読売新聞 今後の険しさ、1枚の紙に凝縮…大学側に認可書 2012年11月9日18時35分
「文科省は9日、秋田公立美術大(秋田市)と岡崎女子大(愛知県岡崎市)の関係者に認可書を交付した」
文書が交付されたことで,あと戻りはなくなっただろう。祝着である。
なお岡崎女子大側「「これまでの騒動や、これから先の険しさなどが1枚の紙に凝縮された重さを感じた」と気を引き締めた」と語り,さらに「田中文科相が同日の会見で謝罪した点について「気持ちのこもった謝罪ならいいと思う」と述べた。一連の騒動を大学にとって「良い宣伝」と語った理由を「応援して頑張ってほしい思いがあった」と釈明した点については「応援している雰囲気にはとても思えない」と批判した」。
読売新聞 社説 田中文科相問題 一転認可に反省と謝罪がない(11月9日付・読売社説) 2012年11月9日01時21分
「「不認可」とされるべきは大学ではなく、閣僚ではなかったのか」と厳しい書き出し。「政治主導をはき違えて、大学や入学希望者を困惑させ、教育行政に対する信頼を失墜させた。田中氏の責任は極めて重大である」。
「3大学については、文科相の諮問機関「大学設置・学校法人審議会」が、新設の認可を答申したにもかかわらず、田中氏がこれを覆し、文科官僚が追随した」
だって(高級)官僚は自己の見解を公言したら首にされるじゃないですかー。いや,保身のためというだけでなく,官僚というのは淡々と実務を処理していくのがまず求められることであって,文科省の意思を文科相が公言したからには,それにそうそう表立って反対はできない。
そうであるから
「田中氏は不認可への批判が高まると、「新基準で再審査する」と唐突にルール変更を唱えた。同時に、「現時点で不認可処分は行っていない」と言い逃れた。「事務方が真意をくみ取らなかった」と、官僚に責任を転嫁する発言をしたのも見苦しい」
事務方に責任を負わせようとするのは見苦しいのであろう。
なお読売社説は「問題は、その田中氏の「発信力」に期待して、閣僚に選んだ野田首相の任命責任にとどまらない。田中氏から事前に不認可の方針を聞きながら、それを止めなかった首相や藤村官房長官の管理能力の欠如も厳しく問われよう。田中氏によると、事前説明の際、首相は「そのまま推し進めてください」と答えたという」と,任命責任等々にも言及する。
問題は,「一回やらせてみればいいじゃないですか」と例えば鳥をトップに据えてみたのはまあ若き日の過ちということでいいとして,それでスカと分かり了えた人材=田中元外務相を文科相などという位置に据えたこと。大きな判断ミスだ。
NHK News 田中文科相が陳謝 “心からおわびする” 11月9日 12時25分
「「大学がどんどん増えて、不祥事や経営難、学力の低下などの問題が指摘されており、大学設置の認可制度を見直さなければならないという強い思いがあった。しかし、結果として関係者に心配と迷惑をかけ、心からおわびする」と陳謝しました。さらに、認可する方針を表明したあとに、「3つの大学にとってよい宣伝になり、ブームになるかもしれない」と発言したことについても、「頑張ってほしいという思いからの発言だったが、表現が適切でなければ、今後、心していきたい」と釈明しました」
また「「企業や生活者など、あらゆる立場の人の意見を聞きながら議論したい」」とあるが,企業側の希望(の一つの形)は職業のための基礎訓練をやっておいてくれないかなーという点にあるかと思われ,それについてはゆにくろ。にメモした記憶が。
ところで
北海道新聞 社説 田中文科相 「前言撤回」では済まぬ(11月9日) 2012年11月9日
は,概ね読売新聞社説と指摘点が重なっているのはまあいいとして
「文科相が指摘した大学設置審の改革はしっかり進めてほしい。大学関係者に偏った委員の人選は幅を広げるべきだ」
…ここもまあ,うん,個人的にはもっと基礎学力養成に力を,とか基礎学術にいますこし光をと思うがまあいいとして(上掲「ゆにくろ。」の如く,職業基礎訓練校の充実拡充が社会的に求められるだろうことは私も想像する),
「設置審査の進行中に大学側が校舎建設を進め、答申の時点では後戻りできなくなる実態もある。制度の抜本的見直しが必要だ」
いや数年かけて教員候補を確保(※短大から拡張する場合,予め大学開設に必要な人材に転入してもらったりするのである),土地と校舎スペースとを確保,教育施設を拡充してきてその実質が揃って,『これなら学生が吹きさらしの教室で講義受けたりとか,黒板がないとか,事務室に電灯がないとか,学生便覧の印刷どころか編集も終わってない,というか始まってもないとかいうことはないよね。んじゃあ開設してよし』。
―その何重にもわたる(嘗ての歴代文科相および文科省官僚の練り上げてきた)チェックポイントをくぐりぬけてクリアして,最後の,もはや形式以外の意味がなくなったような(※何しろ実質は数年間のいくつものチェックのなかに分有されているのである)「許可」を出すの出さないののところで,事情を全く知らない子が大騒ぎしたのが今回の実態なのでそこを捉えられてもまあなんだ。
ふつーはもっと早期にあと戻りできそうなところで止められる・止めるだろうし,詐欺的手法でステップを潜りこんでいった者がいたとすれば,それはその判断主体の過失であって,ご勝手に滅んでくださいとしかいえん。
抜本的見直しとはいつも聞くようなフレーズだが,現行の制度の実質実態を無視してそう言うだけでは,掛け声程度にもならぬのではなかろうか。
「文科省は9日、秋田公立美術大(秋田市)と岡崎女子大(愛知県岡崎市)の関係者に認可書を交付した」
文書が交付されたことで,あと戻りはなくなっただろう。祝着である。
なお岡崎女子大側「「これまでの騒動や、これから先の険しさなどが1枚の紙に凝縮された重さを感じた」と気を引き締めた」と語り,さらに「田中文科相が同日の会見で謝罪した点について「気持ちのこもった謝罪ならいいと思う」と述べた。一連の騒動を大学にとって「良い宣伝」と語った理由を「応援して頑張ってほしい思いがあった」と釈明した点については「応援している雰囲気にはとても思えない」と批判した」。
読売新聞 社説 田中文科相問題 一転認可に反省と謝罪がない(11月9日付・読売社説) 2012年11月9日01時21分
「「不認可」とされるべきは大学ではなく、閣僚ではなかったのか」と厳しい書き出し。「政治主導をはき違えて、大学や入学希望者を困惑させ、教育行政に対する信頼を失墜させた。田中氏の責任は極めて重大である」。
「3大学については、文科相の諮問機関「大学設置・学校法人審議会」が、新設の認可を答申したにもかかわらず、田中氏がこれを覆し、文科官僚が追随した」
だって(高級)官僚は自己の見解を公言したら首にされるじゃないですかー。いや,保身のためというだけでなく,官僚というのは淡々と実務を処理していくのがまず求められることであって,文科省の意思を文科相が公言したからには,それにそうそう表立って反対はできない。
そうであるから
「田中氏は不認可への批判が高まると、「新基準で再審査する」と唐突にルール変更を唱えた。同時に、「現時点で不認可処分は行っていない」と言い逃れた。「事務方が真意をくみ取らなかった」と、官僚に責任を転嫁する発言をしたのも見苦しい」
事務方に責任を負わせようとするのは見苦しいのであろう。
なお読売社説は「問題は、その田中氏の「発信力」に期待して、閣僚に選んだ野田首相の任命責任にとどまらない。田中氏から事前に不認可の方針を聞きながら、それを止めなかった首相や藤村官房長官の管理能力の欠如も厳しく問われよう。田中氏によると、事前説明の際、首相は「そのまま推し進めてください」と答えたという」と,任命責任等々にも言及する。
問題は,「一回やらせてみればいいじゃないですか」と例えば鳥をトップに据えてみたのはまあ若き日の過ちということでいいとして,それでスカと分かり了えた人材=田中元外務相を文科相などという位置に据えたこと。大きな判断ミスだ。
NHK News 田中文科相が陳謝 “心からおわびする” 11月9日 12時25分
「「大学がどんどん増えて、不祥事や経営難、学力の低下などの問題が指摘されており、大学設置の認可制度を見直さなければならないという強い思いがあった。しかし、結果として関係者に心配と迷惑をかけ、心からおわびする」と陳謝しました。さらに、認可する方針を表明したあとに、「3つの大学にとってよい宣伝になり、ブームになるかもしれない」と発言したことについても、「頑張ってほしいという思いからの発言だったが、表現が適切でなければ、今後、心していきたい」と釈明しました」
また「「企業や生活者など、あらゆる立場の人の意見を聞きながら議論したい」」とあるが,企業側の希望(の一つの形)は職業のための基礎訓練をやっておいてくれないかなーという点にあるかと思われ,それについてはゆにくろ。にメモした記憶が。
ところで
北海道新聞 社説 田中文科相 「前言撤回」では済まぬ(11月9日) 2012年11月9日
は,概ね読売新聞社説と指摘点が重なっているのはまあいいとして
「文科相が指摘した大学設置審の改革はしっかり進めてほしい。大学関係者に偏った委員の人選は幅を広げるべきだ」
…ここもまあ,うん,個人的にはもっと基礎学力養成に力を,とか基礎学術にいますこし光をと思うがまあいいとして(上掲「ゆにくろ。」の如く,職業基礎訓練校の充実拡充が社会的に求められるだろうことは私も想像する),
「設置審査の進行中に大学側が校舎建設を進め、答申の時点では後戻りできなくなる実態もある。制度の抜本的見直しが必要だ」
いや数年かけて教員候補を確保(※短大から拡張する場合,予め大学開設に必要な人材に転入してもらったりするのである),土地と校舎スペースとを確保,教育施設を拡充してきてその実質が揃って,『これなら学生が吹きさらしの教室で講義受けたりとか,黒板がないとか,事務室に電灯がないとか,学生便覧の印刷どころか編集も終わってない,というか始まってもないとかいうことはないよね。んじゃあ開設してよし』。
―その何重にもわたる(嘗ての歴代文科相および文科省官僚の練り上げてきた)チェックポイントをくぐりぬけてクリアして,最後の,もはや形式以外の意味がなくなったような(※何しろ実質は数年間のいくつものチェックのなかに分有されているのである)「許可」を出すの出さないののところで,事情を全く知らない子が大騒ぎしたのが今回の実態なのでそこを捉えられてもまあなんだ。
ふつーはもっと早期にあと戻りできそうなところで止められる・止めるだろうし,詐欺的手法でステップを潜りこんでいった者がいたとすれば,それはその判断主体の過失であって,ご勝手に滅んでくださいとしかいえん。
抜本的見直しとはいつも聞くようなフレーズだが,現行の制度の実質実態を無視してそう言うだけでは,掛け声程度にもならぬのではなかろうか。
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