空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

まとめて「ケガレ」枠に入れられてるのとちがうか

2019-03-10 22:15:30 | ノート




 そこらの観光客も怖い思いしているようですが:

 なお危うい認識、危うい発言としては「デモがなきゃ抗議する必要ないんだから」の論法をも挙げておきたい。なぜって、そりゃあ、そーゆー話にかんけーない人らとしては、『そうだ、このデモ?の連中がいなくなればいいし、このデモに突っかかってる連中もついでにいなくなりゃいいんじゃね?』ということになるから。

 つーか。
 大多数の人の認識では、デモなんぞやっとるよーなのは「アブナイひとたち」なのとちがうか。
 いやまあ、さすがに、何年か前の東京での反原発デモみたいなお祭りはおどらにゃ損、という人たちが多数いただろうが、何年も何年も延々でもやりつづけている向きは、流行もしらずわからず学ぶ気もないちょっとアレ扱いにならんか。

 で。
 警察は、そーゆー「アブナイひとたち」を「ふつーのひとたち」から取り分けるマーカーになってたりする、わけじゃないか。

 そもそも警察なんてものは、軍隊と同じで、なくて済ませられるならないほうがいい。軍人も警官も、詰め所で茶ぁ飲んで窓拭き掃除を延々やらされて、給料泥棒呼ばわりされてこそ平和というものである。

 その警察が休日のまっぴるまから街頭に出てこざるを得ないよーにするアレなひとたち―「はい、離れてー」とかいうのは、表現の自由とか意見表明の自由とかを阻害しちゃいけないよという思想的な意味のほかに、ケガレから身を離しておけという呪術的な意味合いさえ―すくなくとも無関係の庶民的には―あろう。

 で。
 そんな「ケガレ」にわざわざ好き好んで突っ込んでいって、『見たかい?! 一般国民のみんな! あんなケガレた存在など、ここで歩かせてはいけないんだ! ぼくはヤツラが歩けないよう、その目の前にこの身を投げ出すのさ!!』とゆーのも、同様にケガレに近いのと違いますかね、という。

 纏めて廃棄対象になるのと違いますかね。

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