なんか荒れてるのだが(某所が)。
基本スタンスといーますか,私は以前,こんな事を書いたりした:「ソマリアやイラクを,話題にすることについて」 12 Apr 2007
あとは「多くを望まずされど諦めもせず」ですか。これは他人の言葉だけど。
『アフリカのことをほんとに思ってるかどうか資格試験☆ 思ってるならMSFとかに寄付してるよなトーゼン。あ?してない?あーじゃあ”ほんとに思って”なんかなかったんだねー?』だなんてふうな発言,お止めなさいな。
一日50円プラン…月1500円くらいですか…:
http://www.msf.or.jp/donate/donate.html
その程度で『アフリカのことを本当に思っている実質』が買い取れるなら,いやぁ安いもんですな。
…いや下手すりゃ,そーいう買い言葉を呼ぶでしょう。君の売ってる言葉からすれば。
形式を整えてそれで済むって問題ではない。
自己主張するところの「実質」を言えば証明されるわけでもない。
揚げ足を取れば,『アフリカのことを本当に思い遣っているのは誰か』とゆーわけのわからん論争に時間を費やしている内にアフリカの大地では可哀想なこどもたch(ryってお決まりの台詞が出てこようというもの。
あのところで,私,ソマリア関係に寄付したことなんか一度もないと思います。イスラム法廷なり暫定政府なり,まあともかくどれかの党派支持のためデモ組織したりなんてむろん欠片もしてないし(まぁこのblogや某所でちょこっと書くのも政治的活動だというなら,まあそのくらいはしたといわざるを得ませんが。しかし場末blogでなあ…何をどう言ったからって…)。
すると寄付基準論者からすると,私はソマリアのことを思いやってなどいるはずがないわけでしょうか。
納得し難いものがありますが。
一度だってソマリアに足を踏み入れたことなんかありませんが,国外旅行の経験なんかありませんが,ソマリ語もひとかけだって知りはしませんが,援助活動に(文学的表現を使うなら)指一本動かしてませんが,であればソマリアの事を思い遣っているはずがないと,なんで言われねばならないだろうと思います。ちょっと。
まあ,どうでもいいんです。
たとえば,私度僧なんてのが歴史上,おりますな。
坊さんの格好を調えさえすれば,税金免除の特典が得られる。ひとはこぞって坊さんの姿をしたと,まあ,そんな具合の状況があったと,日本史あたりで学ぶわけです。
教理的には,お釈迦様より始まる師資相承が連なっていて初めてその僧団は救いの資である僧宝,なんでしょうけど…だから私度僧なんてそもそも認められるはずがない,悉く排しあるいは正式な得度をなさしめねばならぬところ,なんでしょう。
ですけど,お坊さんの実質とは,「正式な得度」によるのだろうか?
いや,坊さんとしての働きにあるんではなかろうか? であればこそ,勧進等々で実質の働き,機能がある私度僧は許されるべきなのではなかろうか?
それは教理的には許されないことなんでしょう。
しかし,特に仏教については楽な反論の方策があるでしょう,『正式な得度とやらにそれほどこだわる,その君の心は執着してはいないのか?』。
極論,ほとけのお教えは言語表現不可能な覚りへとひとを,敢えて言葉で導くもので,それはまるで月への道を指し示す指先のよう。行く先を示しはしても,その行く先自体に届きはしない。またひとがその行く先へもし着く事があれば,月を指し示す指には用はない。それなら月に指に言葉にと拘泥するのは,辿り着くべき場所への歩みをとめる害になりはしないだろうか。
私としては,「知ること」を勧めたい。私たちの知識はまだまだ足りない。恥ずかしくて,とても彼らを友人とは呼べないほどに。モニタの向うのナニかに,今はまだ彼らは過ぎない。でなければ,なぜ私たちの間での知識は『ソマリアヒャッハー北斗の拳』に留まろうか?どうして便利に『先進国の矛盾の押し付けで海洋を汚され遂に万止むを得ず海賊行為に手を染めざるを得なくなった哀れ極まりない元漁民たち』になったりするだろうか?
…あーいや,『イヤ結局そーいいたい連中はナニをどう教えられよーがそー言い続けるにきまってるじゃーん』とかいう気も多少はするけど,いやまあ。
なんつーか一応先生様らしくちょっと語ろうとしたテスト。やっぱ私は人道説いたりするのには向いてない気が改めてしたこの20分ほどの事。あと記事メモ:
http://www.garoweonline.com/artman2/publish/Interviews_31/Somalia_Sheikh_Aweys_to_return_to_Mogadishu.shtml
http://www.garoweonline.com/artman2/publish/Somalia_27/Somalia_s_ex-president_criticizes_opposition_AMISOM.shtml
基本スタンスといーますか,私は以前,こんな事を書いたりした:「ソマリアやイラクを,話題にすることについて」 12 Apr 2007
あとは「多くを望まずされど諦めもせず」ですか。これは他人の言葉だけど。
『アフリカのことをほんとに思ってるかどうか資格試験☆ 思ってるならMSFとかに寄付してるよなトーゼン。あ?してない?あーじゃあ”ほんとに思って”なんかなかったんだねー?』だなんてふうな発言,お止めなさいな。
一日50円プラン…月1500円くらいですか…:
http://www.msf.or.jp/donate/donate.html
その程度で『アフリカのことを本当に思っている実質』が買い取れるなら,いやぁ安いもんですな。
…いや下手すりゃ,そーいう買い言葉を呼ぶでしょう。君の売ってる言葉からすれば。
形式を整えてそれで済むって問題ではない。
自己主張するところの「実質」を言えば証明されるわけでもない。
揚げ足を取れば,『アフリカのことを本当に思い遣っているのは誰か』とゆーわけのわからん論争に時間を費やしている内にアフリカの大地では可哀想なこどもたch(ryってお決まりの台詞が出てこようというもの。
あのところで,私,ソマリア関係に寄付したことなんか一度もないと思います。イスラム法廷なり暫定政府なり,まあともかくどれかの党派支持のためデモ組織したりなんてむろん欠片もしてないし(まぁこのblogや某所でちょこっと書くのも政治的活動だというなら,まあそのくらいはしたといわざるを得ませんが。しかし場末blogでなあ…何をどう言ったからって…)。
すると寄付基準論者からすると,私はソマリアのことを思いやってなどいるはずがないわけでしょうか。
納得し難いものがありますが。
一度だってソマリアに足を踏み入れたことなんかありませんが,国外旅行の経験なんかありませんが,ソマリ語もひとかけだって知りはしませんが,援助活動に(文学的表現を使うなら)指一本動かしてませんが,であればソマリアの事を思い遣っているはずがないと,なんで言われねばならないだろうと思います。ちょっと。
まあ,どうでもいいんです。
たとえば,私度僧なんてのが歴史上,おりますな。
坊さんの格好を調えさえすれば,税金免除の特典が得られる。ひとはこぞって坊さんの姿をしたと,まあ,そんな具合の状況があったと,日本史あたりで学ぶわけです。
教理的には,お釈迦様より始まる師資相承が連なっていて初めてその僧団は救いの資である僧宝,なんでしょうけど…だから私度僧なんてそもそも認められるはずがない,悉く排しあるいは正式な得度をなさしめねばならぬところ,なんでしょう。
ですけど,お坊さんの実質とは,「正式な得度」によるのだろうか?
いや,坊さんとしての働きにあるんではなかろうか? であればこそ,勧進等々で実質の働き,機能がある私度僧は許されるべきなのではなかろうか?
それは教理的には許されないことなんでしょう。
しかし,特に仏教については楽な反論の方策があるでしょう,『正式な得度とやらにそれほどこだわる,その君の心は執着してはいないのか?』。
極論,ほとけのお教えは言語表現不可能な覚りへとひとを,敢えて言葉で導くもので,それはまるで月への道を指し示す指先のよう。行く先を示しはしても,その行く先自体に届きはしない。またひとがその行く先へもし着く事があれば,月を指し示す指には用はない。それなら月に指に言葉にと拘泥するのは,辿り着くべき場所への歩みをとめる害になりはしないだろうか。
私としては,「知ること」を勧めたい。私たちの知識はまだまだ足りない。恥ずかしくて,とても彼らを友人とは呼べないほどに。モニタの向うのナニかに,今はまだ彼らは過ぎない。でなければ,なぜ私たちの間での知識は『ソマリアヒャッハー北斗の拳』に留まろうか?どうして便利に『先進国の矛盾の押し付けで海洋を汚され遂に万止むを得ず海賊行為に手を染めざるを得なくなった哀れ極まりない元漁民たち』になったりするだろうか?
…あーいや,『イヤ結局そーいいたい連中はナニをどう教えられよーがそー言い続けるにきまってるじゃーん』とかいう気も多少はするけど,いやまあ。
なんつーか一応先生様らしくちょっと語ろうとしたテスト。やっぱ私は人道説いたりするのには向いてない気が改めてしたこの20分ほどの事。あと記事メモ:
http://www.garoweonline.com/artman2/publish/Interviews_31/Somalia_Sheikh_Aweys_to_return_to_Mogadishu.shtml
http://www.garoweonline.com/artman2/publish/Somalia_27/Somalia_s_ex-president_criticizes_opposition_AMISOM.shtml
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます