私はこれで「電気」をやめました 「東電フリー」な電気代0円生活 |https://t.co/erTF9gzaeI
— うちねず こずえ (@Kozura_Kozue) 2017年10月30日
ちょっと待て。薪炭は環境負荷すごい高いよ。電気が普及する前、日本中の山がはげ山になったのは写真に残ってる。たき火はCO2の排出も段違いに多いのに。
東電憎しで手段と目的との関係とか一切合財忘れ去った類の人はときどきいる。
節電アフロ女史は電気代がいかに低いかを競いあうゲームをしているだけなので不快になる必要もなく素直に頑張っているのを誉めてあげればいいんだよ。知人がツムツムで800点を超えたら頑張ったのを誉めてあげるだろう?
— 高橋雄一郎 (@kamatatylaw) 2017年10月30日
ちょっと納得する点があったが―
艦これ、FGO、アズレンと移ってきたTL見てて思うのは、みんなより良いゲームをするというより、やり込み満足ゲージみたいなのがあって、それが満たされたり満たすための辛さの方が優って来たりすると新天地に行くのかと思うし、ゲージ上限が高くて感情を捨てた修羅は未だにクッキー焼いてる
— ゆうきまもる (@mega_mari) 2017年10月23日
しかしツムツムとかクッキーとかとちと違うのは:
いわゆる節電アフロ系が嫌われるのは、他人や公共インフラにただ乗りしたり、何かを批判するためのカウンターとしてドヤ顔でやっているからだろう。バカを極めた楽しさのようなものも伝わってこない。
— 井上リサ☆若狭原電紀行11/10〜12 (@JPN_LISA) 2017年10月29日
対象自体に没入するという求道者的属性に欠けるからかなあ。
話題の記事中、最後に出てくる人は、単にシンプル生活を追及していった結果、そうなってしまったようで:
Aera 私はこれで「電気」をやめました 「東電フリー」な電気代0円生活 中山茂大2017.10.29 07:00週刊朝日
「そもそも新井さんが小屋暮らしを始めたのは、モノの少ない生活に憧れたためだ。県内の実家に住んでいたころ、「自分の部屋なのに、自分の動けるスペースが狭い」と思ったのがきっかけだった」
自分のスペースを広く確保したい―なので、自由度はより広く確保されるほうが正しい、というわけだ:
「冷蔵庫、テレビ、エアコンは持たず、代わりに冷たい飲み物はコンビニへ、テレビが見たくなったらラーメン店へ、猛暑日は図書館でやり過ごす」
昔からいた、たんなる自由人である。
なので彼の場合、文明の利器を用いることについては悪びれたりする余地がない。だから道具を無理には減らさない。
以上、目的内在か、目的外在か、を指標に使える。
東電を否定するために電気を使わない生活をしようとする者は、目的が二重に外在の過程を経る。外の外だから内か、とおもいきや、分裂の程度を高める一方である点、微細な注意を要する。
最後の例の彼の場合、自分の幸福を最大化する手段の追求になっている。自分の幸福が目的なので、これは目的内在といえる。
ひとは誰しも、己の幸福を目指すのだ、と前提する場合。いずれがより人間らしいか、共感の範囲がひろいか・共感の度合いが高いか、と考えると、思われる点が多い。
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