教授が秘書を「一人前扱い」をせず、見下した態度をとったらパワハラ。秘書の雇用環境に配慮するのは、上司としての義務でもある。外部からの人もなげな扱いを放置するのはその観点から問題だし、研究費支給団体の威を藉る狐のような輩とは完全に手を切った方がよいのではないか、と考えつつあります。 https://t.co/8TM8KMntgO
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2018年4月6日
「アメリカ研究しているんだから当然英語完璧なんですよね」という完璧じゃないことを知ってて言ってくる人にウンザリだったのだが、ある日ふと、これはある種の示威行為であり、マウンティングの一種であり、背景に嫉妬があると気づいてからは、荒ぶる相手の心を鎮めることで満足するようになった。
— オッカム (@oxomckoe) 2018年3月31日
「これはある種の示威行為であり、マウンティングの一種であり、背景に嫉妬がある」、卓見と思う(のは、私もこの結論に至った、ということを背景にしているかもしれない)。
「荒ぶる相手の心を鎮めることで満足するようになった」というのは、部分的には分る。稀に20,30分付き合ってあげる程度なら、まあ、そんな気にもなるんだが、丸一日とか強制的に付き合わされたりするとなあ。
「分かり合えない人がいる」ということは「話すだけ無駄なことがある」ということで,ここから「意見が対立した場合に話し合って考えを改めさせる行為は無駄になるリスクがある」という結論に繋がります.
— M. Morise (忍者系研究者) (@m_morise) 2018年4月3日
特に人の価値観って難しいからね.あれは合理性ではなく感情の問題だから衝突も多いし,意見を改めさせるのは簡単ではない.というより,改めさせる必要もない.
— M. Morise (忍者系研究者) (@m_morise) 2018年4月3日
『安倍首相の悪口を言わないお前は人間的に間違っているマン』とかに、こういう諦めの気持ちを持って欲しい気がしますけど、まあ無理なんだろうなあ。
「自分が(お金や運動神経等の面ではなく)道徳的/倫理的/人格的に他人より優れている」という信念(思い込み)はスゴい脳内麻薬で、しばしば「他人を見下している自分」を正当化してしまい、判断を鈍らせる。元ツイートの内■樹センセなんかは、その典型。 https://t.co/0R1JA5h7dj
— 大杉 謙一 (@osugi1967) 2018年3月29日
これ結構重要な論点で、「道徳的優位性」という発想は(その用語を使うかどうかはともかく)、左派右派問わず、多くの論者の論調を無意識のうちに歪めているんですよね。 https://t.co/xUZ8HqDKHc
— 大杉 謙一 (@osugi1967) 2018年3月29日
昨今良く見られるような問題点である。
わかり合えない人とわかり合おうとするために労力を費やすよりも,わかり合える人とさらに理解を深めることに労力を注ぎたい.労力も人生の持ち時間も有限なのだから. https://t.co/4cP6bPpKOo
— 野島 高彦【化学】 (@TakahikoNojima) 2018年4月3日
ああ、最近はそういう無駄口氏に煩わされることが少なく、わりと仕事が進みますな。
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