空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

目的が内在しているか、目的が外在しているか

2017-10-31 09:12:51 | ノート


 東電憎しで手段と目的との関係とか一切合財忘れ去った類の人はときどきいる。



 ちょっと納得する点があったが―



 しかしツムツムとかクッキーとかとちと違うのは:



 対象自体に没入するという求道者的属性に欠けるからかなあ。
 話題の記事中、最後に出てくる人は、単にシンプル生活を追及していった結果、そうなってしまったようで:

Aera 私はこれで「電気」をやめました 「東電フリー」な電気代0円生活 中山茂大2017.10.29 07:00週刊朝日

そもそも新井さんが小屋暮らしを始めたのは、モノの少ない生活に憧れたためだ。県内の実家に住んでいたころ、「自分の部屋なのに、自分の動けるスペースが狭い」と思ったのがきっかけだった

 自分のスペースを広く確保したい―なので、自由度はより広く確保されるほうが正しい、というわけだ:

冷蔵庫、テレビ、エアコンは持たず、代わりに冷たい飲み物はコンビニへ、テレビが見たくなったらラーメン店へ、猛暑日は図書館でやり過ごす

 昔からいた、たんなる自由人である。
 なので彼の場合、文明の利器を用いることについては悪びれたりする余地がない。だから道具を無理には減らさない。

 以上、目的内在か、目的外在か、を指標に使える。
 東電を否定するために電気を使わない生活をしようとする者は、目的が二重に外在の過程を経る。外の外だから内か、とおもいきや、分裂の程度を高める一方である点、微細な注意を要する。

 最後の例の彼の場合、自分の幸福を最大化する手段の追求になっている。自分の幸福が目的なので、これは目的内在といえる。

 ひとは誰しも、己の幸福を目指すのだ、と前提する場合。いずれがより人間らしいか、共感の範囲がひろいか・共感の度合いが高いか、と考えると、思われる点が多い。
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