空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

「ウィルソンだって人種差別的思想ゆえに否定だよ!」って、キッツイな

2019-05-01 14:00:58 | Newsメモ
BBC Harvard abolishes 'master' in titles in slavery row 25 February 2016 By Sean Coughlan

House masters, in charge of residential halls at the university, will become known as "faculty deans".

 ”宿舎長”を”寮監”位に変えるわけだ。

It will mean changing the job titles of 24 members of staff - but will not affect other uses of "master", such as a master's level degree.

 マスター学位には影響しないというわけだが、じゃあどこまでが影響してどこから影響しなくていいのか、その判定する「今の」判断は将来、問われなおすことはないと、どうして信じることができるのか。

 私としては「バカかな?」とか思う。今まさしく、マスター学位の名称さえ変えてしまわなければ、将来、その革命的精神の不徹底の故に、今現在の運動家たちが処断されることになろうぞ―どうしてそう想像することができないのか。ちったあソヴィエト連邦史を学んだらどうだ、とか思うんだが。

 でまあ、そういう決定権、解釈権をだれが揮うか―





 ―ヘゲモニーをだれがとるのか、でまあ、多様な正義判定基準にひっかからない行動・表現をどうやって調達するのか。

But protesters have argued that whatever its original derivation, the word now has connotations of slavery.

 ―「いまのわたしたちのおきもち」が優先されるという。きっついな、それ。

Isaac Royall, whose money helped to endow the university, has been accused of burning slaves alive.」流石にそこまでの人物に由来する紋章は、あのう…という気分はわかるにせよ、そのひとの寄付したカネで大学ができてきたのは確かなことであり、その基礎の上に今のこの正義の感覚が形成されてきたのではあり、罪に対する贖罪にこれがならないのだというなら―

 ―贖罪だとまあ解釈してあげることを許さないというなら―そういう判断をだれが下すか、この権力の所在をも考えるべきだろう。

 …歴史に対する思い上がりといいたくなってくるな、これ―歴史学者側の立場では。

And there have been sit-ins at Princeton in a bid to rename a school named after Woodrow Wilson, because of claims the former US president held racist views.

 …あー…。ウッドロー・ウィルソンでさえ、その人種差別思想ゆえに排除されるべきと。そりゃすごい。うんまあ、1913-1921年大統領職在職であれば、うんまあ、人種差別思想を排除していてもおかしくはないだろう時期と、まあ頑張っていえばいえるが、そのウィルソンは民族自決だなんていう、その当時の”一流”諸国家の国際常識的にはトンチキ思想をぶちかました絶望的な夢想家さんじゃありませんでしたっけか…。

 …当時の常識的には差別される側だった黄色人種の立場からすると、こっちの見解に相当の理解を示してくれたウィルソンの思想的立場に敬意を抱き、彼の構想を破滅に追いやった人々に対する不信を強めるのではありませんかねー…。

But further demands for "safe space", where some students have called for the right to study away from attitudes or behaviour they find offensive, have been rejected by university leaders and others who have argued for the importance of protecting free speech.

 ただまあ、こうした運動で指導的な立場になれば、さしあたり数十年くらいは安楽に名士として生きていける見込みも立つわけであり、それに賭けようというのも個人の選択としてはまあ合理的なのかもな。誰の資源をどう奪って―なんてことから考えると、どうも後ろ向きの消費により過ぎる気がするけど。

関連:「ケンブリッジ大はその過去の奴隷貿易とのかかわりを調査する(2019-05-01)」

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown ()
2019-05-02 23:44:50
あとは、どう難癖をつけるかの勝負になる。

思うに、リンカーン大統領を人種差別主義者として、人身売買を試みた悪党として否定することも可能だ。
なにしろ、補償付き解放を提案してみたり、北部側についた奴隷州をひきつけておくためにも奴隷制を維持したりもしたわけだし。

だが、そうした言葉遊びは、はたして生産的だろうか?
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そりゃまあ、ジャンピングエルボーは問答無用でアウトだろ ()
2019-05-03 22:52:53
…のところに関連メモを書いたのでリンクしておく。

…うん…ある種の生産性はあるからこそ、それなりの合理性があるからこそ、生き残ってきた手法ではあろうけど。
誰の資源をどのように収奪し、しかしどのように納得してもらうかという説明体系をちゃんと用意しないと、「貿易」は成り立たない。

そこの戦略が、どーも最近のポリコレ棒乱舞のひとたちには足りないかなあ、というのが最近の感覚かなあ。
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