京都の八坂神社前で暴動起きてんですけど pic.twitter.com/GYX1wIIfqf
— ゾノ (@ZONO0812) 2019年3月9日
右翼と左翼の方々が観光地で睨み合い、喧嘩したといった具合ですね
— ゾノ (@ZONO0812) 2019年3月9日
見た感じですが右翼の車の前に左翼の方々が寝そべって警察が止めに入ってそれでも収まりがつかず暴動に…といった感じでしたよ。
取材相手を選んでください。ZONO0812という人は「差別デモへのカウンター側」を「暴徒」と呼ぶような人です。認識が歪んでいる人に取材しても事実には迫れないでしょう。
— れお(仮名怜音/菜苦し/森野夏) (@Creo_que__) 2019年3月10日
人の多いところであんなことする連中とはヘイトデモをやってるほうですよね。デモがなきゃ抗議する必要ないんだから。あなた認識不足なのに色々いいすぎですよ。野次馬根性丸出しで恥ずかしいですね。 怖い思いをしてるのは差別されてる当事者なんだよ。https://t.co/K2xKCL14FT
— ADAM (@ADAM_ADAM919) 2019年3月10日
そこらの観光客も怖い思いしているようですが:
最高潮後に通りかかったんですが
— suomi→n (@naco_home) 2019年3月10日
許可する警察も警察だし
良くわかんない怒鳴り合いも嫌だし、
なぜ祇園でするのか意味不明やし
これで泣きそうになっていた観光客のケアは誰もしないし、もうやだって感じで観光客の背中さすって飴を分けて舐めてました。
なお危うい認識、危うい発言としては「デモがなきゃ抗議する必要ないんだから」の論法をも挙げておきたい。なぜって、そりゃあ、そーゆー話にかんけーない人らとしては、『そうだ、このデモ?の連中がいなくなればいいし、このデモに突っかかってる連中もついでにいなくなりゃいいんじゃね?』ということになるから。
つーか。
大多数の人の認識では、デモなんぞやっとるよーなのは「アブナイひとたち」なのとちがうか。
いやまあ、さすがに、何年か前の東京での反原発デモみたいなお祭りはおどらにゃ損、という人たちが多数いただろうが、何年も何年も延々でもやりつづけている向きは、流行もしらずわからず学ぶ気もないちょっとアレ扱いにならんか。
で。
警察は、そーゆー「アブナイひとたち」を「ふつーのひとたち」から取り分けるマーカーになってたりする、わけじゃないか。
そもそも警察なんてものは、軍隊と同じで、なくて済ませられるならないほうがいい。軍人も警官も、詰め所で茶ぁ飲んで窓拭き掃除を延々やらされて、給料泥棒呼ばわりされてこそ平和というものである。
その警察が休日のまっぴるまから街頭に出てこざるを得ないよーにするアレなひとたち―「はい、離れてー」とかいうのは、表現の自由とか意見表明の自由とかを阻害しちゃいけないよという思想的な意味のほかに、ケガレから身を離しておけという呪術的な意味合いさえ―すくなくとも無関係の庶民的には―あろう。
で。
そんな「ケガレ」にわざわざ好き好んで突っ込んでいって、『見たかい?! 一般国民のみんな! あんなケガレた存在など、ここで歩かせてはいけないんだ! ぼくはヤツラが歩けないよう、その目の前にこの身を投げ出すのさ!!』とゆーのも、同様にケガレに近いのと違いますかね、という。
纏めて廃棄対象になるのと違いますかね。
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