出張中なので反応がにぶい私。
例えば江戸時代。
藩主お抱えの刀研ぎ師が,”浮いた錆をひとつ消すごとに昇給X石”って契約で雇われていて,で昇給なしで幕末を迎えた―という逸話。そりゃ錆が浮くことはあったが,それはそれでその人の先の仕事ぶりが悪いということでもあり,これは恥である,というわけだ。研いでしまって,錆なんか浮いてませんでしたよー,という体にしていたという。
高度な職人技を安売りしたとも言えそうだが,とはいえ繰返し錆をうかせてそのたびに昇給を受けた場合,どの段階かで”君,わざと錆を浮かせていないかな?”とにこやかに疑われてクビになる可能性もある(しかも大いに)。
次に雇われる人は,まあそれなりの高給で雇われるだろう。研ぎ師の単価があがって,それにつれて諸種の物価も上がるのかもしれない。いや,研ぎ師の社会的ステータスが高くなるだけで済むかもしれないが。
おそらく我々は,”職人の心意気”みたいなものに相当依存していて。
個々の労働の現場で発揮されるそれが,労働の質を全体として高めていたのだろう。
納得できる賃金と引き換えでなら,それは相当に安定的に依存できたのだろう。例えば,江戸時代の例のように。
ただ,それは容易に破綻する(戦時徴用の例なんぞ考えてみればいい―熟練工が引き抜かれたり,生産すべき数量が爆上がりすると,未熟練工を”職人”にする時間がない)。
…負荷は,一定程度以上であってはならないことがわかる。
さらには,その”心意気”を発揮するよう強要するがごときことが起これば,まあ発揮する気も起きなくなるわけである。つまりまあ,サービス業で,お客様の満足のために全てを捧げつくせ,というようなブラック企業のような場合を思えば(心意気を発揮してもいいが,単に潰れる時間が早く来るだけでもある)。
この”心意気”の諸部分に適切な値段をつけて,GDPなりの統計に出るようにすれば,まあ結構な経済成長が見られることではあろう。だがそれは幸せな労働だろうか? 幸せの享受になるだろうか?
うちの先生のパートナー様は細かなひとで,ある時,家具屋さんで”どうでぇ奥さん,このベッド,一式くるめて値引きで10万円!”と言われて,そんな商売は間違っている,ベッド枠の値段はこう,値引き率はどう,マットレスの正規の値段はこうで値引きはこう,と書かねばならない!と主張し―
―細かに書かせた結果,10万円以上になったが,まあその書類に満足してお買い上げになったということである。
さてこの寓話の結末の場合,売り上げはあがったので統計には+の効果があるだろう。しかし―?
日本の労働生産性が低いのは目に見えないサービス業にお金を払おうとしないものづくり偏重な国民意識が原因だと思う
— ののわ (@nonowa_keizai) 2016年8月18日
おもてなしとか言って高度なサービス労働を無料で提供するのを美徳と考えている限り生産性なんて上がるわけないんだよね
— ののわ (@nonowa_keizai) 2016年8月18日
例えば江戸時代。
藩主お抱えの刀研ぎ師が,”浮いた錆をひとつ消すごとに昇給X石”って契約で雇われていて,で昇給なしで幕末を迎えた―という逸話。そりゃ錆が浮くことはあったが,それはそれでその人の先の仕事ぶりが悪いということでもあり,これは恥である,というわけだ。研いでしまって,錆なんか浮いてませんでしたよー,という体にしていたという。
高度な職人技を安売りしたとも言えそうだが,とはいえ繰返し錆をうかせてそのたびに昇給を受けた場合,どの段階かで”君,わざと錆を浮かせていないかな?”とにこやかに疑われてクビになる可能性もある(しかも大いに)。
でもおもてなしにいちいちチップをとる社会になって結果として労働生産性が上がっても誰か得するんですかね?
— ののわ (@nonowa_keizai) 2016年8月18日
次に雇われる人は,まあそれなりの高給で雇われるだろう。研ぎ師の単価があがって,それにつれて諸種の物価も上がるのかもしれない。いや,研ぎ師の社会的ステータスが高くなるだけで済むかもしれないが。
おそらく我々は,”職人の心意気”みたいなものに相当依存していて。
個々の労働の現場で発揮されるそれが,労働の質を全体として高めていたのだろう。
納得できる賃金と引き換えでなら,それは相当に安定的に依存できたのだろう。例えば,江戸時代の例のように。
ただ,それは容易に破綻する(戦時徴用の例なんぞ考えてみればいい―熟練工が引き抜かれたり,生産すべき数量が爆上がりすると,未熟練工を”職人”にする時間がない)。
…負荷は,一定程度以上であってはならないことがわかる。
さらには,その”心意気”を発揮するよう強要するがごときことが起これば,まあ発揮する気も起きなくなるわけである。つまりまあ,サービス業で,お客様の満足のために全てを捧げつくせ,というようなブラック企業のような場合を思えば(心意気を発揮してもいいが,単に潰れる時間が早く来るだけでもある)。
この”心意気”の諸部分に適切な値段をつけて,GDPなりの統計に出るようにすれば,まあ結構な経済成長が見られることではあろう。だがそれは幸せな労働だろうか? 幸せの享受になるだろうか?
うちの先生のパートナー様は細かなひとで,ある時,家具屋さんで”どうでぇ奥さん,このベッド,一式くるめて値引きで10万円!”と言われて,そんな商売は間違っている,ベッド枠の値段はこう,値引き率はどう,マットレスの正規の値段はこうで値引きはこう,と書かねばならない!と主張し―
―細かに書かせた結果,10万円以上になったが,まあその書類に満足してお買い上げになったということである。
さてこの寓話の結末の場合,売り上げはあがったので統計には+の効果があるだろう。しかし―?
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