以下は大学の先生による所感。
で。私は過去、年長のひとの指導をしたときのことを想起し、うん、「強力な指導」は当人のためにならなかったなあと反省したり、回顧してみたり。
―とにかくまあ。
ある時突然「×××に書くことになった! 書きたいテーマはこれ。ノートはこれだけ。なんとかなりませんか!」と来るのだ。で、数か月でなんとかした。私の指導を理解して受け入れたものかと、まあ一応思ったが―
―突如、真っ当な論文を書くようになって、彼の評価は急に上がった―のかもしれない。「~に書くことになった!」が繰り返され、遂に書くものはないけど書かないといけなくなった!というところで私が代打で書くことにし、それで私が新領域に進出するはめになった。
と同時に、だんだん彼の指導を高度化することに、一応合意がなされた―はずなのだ。
ところが、評価が高まったこともあってか、だんだん彼は私の指導に反発するようになり―同時に「間違ってたらどうしてくれるんです!」と私を追及するようになった。いや、間違わないように書くんだし、間違ってたらそりゃまずは著者の責任だよ。でなきゃあ指導者の責任だ。つまり私だ。
そこで彼は離反して、私が教えた内容をできるだけ外して論文を書き―辞書が読めないことが露呈してしまった。
申請書や差し当たりの論文が「優秀」になっても、実力が伴わなければ、伴わせる気力も気合もなにもなければ、そりゃあ―不幸を呼ぶよなあ、と、そんな記憶。
同僚でも学生に「いい卒論」を書かせるために教員がテーマを決めてストーリーも決めて参考文献も指示してたっぷり添削してもはや教員の文章になっちゃって、みたいな人いるんだけど、これって何なんだろうなあと思って見てる。まあいいんだけど。
— desean takahashi (@desean97) January 10, 2021
これ、明らかに教員の文章だろ、みたいなのはよくある。で、発表会の時に質問するとなんにも答えられなかったり。自分の卒論じゃないんですわ。自分が何の作業をしたのかがわかってない。
— desean takahashi (@desean97) January 10, 2021
何がなんでも教え子に学振DC通らせようとするの、私は良いと思わない。教員が書きまくってさ。
— TM Takahashi (@tmtakahas) January 10, 2021
申請書だけが「優秀」になっちゃって、実力が伴っていない人結構いるからな多分。
それってその人の為になってるのか…と疑問に思う。将来的に。
で。私は過去、年長のひとの指導をしたときのことを想起し、うん、「強力な指導」は当人のためにならなかったなあと反省したり、回顧してみたり。
―とにかくまあ。
ある時突然「×××に書くことになった! 書きたいテーマはこれ。ノートはこれだけ。なんとかなりませんか!」と来るのだ。で、数か月でなんとかした。私の指導を理解して受け入れたものかと、まあ一応思ったが―
―突如、真っ当な論文を書くようになって、彼の評価は急に上がった―のかもしれない。「~に書くことになった!」が繰り返され、遂に書くものはないけど書かないといけなくなった!というところで私が代打で書くことにし、それで私が新領域に進出するはめになった。
と同時に、だんだん彼の指導を高度化することに、一応合意がなされた―はずなのだ。
ところが、評価が高まったこともあってか、だんだん彼は私の指導に反発するようになり―同時に「間違ってたらどうしてくれるんです!」と私を追及するようになった。いや、間違わないように書くんだし、間違ってたらそりゃまずは著者の責任だよ。でなきゃあ指導者の責任だ。つまり私だ。
そこで彼は離反して、私が教えた内容をできるだけ外して論文を書き―辞書が読めないことが露呈してしまった。
申請書や差し当たりの論文が「優秀」になっても、実力が伴わなければ、伴わせる気力も気合もなにもなければ、そりゃあ―不幸を呼ぶよなあ、と、そんな記憶。
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