日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

祝賀行列の儀

2019年11月10日 | 生活・ニュース

 午後3時前、出先から徒歩で帰宅する道すがら人影は全く見られず。いつも閑散とした通りではあるが、何か感じが違う。それに促されるように私も少し急ぎ足で帰路を急いだ。

 今日は天皇御即位の「祝賀御列の儀」。上皇陛下上皇后御成婚のころにこの地ではTVが受信できるようになり、地方にいてその祝賀パレードがみれる様になった。1959(昭和34)年4月10日と思うが、その日は仕事で中継を見ることは叶わなかった。その後の祝賀パレードはチャンスがなく見ていない。

 帰宅したら中継は始まっていた。厳粛な行列のなかに今風の光景が織り込まれている。天皇皇后両陛下の親しみに満ちた姿が画面に満ちた。沿道で祝福する皆さんと言いたいが、撮ることに夢中な姿もこれまた画面に映る。同じパレードがこの次いつか分からぬだけに貴重な映像記録になるだろう。

 無事に終了し関係者は安堵されただろう。中継を見ている方もそれに似た気持ちだった。録画できないこともあり、中継画面からしっかりカメラ撮りをした。編集をして残しておこう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

だんだんと

2019年11月09日 | 町かど

 最近、開院した医院の建物について「なんで和風何だろう」と商売をしている知人が話す。2年くらい前に近くに開院した別の医院はチョットモダンな洋風の造り。病院や医院が建つといえばそれなりの洋風建築、それは開院に当たり折り込まれるチラシを見ているとそういう先入観をいつの間にか持ってしまう。

 先の和風医院は風致地区に位置することもあり和風にされた。風致地区では建築にある種の規制があり、思うがままの建築が出来ないことは、父が新築の時に経験した。数十年も前のことだが法律は生きているようだ。先日、この医院の場所をすぐ近くで尋ねられた。目の前ですと教えると「エッ、これ」と言う返事。洋風建築を想像されていた、黙っていたがそう感じた。

 商売をしている知人は続ける。後継ぎ、後継者不在で空き家や解体が増える。この地区は古い町並みで、一軒ごとの間口が狭く次の活用になかなかつながらない、だんだんと寂しくなる通りを気遣う。近々ドラッグストアの建設が始まるとして準備が進んでいる。活性化になるのか見守りたいと話す。

 確かに、解体された家屋の隣家を保護するのためにブルーシートを張られた家が目につく。その家が空き家となり、ブルーシートはほころびその用をなさず、風に揺れる姿もある。「町や通りの賑わいは人がいてこそ成り立つ」親の代から70年続いた専門店を閉めた同期は、個人商店の技量だけでは大型店に勝てない社会変化を痛感していた。今日も解体準備中の家を見た。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝の冬

2019年11月08日 | 自然 季節

 今日から暦の上の立冬で冬が始まる。立冬という言葉は何か厳しい響きを感じるが、明け方は冷え込むが寒いというほどではなく、日中は穏やかな日差しで公園を散策する人も多かった。カメラを2台3台と持ったアマカメラマンの姿を多く見た。狙いは紅葉谷公園だが、作品にするにはモミジやイチョウの色変わりが物足りない。それにしてもすごい装備でのお出ましに驚く。

 「立冬に変わり『冬はじまる、冬来る、冬に入る』などと使うと、静かにしみじみと冬の来たのう『うべなう』思いが感じられる」。立冬について書かれた一文が目に留まった。このなかの「うべなう」という言葉に初めて接した。うべなうは「諾う」と書き「いかにももっともだと思って承知する、承諾する(広辞苑)」、明鏡国語辞典では「承知する、同意する」とある。ここでは広辞苑に軍配。

 「今朝の冬」、これは立冬の日の朝をあらわし季語になっている。紅葉までもう一息のなかで、冬らしさを感じたのは赤茶けた草紅葉の一角。以前は一面という広がりで楽しませてくれた草紅葉、河川改修などでその居所を追い出され失い、狭い範囲でしか見られなくなった。いつか復活しそのたくましさを見せて欲しい。

 暦では冬入りだが、日本のはるか南の太平洋では台風23号(ハーロン)が発達している。これは15号や19号より強い勢力で、今年最強で、まだ発達しており史上最強となる観測もあるとか。冬入りなのに強大な台風、北海道では冠雪、どんな冬到来になるのか、温暖化の影響なら止める手立ては人間の知恵しかない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

礼状に思う

2019年11月07日 | 地域

 月2回、高齢者ばかりの陶芸同好会がお世話になるのは「由宇ふれあいパーク」、仲間うちでは「ふれパク」と呼んでいる。施設は海抜500㍍の位置にあり、晴れた日には遠く四国の山並み、日によっては石鎚山が見えることもある。眼下には波穏やかな多島美の瀬戸内海を行き交う大小の船が趣を添える。

 通い始めて12年になる。毎年、年の瀬近くになると翌年の干支をつくっているが、今年で一巡することになる。いま教室には何十匹もの創作ネズミが誕生を待っている。これだけのネズミが誕生すると、教室は一段と賑やかになるのでは、そんな心配をしている。令和初の歳末が穏やかであれと願っている。

 ふれパクは企業や専門学校の新人教育、校外授業の児童生徒、各種同好団体などなどが多種多様な利用方法をしていることがHPやフェイスブック、施設内に掲示の写真で分かる。その一つに、児童生徒らの礼状がある。クラスや学年単位で綴られたものや壁に貼られるなどしてエントラスに展示されており、自由に読むことが出来る。

 施設周辺の自然利用は、児童生徒らには体験型の教育訓練に最適な施設と思っている。それを経験した喜びや感動を綴り、思い出になった、また来たいなど職員の指導に賛辞を送っている。終戦直後に小学校入学の自分には隔世の感があるが、共同や団体生活が叫ばれる昨今、これからの生活の糧に、ふれパクでの体験が活かされていく、礼状の字間にそんなことを思う。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お節注文のころ

2019年11月06日 | 回想

 台風15号に続く複数の台風は東日本に大きな被害を残した。復旧はこれから始まる、全国からの応援支援が求められている。応援の一つとして、被災を免れた観光地への来訪を促がされている。街頭で「被災で難儀されている人の地域へ、支援になるとはいえ旅行するのは何となく」という声があった。心情としては私も同じだ。

 一方で、ハロウィンの諸々が店頭から消えると令和初の新年を迎える商戦が始まっている。その第一弾がお節と年賀状印刷の案内が、今だと早期申し込みで割安になると店内に流れる。そんなお節のチラシを持ち帰る人を何人か見た。展示されている見本はどれも豪華で年頭を祝うにはおあつらえだ。

 我家のお節は手作り。子どもころから結婚して20数年の間は親元ということで親戚中がやって来る。勿論、今のような世情ではないから全て母、結婚してからは妻が作っていた。やがて叔父叔母らは遠のき、弟妹も子どもが嫁げば親元となり、わが家の務めて来たことと同じ経験をしている。私ら夫婦、最近、ようやく静かな年末年始を過ごしている。

 展示の美しく豪華なお節を見ながら、昔のわが家のそれは煮しめ中心ではなかったかと思い出す。蓮根、人参、大根、こぶ、コンニャク、ゴボウ、里芋、焼き魚など身近にある物を煮て並べた物だった。それに色を添えたのは押し寿司だった。妻に代替わりし材料が少し変わり見栄えが明るくなった。そんなことで妻は年末年始里帰りしたことは無かったが、今はそんなこともあったという思い出になった。静かな年末年始を願っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出会い3つ

2019年11月05日 | 生活・ニュース

 今朝の市内アメダス観測の最低気温は06:59の5.8度、この秋1番の冷え込みだった。最高気温も20度を下回った。それでも今年最後の3連休が終わった今日も、名勝・錦帯橋や吉香公園は大勢の観光客で賑わっていた。名所の紅葉谷公園の紅葉は色付き始めた木もあるが「見ごろは10日くらい先でしょう」、観光客の問いに案内の人が答えていた。

 公園で3つの出会いがあった。初めは、国宝・吉香神社傍の通路に、真っ白なツツジが2輪咲いていた。この辺りはツツジの頃にはよく写真を撮るが、寒くなって咲いた花は初めて見た。撮っていると、観光の人らも「珍しい」と言いながらシャッターを押す。もしやインスタグラムでは見ることが出来るかも。

 秋の七草のひとつフジバカマ(藤袴)が公園には複数個所ある。花の色が藤色で花弁の形が袴のようなので、この名雨になったという。藤袴と言えば旅する蝶のアサギマダラになる。今年何度か尋ねたがチャンスに恵まれなかった。今日は10数頭が舞っていた。旅する蝶をご存じない観光の人も多く、話を聞いて撮る人も多い。南に向かって2千㌔の旅へ飛び立つ日も近い。

 アサギマダラを撮っていたら声を掛けられた。その人は、新入社員で私と同じ職場に配属された女子社員。昔は普通だった寿退職をして専業主婦となった。だから出会うことは無かった。私は退職して足掛け20年になるから、それプラス何年か前の別れだった。頭髪も薄くなった私がよく分かったと驚く。彼女は車いすの同僚を娘の様に世話する心根の優しい社員だった。今日は最近にないいい散策になった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いろいろ出没

2019年11月04日 | 地域

 市内中心部付近に連日のように出没するサルの目撃情報と出会った時の注意点が繰り返しメールに届いた。目撃した人から「可愛いサル」と聞かされた。その話しぶりからよほど可愛サルだろうと想像していたがそのサルは捕獲された。騒ぎがおさまったかに思っていたら、中心部から南の地区での目撃情報が続く。わが家の屋根にいるのを目撃したという人は、近くに幼稚園があり心配と話していた。

 年中さんくらいの女の子とその両親が花壇の周りで作業しているところを通りかかった。「綺麗になります。植え替えですか」と声を掛けたら「モグラがみつからない」と子ども。花壇の縁を10数㍍もくらの通った跡があるので掘り返してみたという。「モグラがいないことは分かっているが、娘が探すというのでおつき合いです」と母親が笑う。娘さんの自然への関心を高めさせる若い両親だと思った。

 農作物を荒らすイノシシの話は珍しくない。しかし、出没の形跡が途絶えると「どうしたのかといらぬ心配をしている」と畑仕事中に笑っていた人がいる。その畑に久しぶりに出たというイノシシは畑の法面の上部を何十㍍も耕した。作物に被害は無かったが、法面の損傷は雨で崩れるので補修するという。何にしても厄介な農獣ということになる。

 建てた家に引っ越したばかりの頃はノラ猫に餌やりする人があり溜まり場があった。その頃は毎日の様に臭い臭い置き土産に悩まされた。その餌やりが途絶え置き土産の悩みは消えた。ところが最近首輪をつけた猫が徘徊をはじめ、ときおり置き土産をしている。ネコが嫌いというスプレーを土産のあたりに吹き付けた。今のところスプレー効果はあるようだ。生き物も生きていくため頑張っている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

週刊誌的身体検査

2019年11月03日 | 社会 政治

 また週刊誌の報道で大臣が辞任した。報道は議員としてあずかり知らないことと弁明しながらの辞任。何人もの閣僚が似たようなことでやめている。その際、辞任に当たって「内容を調査し説明する」と釈明するがその例に接した記憶がない。辞めてしまえば後は「俗にいう頬被り」を決め込み、調査したかも不明で内容は明かにしない。庶民は国会答弁でよく使われる総合的に判断し報道は事実だと決める。

 報道が事実無根ならそれを説明すべきだし、報道が名誉棄損であれば訴えてでも身の証を立てて欲しい。選良と自負するからにはそれくらいの覚悟でいて欲しい。そうでないと議員としての品性や風格に欠ける、また、人としての社会常識からずれることになると思う。発言や行動に疑問が出ると、真意ではない、説明不足として付け足したり撤回したりする。信念の薄さを感じる。

 週刊誌についてはいろいろな評価がある。自ら購入して読むことは無い。内容を知るのは新聞に出る広告の見出し、最近は発売前にそれらがネットで記事として流れるし、ワイドショーが取り上げるなど購入しなくてもおおよその内容が分かる。本当かいな、と興味を引くこともあるが、大方はそうなの程度で終わる。

 植物に見られる委縮病の様に発言が滞ってはいけないが、かといって、恰好いいと思わせるだけで中身のない言質もお断りしたい。ラジオ時代の「発言を聞く」ということから「映像で見る」時代に変わった。国会の委員会でパネルを出し「この様になっている」として質す。その昔は、それを言葉でいい表し質した。議員はもっと努力すべきだ。そして週刊誌に身体検査をされない議員になって欲しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

薪の季節感

2019年11月02日 | 自然 季節
 
 訪問する何人かのブログに「カレンダーが1枚になった」という表現がある。2カ月摺りのカレンダーかと思いながら読む。残り2枚と書いた人と、令和元年の残り日数に対する感じ方が少し違うなと思う。残り1枚は気ぜわしさを、2枚はちょっと振り返って、そんな違いを感じた。霜月に入った。

 北海道から霜月らしいコメントが届いた。「昨日今日 北海道は木枯らしが吹き 時折激しい雨が降るなどとても不順な天気になっている。今夜は峠では雪の予報で 車の冬タイヤ交換を急いでいます」。長い日本列島の緯度の違いを感じる。でも、散策途中で冬用タイヤの水洗いをしている人を見かけた。市内では早いと思うが、準備に怠りなしは安全に通じる。

 寒さが近づくと近くの商店の軒下に積み重ねられるものがある、それは薪。どこから運ばれて積まれどこへ行くのか分からないが、今は切り口の新しい薪、時期を見て準備されるのだろう。間伐材だろうか木の種類はいろいろだが、太めの割り方は火力がありそうだ。わが家も昭和30年代の半ばまでは薪が家庭燃料だった。祖父が割る、私ら子どもが運ぶ、そんな時代を思い出す。

 最近、ブームとまではいかないが、薪ストーブも人気があるという。あの軒下の薪もそんなストーブで働くことになるのかもしれない。先日見学した新築の家にも居間の隅に置かれ、屋根には煙突が立っている。昔は風呂に煙突だったが今それは不要に。煙突のある家は薪ストーブのある家か、見学しながら思った。子どもころ薪と言わずに「割る木(わるき)」と言っていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マラソンの曲折

2019年11月01日 | 生活・ニュース

 小池都知事は「今も東京がベストという考えは変わっていない。東京都として同意することはできないが、最終権限を有するIOCの決定を妨げることはしない。あえて言うなら合意なき決定であります」と、不満をにじませながら、五輪4者協議で表明したと報道されている。これで2020五輪のマラソンと競歩は札幌開催に決まった。

 五輪誘致に当たって「この時期は晴が多い、この時期は温暖である、アスリートが最高のパフォーマンスを発揮できる、理想的な気候である」、こんな宣言を誰が発したか多くの人は記憶している。五輪を締めくくるマラソンが、東京の気候を気遣い開催地変更をIOCが決定した時、札幌も暑い日があるだろうが、東京より選手のためにはいいのでは、と感じた。選手は暑い東京に耐える練習を重ねている。暑さ対策もしているのに、今さら変更は理不尽、その意見もある。

 マラソンは五輪の華と言われる。そこには短距離走とはまた違った妙を感じる。1964年の東京五輪の男子マラソン、その日、幸か不幸か交通事故で当て逃げされ負傷し休んでいる日だった。白黒のテレビ映像で観戦した。トップを黙々と走るエチオピアのアベベ選手の姿は今も思い浮かぶ。円谷選手が銅メダル、君原選手は入賞だった。

 都知事は「合意なき決定」と発言、解決すべき課題を今後どう処理して行くのだろう。解決の先送りが出来ないことを思えば関係者の知恵を結集するしかない。経験からこういう時には実務を担う人、決して表に出ない人らに大きな負担がかかる。マラソン愛好家としては、陰で支える人らの苦労に頼るしかない。9カ月後と差し迫った中での敢闘に期待します。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする