説明を受ける側の評価基準が曖昧だったり結論ありき(予め想定した結論に向かわない説明には『まだ説明が足りない』と言い続ける)だったりしたら「説明責任」なんて確かにただの拷問用具ですね
— 水島六郎的こころ (@mizloq) 2018年3月15日
「私はまだ納得していない。本当のことを言え/お前のやる気の問題じゃないのか」 https://t.co/RPRGLkEqdv
— 大杉 謙一 (@osugi1967) 2018年3月15日
「模範解答の表があったら見せていただけませんか」@ヤン・ウェンリー
「あなたが納得することでどのような改善がなされるのか、エヴィデンスと共に示していただければ幸いです」@私の内心
月に一度、深夜まで繰り広げられる責任追及会議(翌日も通常どおり業務) #ブラック企業だがここしか知らないのでこれが社会人なんだと思ってる新卒の子 pic.twitter.com/nDOWWqicu1
— 結城鹿介 (@shikanos) 2018年3月8日
アホの子のストレス解消の犠牲になっている立場の弱い子たち…という図である。
この際、極めて悲惨なのは、これがアホの子のストレス解消になっていない点である。求める答えは返ってこないしミスやなにかは取り戻せず、かつこのような愚劣な詰めをしている間にも失策で生じた損失の穴埋めはなされない。改善が一切ないためにストレスは解消されない。単に他人を支配し罰する快楽を多少なりと得られる程度のことであり、人的資源を使い倒して得られる果報としてはあまりに小さい。
ある意味、「一将功成って万骨枯る」であれば、枯れるほうもそれなりの納得をすることができる。同じクラブで活躍していたエースがプロで活躍してくれれば、あるいは対戦チームにそんなエースがいれば、それは後々までの語り草だろう。こういう場合、我々は負けに納得できる。
ところがこうしたイラストの例や私が食らわされた例だと、投下された・投下させられる人的資源に対してリターンがあまりに少ない。リターンは嫌味を言うあほの子の僅かな自己満足程度であり―
―我々の社会の生産性の低さは、こうしたアホの子、末端の小権力者に小権力をふるう楽しみをあまりに広く許しすぎたところにも原因の一端を求めることができそうな気がする。
とりあえず私のところでははっきりとそうで、老害の介入が激減して以来、なんとすばらしく多数のテーマがわいて出ることか。
「定年まで骨をうずめる「ムラ社会」で、周囲と衝突せずに生き抜く人が「仕事ができる人」とされているという意味では、官僚もサラリーマンも大差はない。つまり、多くの企業不祥事が組織の「体質」によるものである」
— 大杉 謙一 (@osugi1967) 2018年3月15日
そんな組織の体質だとか、組織を代表して個人をしばきあげるようなひとには付き合いかねるので、私としては独自の道を歩もうとする昨今。
パワハラ、アカハラの問題を考える際に知るべきことは、ある人に執拗で陰湿なハラスメントをする人が、別の人からは「人格者」「恩人」「部下or学生想い」などと評価されており、加害者本人も自分がそうだと信じているという事実です。
— 関大岩本ゼミ(mktg)のアドミン (@iwasemi_kuuu) 2018年3月5日
「ええ、あの人が?」とか言われましたわね。
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