益田市へ至る。竹下元総理は187号を「いやな国道」と表現し、講演会場の聴衆から拍手が起きた。それはカーブの連続、片側1車線、道幅は狭い事に由来する。しかし、幹線道としてなくてはならない。

 そんな国道を片道約40㌔、錦川上流に向けて走った。市街地を抜けたところで大型タンクローリーに追いついた。そのうち、全線追い越し禁止区間、前車が譲ってくれるまでローリーを追走することになる、そう覚悟すると、追突しなければ安全走行になると追走を始める。追走しながらいろいろ観察した。

 対向車がなければ右側タイヤはセンターラインを右側にはみ出して走行する。それでも左側タイヤは路側帯の白いラインすれすれ。対向車が来ると減速し左へ寄る。急カーブで大型車と離合の時にローリーは人の歩行ほどまで減速した。ローリーは40㌔後半から50㌔前半の速度キープ、そんな走行状態なので後続は渋滞になる。

 そんな追走が20㌔くらい続いたところでローリーが左に寄って停車、一瞬目の前が開けた感じになった。ひょっとしたらいつもこの場所で追走車をやり過ごすのかも、そう思いながらアクセルを踏んだ。予定した到着時間より10分遅れた。大型車起因の事故は大事故になるが、追走したローリーの安全な運転に、慣れた道でも慎重さを忘れないこと、高齢者免許の教えを再確認した。
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清濁併せのむ

2019年03月19日 | 生活・ニュース
  名前の知れた人のブログに「水清ければ魚棲まず、という。釣りを始めてしみじみ思うようになった。あんまり清く透明な水のところには魚がいません」とある。私は釣りをしないのでわからないが、続けて「あまり清廉すぎると、人に親しまれず孤立してしまうこと」を意味しているようです、とある。

 続けて、魚に絡めて「清い」とはどういうことかを述べてある。綺麗な水の流れの中に魚はいるが魚影は濃くない。歴史の中では純粋な青年たちの組織には、笑顔とかふくよかさとか、豊かさがない。綺麗を突き詰めていくと生きものの気配が無くなるのではないか、とある。清からずの状態の水では小魚、藻、水草など生態系が出来る。あくまでも釣りを絡めた話だが、濁りすぎはいけないともある。

 現役のころ、製造部門から事務系のある部署へ異動になった。警察官の経歴をもつ10数歳年上の人から「この職場では清濁併せ呑む心構えが必要」と経験を交えて教えられた。退職までの20年余、何度か善いこと悪いこと、良い人悪い人、綺麗かそうでないか、そうした苦しい場面をなんどか経験した。苦労したのは濁を避けずにそれにどう対応するかだった。

 清すぎては生きものの世界が無くなる、と先の人は例示している。清すぎ無ければいけない世界、濁りを許してはいけない世界がある。それは政治だ。特に最近の公文書隠蔽や改ざん、答弁拒否、知らない、記憶にない、総合的に判断などは絶対に子どもには見せてはならない、真似して欲しくない場面だ。国地方を問わず政治家は国民住民のための政策を遂行してと願う。
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彼岸の入り

2019年03月18日 | 生活・ニュース

 正岡子規の句「毎年よ 彼岸の入りの寒いのは」、これには「母の詩、自らの句となりて」という前書きがあり、お母さんの口癖が俳句になったという。三寒四温は春来る前の寒暖の周期を表した言葉である。今年も、句にあるような異常な天気が全国的な話題になった。では何が正常で好ましく、何が好ましくない異常なのか考えると、三寒四温は気持ちを落着かせる言葉のように思う。

 先日の例会で「椿と山茶花の違い」の問いにズバリ即答ある。そんな椿の句「赤い椿 白い椿と落ちにけり」という句、「赤い椿がポタリと落ちたかと思ったら、白い椿もポタリと落ちた」だけの何でもない句、と思ったら、正岡子規は「ありのままを描く、その淡々たるところ」が評価できるという。素直に聞けば何も言えない。

 「暑い、寒い」「正しい、正しくない」「美しい、美しくない」、そんな判断は自分の価値観の中でしかも物事を見ていないと指摘される。そのことが、都合の良いときは自分の手柄、それが悪いときは他人の落ち度と非難することに、悲しいかな人の醜さがあると賢人は言う。

 今日は彼岸の入り。三途の川の向こうは仏様の世界で彼岸と呼び理想と悟りの世界、我々の住むこちら側は此岸(しがん)といい四苦八苦を繰り返す世界という。春分の日の3日前を彼岸の入り。では春分(秋分)の日を決めるのは、昼と夜が同じ長さの日ということで国立天文台が決めている。この日は太陽が真西に沈む、浄土は西方にあると説かれたことから、先祖供養として墓参りが始まった、という。
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終活 身近なことから

2019年03月17日 | エッセイサロン
2018年3月17日 中国新聞「広場」掲載

 両親と遠く離れて住んでいる知人が、父の死後、残された母へ引き継ぐ手続きで苦労したと聞いた。そのことから、私も終活として、妻を置いて先立つ前提に整理を始めてみた。
 そんな時、14日付くらし面のこだま欄に、夫を亡くした後の諸手続きを息子が確実にこなしたことへの感謝がつづられていた。迅速な手続きにより残された者の生活が安定し、安心して次のステップへ進めることを確信した。
 私は生活に直結することから始めている。月々の生活費支払い、公共料金に税金など、かつては人が行っていた集金が、全て金融機関の引き去りに変わり、この変更だけでも大変な数になる。新聞やテレビ、ライフラインなど生活に欠かせない契約の名義変更も大切な項目と気付いた。
 手続きは慌てると抜ける恐れがある。妻や離れて暮らす息子が困らないよう丁寧にまとめようと苦心している。集金人と楽しそうに会話していた母の顔を思い出しながら。
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連写の練習

2019年03月16日 | 生活・ニュース

 最近は事件や事故現場の映像で、カメラマン到着前の状況がふんだんに放映される。デジカメやスマフォによるアマチュアカメラマンの記録だ。咄嗟の出会いなのに、プロカメラマンの映像に負けない迫力や緊迫感、状況が良く撮られていると思う。カメラ性能の充実はあるが、誰もが日頃から撮り慣れているのだろう。

 プロ野球はまもなく開幕、オープン戦のカープはまずまずというところだろう。ところで、プロ野球の1試合で新聞社はどのくらい写真を撮るだろうか、ある新聞では、数えたことは無いが最低でも8千枚は撮るだろうという。紙面に載るのは多くても1チームで数枚、残りは没と保存、日本の全新聞ではどのくらいの枚数だろう。

 カメラが良くなっていることと合わせ、これほど写せるのは連写という機能が大きく寄与しているのだろう。記者会見の場面では音声が遮られるほどほどシャッター音がする。プロでも連写であれほどの数を撮らないとこの1枚が生まれない。素人はなおさらのこと訓練しなければならない。フィルム時代ではないので挑戦は出来る。

 ある会で、その連写に挑戦した。最新のカメラに比べれば遠く及ばない年代物ではあるが、長年使っている相棒で試した。対象に動きがある時の連写は、頭では分かっていたつもりだが確かに手ごたえのあるものが写せるようだ。顔や手に動きがあるシーンを連写すると、没が面白いほど写っている。いつかこの1枚が撮れる、そう思いながらまた挑戦してみよう。
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書いた責任

2019年03月15日 | 生活・ニュース

 たまに、「そういえばいつだったかブログに載せた」と思い出し検索して呼び出す。「そうかそうだったか」と反省したり、状況が変わったから今ならこういう風に書くかな、などと自分の書いたものを思い返すことがある。また、やってみようと書いているが実行していないぞ、などの反省をしながら苦笑することもある。

 お世話になっているこのブログには「リアルタイムアクセス解析」として、今、何人が私のブログを訪問しているか、それはどのページなのか、そしてアクセス中のブロガーさんも分かり楽しい。そんな中で2件の古い記事への訪問が最近多い。それは「清流みはらし駅」「米廣杯テニス大会」。ちょっと探ってみた。

 みはらし駅は今月19日開業に決まったという報道の影響だろうか。PR的についたのは「秘境駅」という。駅の周囲に住む人はなく、車や歩いてアクセスする道もない場所、定期便は止まらない、そんなところから秘境とついたのだろうか。ここにはイベント列車だけが短時間止まり、乗客はホームに降りるだけ。不思議な駅に地元の人も首を傾げる。

 テニス大会は冠大会で冠の人は「米廣」さんで知人の女性。かって実業団で皇后杯を数回獲得した元選手。地元紙の後援を受け今年は26回目という。ネットで大会の様子を検索する人のアクセスが数字になっているのだろう。ちなみに大会は明日、運動公園で開かれる。こうしてみると書き込んだことには責任がある、あらためて思いながらアクセス解析を見ている。
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酒蔵の杉玉

2019年03月14日 | 町かど

 市内に「金冠黒松」を主力ブランドにする酒造会社がある。そこは金冠黒松発売50周年記念の2009年、初めて杉玉を作った。直径5㍍、重さ4㌧という日本一の大きさは迫力がある。本社敷地の広い入口には「自由にお入りください」と標識がり、何時でも誰でも見ることが出来る。その杉玉が掛け替えという記事を見て通りがかり立ち寄ってみた。

 6年ぶり2回目の掛け替えは、市民が作業体験できるという。そこでは、伐り出した杉枝を、球形に組み合わせた鉄パイプと金網に手で差し込むという。作業中のく杉玉は櫓につるされ半分くらい新しい杉枝が差し込んであり、取り付けを待っている杉枝が積まれていた。今月下旬に完成というからもう少しかかる。作業参加者には木升と酒粕500㌘がプレゼントとありとか。

 杉玉は日本酒の作り酒屋でこれを軒下に吊ることで新酒が出来たことを報せる役割を追っている。吊るした時の杉玉は蒼々としているが、やがて枯れて茶色に変わる。この色の変化が新酒の熟成具合を示す物語と言われる。同酒造の昨年の酒祭りで見たときは熟成酒を思わせる茶に代わっていたが、今年は蒼とした爽やかさが楽しみだ。

 杉玉にはいろいろな言い伝えや歴史があるという。また、日本酒の起源は縄文・弥生時代からという説もある。そんな伝統を守って来た酒蔵、民家の背丈をはるかに超え、白壁が焼杉の板に囲まれたそれは風情を感じる姿だったが減少し残念だ。杜氏の代わりにITが酒作りを担う時代、杉玉の吊るしは続くだろうか。
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食べつくしの後

2019年03月13日 | 自然 季節

 春近くなってヒヨ、正確には「ひよどり」の来訪が激しい。縄張りを侵攻されたのか、けんか別れで追い出されたのだろうか。異を見れば何でも人の世界の醜い場面に置き換えてみようとするのは悪い癖だろうと思うが、都合よく理解しやすいからと言い訳する。鳴き声が「ひいよひいよ」と聞こえるので「ひよどり」と呼ばれるようになったのだろうか。

 今年もメジロに食べてもらおうと置いたミカンは大方をヒヨが横取り、自然界の生き物の強弱関係を今年も変わっていない。そのヒヨも大慌てで逃げる一瞬を目撃した。ヒヨを追った鳥の名は分からないが、トンビくの様に見えた。その時のヒヨの様子はメジロが飛び立つに似ていた。

 そんなヒヨが南天を食べつくしてくれた。あの大きな体でゆさゆさと揺れる南天にうまくのかって起用に食べる。ガラス戸越しに撮ろうとして少しでも動こうものなら飛び立つ。どのような警戒監視機能を持っているのかと思う。 ミカンをついばむ姿は撮っているが、ブウラブウラしながら南天をついばむ姿はとうとう撮れなかった。

 野鳥も花や木の実を食べるだけでなく、それらが広く分布し栄える種の拡散を手伝っている。ミカンを置いていた付近にはいくつもの実を残している。狭い庭でも植えた記憶がないのに新しい芽を見ることがあり野鳥の置き土産とわかる。毎年やって来る鳥、由縁あるのだろうか、聞いてみたい。
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とんぼ返り帰省

2019年03月12日 | 生活・ニュース

 帰省した孫を新幹線の駅へ迎えにいく。乗車して第一声は「おばあちゃんの体調は」という優しい心持の問い。「今日は会えるから元気だよ」という返事に「良かった」と安心した表情に、運転しながらほろっとはしなかったが、優しい気持ちが嬉しかった

 2カ国、半年余の留学。帰国して幾つかのレポート提出が終り報告にやって来てくれた。留学は卒業要件と聞いており欠かせない学習のひとつと知ってはいたが、初めての世界でどんな生活をしているか気にはなっていた。便りのないのはなんとかという諺を信じ待っていた。「ただいま、今、関空に着いた」という電話の声からひと月半、元気な様子にほっとした。

 学んだこと、自炊の苦労、物価が高い、新しい友達と訪日で会う約束、楽しんだ小旅行、マイナス20度近い気温の経験まど、全て耳新しい内容ばかりを楽しそうに話す。話す姿から、留学から多くのことを学び、それなりに自分のものにしたんだと思った。心配していた乗り物酔いについて聞くと、笑いながら「飛行機で14回移動した」と外国の地で克服したようだ。

 滞在中、生活の中で日本語は「留学先の日本語科の学生に指導」以外は無かったという。そんな中で生活を含む情報はどう入手したかと聞くと「全てスマホひとつから、不便はなかった」と答えるが、私には想像出来なかった。成長し大人びた孫は安心を残して夕方に帰っていった。
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