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空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

思い出話

2019-04-28 14:11:00 | Weblog



 学校の先生スキルのひとつで、「丁寧な言い回し」「押し付けにならない言い回し」というのがある。昔の先生は強烈に家父長権的だったりして、それでしばかれたので、”そぅ”ではない、政治的に正しい言い回しを訓練された向きがある。結果として上級職のひとたちは一様な喋りをするようになったりする。丁寧で、しかしその内容も丁寧かというと、うんまあ。



 …まあ、そういう人に成り下がってたなあという思い出話。



 革命は許容されなかったのである―という以前に、思想統制に服さなかったことが問題視された私である。とはいえ、「アホノミクスといういいことを言った学者がいてだねえ」とにっこにこ顔で言われても、そんな馬鹿話で時間を潰されたくないとしか。




 まーだからなー、そーゆーふーに若いのんをどれーのよーに使い倒せるひとたちを知っているひとたちは、なんで自分にはそんな権利が認められなかったのかなーと疑問に思い、目の前にいて多少の経緯のある若いのをどれーにしたいという気持ちはわかるんだ。
 だけど、こっちはこっちで、どれーになる理屈ってまあ、ないのだよね。
 従わないことを理由に切れられてもなーとは。

 いやね、わたしもね、ちゃんと給料を払ってくれるなら、そりゃ従いますよそりゃあ。
 ポケットマネーで人を買えない貧乏人は黙ってろと。そーゆーはなしですよ。でまあ、おおむね皆がその「ポケットマネーで人を買えない貧乏人」くらいにおさまったのが、近現代の民主主義的改革の大成果なわけなのであって。





 そこはまあ、井沢氏が「年功序列」ルールに反しようが、自分が気に食わない若造を「年功序列」ルールでぶん殴る際には関係ないでしょうから。井沢氏を擁護するのが目的ではなく、自分がポリコレ棒で気楽に誰か”倫理的に劣悪な存在”をぶん殴って気晴らしするのが目的である―というのは、昨今、良く見られる姿である。



 ンなもん、どこでも同じだろーが、とは思う。
 工学で―例えば建築・構造の領域なら、お師匠さんの設計図より合理的・経済的で同等の強度を確保するとか、同じ素材で超えるとか、なんとか、あろう。

 そういう世界観に耐え切れなくなり、常に自分が優位に立てるような固定的な属性を追求した結果、年長者であるという事実に気付き、そんな年長者である自分を若造は尊敬しろと要求し始まる…これがどんな分野でも老害と呼ばれるものの発生の実態の一面ではあるまいか。

 これを発症するのは分野にはよらない。
 現に私に人格的・思想的従属を求めてきたのは理学博士だ。理学(しかも理論物理)博士であるが故、ほかの博士より理性に優れているので自分の見解はより理性的であり、従って上位に存在するのだという見解だった。んで論文はなんだって?



 多分以下のことと思うが、そりゃ一般性はある:





 退職した人のことで、まあこれをどうにかしようと思えば刑事告発とかだろう、ということになるが、この手の人たちはそれなりに賢く、刑事・民事裁判になりそうなところまでは行かないくらいに調整して攻撃してくる―というのは、まあ被害妄想のうちかも。

 いや先方だって、訴えられたりされたくはないだろうし、「『キッツイお灸』くらいでとどめといてやるわいこの人間以下野郎! この程度のゆるい指摘でとどめてやってる、このオレ様の温情をありがたく思って、まあこのオレ様を人格者と認めてひれ伏して寛恕を請うくらいできれば、まあ、人間性の欠片くらいあるんだなと思ってやってもいい。ほれ、どうした、間。立派な人格者に、相応の礼儀ってモンを捧げる程度の社会性を示す機会があるぞ? おい?」くらいに留めておく位の計算はしてるだろうが。
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