言葉が丁寧であれば内容が丁寧だと思ったら大間違いなんだよな。
— 双龍?10/9?発売「ブラック学校に勤めてしまった先生」1巻 (@Souryu_STD) 2018年10月1日
言葉は丁寧なのに、距離感がおかしいのが一番ヤバいと言う噂。
— にゅう@あ09ab秋例大祭 (@nyu7nyu) 2018年10月1日
学校の先生スキルのひとつで、「丁寧な言い回し」「押し付けにならない言い回し」というのがある。昔の先生は強烈に家父長権的だったりして、それでしばかれたので、”そぅ”ではない、政治的に正しい言い回しを訓練された向きがある。結果として上級職のひとたちは一様な喋りをするようになったりする。丁寧で、しかしその内容も丁寧かというと、うんまあ。
あと印象に残ったのは「学問は論争無しには発展しない」の部分。一人の学者で出来ることはたかがしれているので、切磋琢磨し真剣な議論を交わすことで研究は進展する、と。そういえばトンデモを語る方々は議論や論争を避けて絶対視したがるなぁ。
— 某名無之守 (@Nanashino_kami) 2019年4月8日
…まあ、そういう人に成り下がってたなあという思い出話。
コメダでモーニング食べてたら、若手が先輩か上司らしき人に「今日社長が言ってた社内で革命を起こせって話、マジで革命起こしたらあの人は処刑されるわけで、結局は自分の気持ちいい範囲で革命ごっこしろってことっすよね」って笑ってるのが聞こえて、こいつ見込みあるなって思った。
— Genichi Kataoka (@katax) 2019年4月13日
革命は許容されなかったのである―という以前に、思想統制に服さなかったことが問題視された私である。とはいえ、「アホノミクスといういいことを言った学者がいてだねえ」とにっこにこ顔で言われても、そんな馬鹿話で時間を潰されたくないとしか。
博士後期課程の定員を大幅に増やしたとき、文部科学大臣の有馬さんはマスコミの取材に対して「欧米ではドクターの院生やポスドクが研究を支えている。日本もそうしないと研究で勝てない」と繰り返すだけで、とうとう彼の口からポスドクを終えたあとの人の進路はどうなる、という発言は無かった。
— 石井晃 (@ishiiakira) 2019年4月22日
同じ頃,研究者の要望を聴きたいと東北大の若手研究者を集めたところ,「最近ネットワークの管理に若手の労力が割かれているのはなんとかしてほしい」と言われた。「ボクだって若い頃はいろいろやっていたよ!」と憤然と蹴飛ばした現場は皆が見ていた。そういう人ですね。
— こなみひでお (@konamih) 2019年4月22日
まーだからなー、そーゆーふーに若いのんをどれーのよーに使い倒せるひとたちを知っているひとたちは、なんで自分にはそんな権利が認められなかったのかなーと疑問に思い、目の前にいて多少の経緯のある若いのをどれーにしたいという気持ちはわかるんだ。
だけど、こっちはこっちで、どれーになる理屈ってまあ、ないのだよね。
従わないことを理由に切れられてもなーとは。
いやね、わたしもね、ちゃんと給料を払ってくれるなら、そりゃ従いますよそりゃあ。
ポケットマネーで人を買えない貧乏人は黙ってろと。そーゆーはなしですよ。でまあ、おおむね皆がその「ポケットマネーで人を買えない貧乏人」くらいにおさまったのが、近現代の民主主義的改革の大成果なわけなのであって。
「日本の歴史学会は年功序列」と批判しつつ、呉座氏に対しては「井沢さんはお前が子供の頃から日本史を研究してるんだ」と言う百田尚樹氏。ゴールポストを動かすと揶揄される国の人と本当によく似ていると思う…。 https://t.co/zTY24ey3e4
— Glu (@goo3_tm) 2019年3月30日
「日本の歴史学会は年功序列なんだよ」は、直後の文から推測すると、年功序列を批判or揶揄する発言ではなく、『年功序列』の高い側からのマウントと思われます。
— レッドほむ (@red_hom) 2019年3月30日
なるほど…??しかし一般的な歴史学会を嫌ってる様子の井沢氏を、歴史学会ルール(?)で擁護するとはまた妙に複雑なことを…笑
— Glu (@goo3_tm) 2019年3月30日
そこはまあ、井沢氏が「年功序列」ルールに反しようが、自分が気に食わない若造を「年功序列」ルールでぶん殴る際には関係ないでしょうから。井沢氏を擁護するのが目的ではなく、自分がポリコレ棒で気楽に誰か”倫理的に劣悪な存在”をぶん殴って気晴らしするのが目的である―というのは、昨今、良く見られる姿である。
日本の歴史研究が年功序列だと勘違いする人も世の中にはいるかも知れませんが、そんな日本の史学概論でよく用いられるベストセラー『歴史とは何か』でE. H. カーは「あらゆる歴史家は自分が乗り越えられる日を待っている」と綴りますし、博士論文などで師の学説を超える「親殺し」こそ美徳の世界です。
— ursus (@ursus21627082) 2019年3月29日
ンなもん、どこでも同じだろーが、とは思う。
工学で―例えば建築・構造の領域なら、お師匠さんの設計図より合理的・経済的で同等の強度を確保するとか、同じ素材で超えるとか、なんとか、あろう。
そういう世界観に耐え切れなくなり、常に自分が優位に立てるような固定的な属性を追求した結果、年長者であるという事実に気付き、そんな年長者である自分を若造は尊敬しろと要求し始まる…これがどんな分野でも老害と呼ばれるものの発生の実態の一面ではあるまいか。
これを発症するのは分野にはよらない。
現に私に人格的・思想的従属を求めてきたのは理学博士だ。理学(しかも理論物理)博士であるが故、ほかの博士より理性に優れているので自分の見解はより理性的であり、従って上位に存在するのだという見解だった。んで論文はなんだって?
うーむ。僕はとても辛かったのは事実だけど、もう退職した人のことですからね。普遍性のある話だと考えましてが、個人攻撃になるのは本意ではなかったので消そうかと考えてます。今更何がどうなるものでもないですから。
— オッカム (@oxomckoe) 2019年4月25日
多分以下のことと思うが、そりゃ一般性はある:
某大学出版で幹部だった方がいました。僕のことは見下していたので僕の出版は断られたのですが、まあそれは経営判断だから良い。ところがこの方、定年した後自分で編集会社を立ち上げたのですが、ツイッターで僕の書き込みを読んでは、関係する先生がたに「こんなことを言ってますよ」と送ってました。
— オッカム (@oxomckoe) 2019年4月24日
そもそも僕が師匠はじめ先輩方と「仲違い」などという同格者の間でやるようなことをするはずはなく、とにかくそれは誤解であることを伝えて、ただ謝り教えを請い続けられる関係を維持してきました。私は、学問の向上のためなら悪くなくても謝るのです。しかし許せないのは、その讒言を流す編集者。
— オッカム (@oxomckoe) 2019年4月24日
家に抗議の電話がかかってきたことがあり、事情を知りました。それ以前も、深い付き合いこそないけれど、比較的親しくしていた先輩筋から何かしら距離を取られるということが続き、???とは思っていましたが。もう70歳に近いだろう人が何をそんなことをと暗澹とした。
— オッカム (@oxomckoe) 2019年4月24日
退職した人のことで、まあこれをどうにかしようと思えば刑事告発とかだろう、ということになるが、この手の人たちはそれなりに賢く、刑事・民事裁判になりそうなところまでは行かないくらいに調整して攻撃してくる―というのは、まあ被害妄想のうちかも。
いや先方だって、訴えられたりされたくはないだろうし、「『キッツイお灸』くらいでとどめといてやるわいこの人間以下野郎! この程度のゆるい指摘でとどめてやってる、このオレ様の温情をありがたく思って、まあこのオレ様を人格者と認めてひれ伏して寛恕を請うくらいできれば、まあ、人間性の欠片くらいあるんだなと思ってやってもいい。ほれ、どうした、間。立派な人格者に、相応の礼儀ってモンを捧げる程度の社会性を示す機会があるぞ? おい?」くらいに留めておく位の計算はしてるだろうが。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます