空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

LGBT問題と政党支持との関係のメモ

2018-09-19 14:53:08 | Weblog








 LGBT批判・否定は魂の殺人、というような広報の文句を正直に取れば、当然「「私は殺人は気持ち悪いと思う。しかしあなたがそうする権利は命をかけて守ろう」を等価の命題として捉える」理屈である。

 確かに、魂に対する重大な打撃のせいでその場で憤死するというのはありえることであり、傷ついた結果自殺するというのもわりとあることだろう。この点、肉体的にナイフで刺してみるのと同様だと捉えることはできる。刺してクリティカルヒット(心臓一発)で割と即座に失血死というのはありえるし、多少致命的なポイントをずれていて生き残るのもあるある事例だろうし。

 しかし流石にそれ、おかしくねえ?という感覚は結構ひろい支持をうけるのではないかと思われ、ここから各プレイヤーがそこそこ落ち着ける妥協点を探すことになろう。

 講義のネタとして大変ありがたい。

 個人的には、倫理問題としてはまああらかた片付いてるんじゃね?という感じであって、あとは政治的実践や社会的資源の配分をどうするか、合意がとれるか、という問題だと思っている。



LGBTのひとに生存権があるか?という質問は、あまりに愚劣過ぎて言う価値がない、というのが私の見解。あるに決まってんだろう。それ以外の回答があるのか、それは、と。

 他方で、あるカテゴリのひとを嫌ったりするのは個人の見解であって、しかしながらそれ自体を誰かが定めたあるべき鋳型にはめ込まなければならない、というのはファシズムとかなんとか、思想上の圧政だろう、というのもそのとおりだろう。

 麗しい理念上の平等は必ず押し通されなければならない? じゃあal-Shabab統治下のモガディシュ市民に教育してあげてください:

空野雑報 「いわゆる外国人戦闘員とはイスラムの兄弟たちである!」 2009-05-14

アルシャバブの政治部門指導者Sheikh Hussein Ali Fidowが記者会見で,外国人戦士は2006年にソマリアに来たのだと認める。「彼らは(2006年2月に,モガディシュで)軍閥とイスラミストとの間で戦闘が始まった時にやってきた(※1)。そして彼らはそのソマリの兄弟たちを救おうと決意したのだ」。
 彼は,自分は「ムスリムでないものだけが外国人だと」考えるとし,モガディシュの外国人イスラミストは「ソマリア解放の用意ができている」のだとし,民衆に彼らを「外国人戦闘員foreign fighters」とレッテル付しないよう警告する


 …『でも、肌の色がまるきり違うし、イスラム法解釈も違うし、言葉も違うし、その「イスラムの兄弟」はオレたちに銃を突きつけるんですけど?!』、そんな地元民の声が結局、al Shababを追い出してしまうことになる。もちろんal Shababとしては爆弾テロで対話を試みてきたのだが。

 差別はよくない。というか、良くない(不合理な、合理的な根拠のない)区別だから差別と呼ぶ。それはなくすべきであり、このこと自体は疑われない。

 ではあとは、現に不都合不具合を抱えている人々のサポートにどれだけの資源を割けるか、要相談―ということかと。
 なにか余裕とかなんとか見つけたら、それでできるだけのことを早急にする。そもそもカネがない場合はどうしようもない。特別予算がとれたらその目的に応じたことをする。それだけのことで、この点、おそらく一定の領域ではもはやプログラムじみた動きをしている。

 ―車椅子の学生のために、その主たる活動範囲からバリアフリーの見直しと展開をするのが本道であり、その学生が利用することがまずありえない場所(例えば別学科の建物とか)にエレベーターを設置するのは後回しでよい。いや、それはそれで正義に反するのだということは私も理解するが、だったら予算をくれ、という話である。

 で、まあ。

 恐らくは若い層の相当部分は、こういった意味での穏健リベラルになっており、それゆえに基本的には・多くは自民党を支持する、ないし自民党が全般的には勝利する程度の支持をよせる:

関連:「自動化のbotで十分な領域にあえて人間を多数投下する必要は薄いと思う(2018-09-06)」

 他方で「ホモwwwきめえwww」と言いたい人々もそれなりに(若い層にも)おり、この層もまあ(左派にとっては)保守どころか反動的な一部自民党議員に投票する:

関連:「自派トップに対する熱い人格攻撃(2018-07-30)」
関連:「やるまえから見えたオチではある:杉田水脈氏の(割と直接的な)安倍首相disり発言(2018-08-03)」
関連:「杉田議員への抗議の様相(2018-08-06)」

 そうして幅広い、複数の層の相互作用と妥協との産物でゆったりのたのた、自民党の政治は動いていくのだろう。

 他方、野党議員の一部は正義を論じ、こうした一部自民党議員を主たる自民党議員と見做して、またはそう聴衆に誤解させてマイクパフォーマンスに現をぬかす―ように見える。

 こうした状況を良くない、と私は評しよう。



 …いやそのね、じっさいね、安倍首相は子なしであって、あれほどまでに愛する嫁との愛の結晶を得られなかったという辛みを、それこそ骨身に沁みて味わったひとであって、少数者に対する配慮ということについては一定の期待をされるよなあのひと、という視点は持っておいたほうがいいよー…。
 …そういうところを無視して単なるマッチョ思想のぼんくら指導者扱いするから、こんどは自分がそうした幻影に囚われて現実認識が怪しくなるのだとおもうよー…。


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