@ynabe39 「俺の研究は社会の役に立つかな?」なんて考えてっと、せせこましい研究ばっかりに成りそうだから、学者さんは好きなこと追ってでけらい(苦笑)
— ナナシ=ロボ(福島市)さん (@robo7c7c) 4月 30, 2012
つ 某青プリン
せせこましい研究の例か,好きなこと追った結果か,それともそれ以外の何かかというのは各自の解釈に任せる。
そんなわけもあって「学者」の定義とか「研究」の定義とかいろいろ議論して『僕の考えた最強実利学者&研究』とか考えたい向きは常に出るであろうところ―そゆ向きにリアルタイムで色々応対されている点,御苦労さまですと頭がさがる。いやかなり本気に。
一般的に(あくまでも一般的に)「研究の成果をわかりやすく素人に説明する仕事」は「研究の最前線に立っているわけではない学者」の仕事です。現に私がそういう仕事をたくさんしていることでもわかりますw。
— 渡邊芳之さん (@ynabe39) 4月 30, 2012
ところが最近はより一般的な文脈にいる人々に対してアピールして(つまり,申請書を書いて)研究費を取ってこないと研究を進めることが難しいという。
結果として世界を変えた研究の多くは「研究している時には何の役に立つかわからないもの」でした。 RT @chikahiro: 言いたいのは研究スタンス。研究のゴールを定義し、ゴールへの道筋を立てるべき。ゴールが社会便益でない研究、ゴールへの道筋が不明瞭な研究は意味がないと…
— 渡邊芳之さん (@ynabe39) 4月 30, 2012
『貴方の言う社会ってなんですか』と聞いて見ても宜しい。主体思想だって(ある種の)社会便益に(少なくともある局面で捉える限りにおいて)なってるだろう。
ところで,たとえば私が思うに,恒久平和などは最高の社会便益と言っても,かなり悪くないものではあるまいか。さて恒久平和への道筋はしかし一切不明と言うべきだ。してみると(恒久)平和を目指す研究は,そのゴールへの道筋が不明なので一切禁止されることになろう,なんかこの,さしあたり実利を目指すよーな思想の場合。
現在の社会ニーズから「ゴール」を決めた研究は狭い範囲でしか役に立ちませんしニーズが変化するとすぐに陳腐化してしまいます。「社会貢献」という目的から見ても「ゴールを決めた研究」には欠点が多いです。 @chikahiro
— 渡邊芳之さん (@ynabe39) 4月 30, 2012
この「現在の社会ニーズ」という指摘からちょいとひねってみれば分かろう。『今の我々にとって役に立つ・役に立つと思われる』ないし,『今の我々が理解できる限りにおける将来に役に立つ・役に立つであろう』研究に話を限るからには,その視野は未来に広がらない。或いは,未来を生きることを拒絶している態度だといえる。
学者たちは未来のために試行錯誤しているわけである。未だ来らざる知識へと進もうとするのだから,そりゃあ失敗しまくる。しかしその失敗は後発の人々に『その道はしくじり済みだ,他を当たれ』という示唆となる。その意味で役に立っているわけなのだが,
…そこで『公費を使って研究したのに実社会に貢献しなかった! 従ってお前は役立たずの研究をしたのだ,無駄をしたのだ,お前は役に立たない奴だ』と言われてもなーという感。
「プロ野球の試合を見て、未熟な選手の欠点を指摘するのは、小学生でもできる。でもそうした選手の隠れた長所を見いだして伸ばせるのは、一流のコーチだけだ」と学生時代の先輩に言われたのを今も強烈に覚えている。後者の役割を果たす人を評価できるかどうかが、社会にとってやっぱり重要だろうなあ。
— 丹治吉順 aka 朝Pさん (@tanji_y) 4月 10, 2012
関連メモ:泳ぐやる夫シアター みんなでプロ野球12球団紹介スレ その56 たかが無名、されど無名
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