空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

ヴィーガン放生会がはじまるか

2019-06-16 19:58:17 | ノート
 まあその、アレコレの必要からメモを取っているのである。



命と引き換えにお金をふんだくる男の子達」、なんてひでえヤツラだ!と思える作文だが、後続箇所を見ると頭を抱える:

糸満市のアヒル取り競争のアヒル達を助けようとする人が増えてから」という条件節が入っている。そして「「高く買ってくれないと殺して食べるおじいに売るよ」と脅かす少年も現れてる」つまり、ただのアヒルに、ただのアヒル以上の市場価値が発生したのだ。

 まあ、これ以前であっても、さほど趣味のいい祭りとはいえないだろう。
 ところが、これからは、旧来の祭りをそれなりにほそぼそとする(そのうち廃絶する)というコースはかなり弱くなり、むしろ外来の圧力団体・勢力に対して「我ら沖縄のアイデンティティ」を守ろうという保守反動が発生、祭りを維持しようとするであろうし、他方で「ヴィーガンwww」が無駄に高い金を払ってくれるため、はねっかえり若造連中が「ヴィーガンwww」に不道徳な商売を持ちかけることが増えることではあろう。

 さて、命をカネで取引する悪習は、どこからはじまったのだろう?
 まあ当然、主たる要因は不良少年ということになろう(だって、祭り自体が不道徳なら、そもそもそんな不道徳少年・不道徳大人だらけであるはずだからだ)。
 では補助的要因はいったいなんであろうかな、と。

 あと便利よね、ヴィーガンに売れば、どこかに放してくれるかもしれず、それはまた少年たちの誰かが捕縛してヴィーガンに売ってもいい。自然へのダメージは極限化されつつ、十分な富を持つ者たちから持たざる者たちへ富が移動する。このサイクル自体は、なかなか持続的ではなかろうか。

 なお同様の商売は東南アジアでも行われている。要は放生会だが、著名観光寺院の門前で、スズメやなんかを大量にカゴに入れて「売って」いる商売がある。

 そんな囚われた生き物を買い取り、放すことによって徳を積むという、そんな商売。
 私はしなかったが、しかし鳥たちもなかなか強かだとかとも聞いた。
 つまり、つかまっている限り、そこそこの食い物は確保される。そのため、味をしめた鳥はわりとわざとつかまるのだとか。



 大昔には我が子を目の前の車の前に放り込んで賠償金をせしめようとした―なんてのもあったわけであり。
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