諸種、諸方面の雇用が怪しくもなっている昨今。雇用をめぐるメモを発掘したのでアップロードしておこう。いやねえ、そろそろ概論講義の時期なのよ…。専門論文(※別分野)書きながら流行を追い、現今の学生の興味を引きながら原理原論を教育するって、まあ…うん…。
さて。
当方の本務校では、学生たちは必ずしも終身雇用を希望するわけではない。何しろ流行の工学系だと、数年務めてスキルアップしたら移り変わり…なんて、普通ですし。
そしてこれまでも―恐らく昭和の昔から―終身雇用はそうまで(どこまでかはともかく)絶対的でもなかっただろう。
この「別としても」が微妙に何をかいわんやというか。
ともかく「大卒リーマン終身雇用」が、わりと当然視された時代がまあ、あり―そして大学が増加しもし、そうまで特権的でなくなった、別の言い方をすれば大卒は別にエリートでもなんでもなくなった、ふつーの「人材」になった時代を迎えて―
―「大卒=エリート!」な雰囲気をまだしも残していた時代の人々を守るため、次の世代が犠牲に供された。そんな時代と評価するのも、おそらく説得力ある概説だろうなあ。
ということで
こういうふうにも言いたいわな、相対的には低能力で、今の会社にしがみつくしかないわい、という層は特に。
…いやまあその、その気概は理解しますし、この中西会長があえて戦う気概あるひとだとも理解しますが、「白銀の谷」のヘルダー大佐を想起したりしますと…ふつーはヘルダー大佐あたりを最高到達点としたゲームのなかにいますのでね…みんなラインハルト志望でもないのですよ…。
…そしてふつーは大佐になんかなれないわけであり。
…そしておそらく、「大卒♪ エリートの私☆」みたいな意識が変にこじれて『なんでこの俺様がたかが准将ていどにさえなれてねぇんだ』(比喩)というルサンチマンになってあっちこっちで奇怪な噴出をした結果が昨今のウザい「リベラル」しぐさになってんじゃねーのかなーあれー、とちょっと思う私。
…いえその、目の前で延々実例をひとつ、ふたつ見せられましてね…。
まあ、個人的な愚痴話はほかにもいう機会があろう。
ともあれ
これは一定の事実であって、その氷河期の人間がまだしも怒りを呑んでいてくれている間に「なんとか」すべきだとは言いたい。いやその、15年前になんとかしてくれていれば我々ももっと幸福だっただろうが、いま多少してもらえればもうちょっと幸福だろうし、そして私の立場で言えば、20年前の失敗を目の当たりにしつつ、いままた同じ失敗して、今まさしく我々が教えている教え子どもを日干しにしくさるつもりかこの老害ども、という思いは流石に起こるのですが。そりゃ我が子じゃねえので心の痛みも少ないですがね、だからといってまとめて使い捨てカイロみたいに取り扱われてもむかつくんですが。
象徴的な話をひとつ引用しておこう:
さて。
当方の本務校では、学生たちは必ずしも終身雇用を希望するわけではない。何しろ流行の工学系だと、数年務めてスキルアップしたら移り変わり…なんて、普通ですし。
そしてこれまでも―恐らく昭和の昔から―終身雇用はそうまで(どこまでかはともかく)絶対的でもなかっただろう。
いわゆる終身雇用、って会社勤めリーマンのうち、どれくらいの比率に対して当たり前だったんだろ。現場系ブルーカラーや職人なんかは別としても。
— king-biscuit (@kingbiscuitSIU) 2019年4月20日
リーマン≒大卒≒終身雇用、という前提が世間一般その他おおぜいの認識として当たり前になっていった過程と共に。
この「別としても」が微妙に何をかいわんやというか。
ともかく「大卒リーマン終身雇用」が、わりと当然視された時代がまあ、あり―そして大学が増加しもし、そうまで特権的でなくなった、別の言い方をすれば大卒は別にエリートでもなんでもなくなった、ふつーの「人材」になった時代を迎えて―
「平成の日本の労働市場では若い男性の雇用を破壊することで中高年(団塊の世代)の雇用が守られた」がZOLにアップされました。https://t.co/ROPm6cpENB 事実(ファクト)を見るかぎり、平成とはこういう時代になります。
— 橘 玲 (@ak_tch) 2019年4月19日
―「大卒=エリート!」な雰囲気をまだしも残していた時代の人々を守るため、次の世代が犠牲に供された。そんな時代と評価するのも、おそらく説得力ある概説だろうなあ。
ということで
(翻訳)「ある世代以上が逃げ切ったんで、卓袱台ひっくり返しま?す」 pic.twitter.com/EoXP2bGcxz
— まことぴ (@makotopic) 2019年4月20日
こういうふうにも言いたいわな、相対的には低能力で、今の会社にしがみつくしかないわい、という層は特に。
今更と揶揄するツイートも見たが、こうしたメッセージを経団連会長が出すことの重みやそれに対する反発を考えると、中西会長だからこそできたことだと思わざるを得ない。戦ってるなぁ。この年齢の方々に戦っている姿を見せられると、自分ももっと戦わんとなぁと思う。https://t.co/vS25BlNKJ9
— Noriaki Yoshikawa (@yoshikawanori) 2019年4月20日
…いやまあその、その気概は理解しますし、この中西会長があえて戦う気概あるひとだとも理解しますが、「白銀の谷」のヘルダー大佐を想起したりしますと…ふつーはヘルダー大佐あたりを最高到達点としたゲームのなかにいますのでね…みんなラインハルト志望でもないのですよ…。
…そしてふつーは大佐になんかなれないわけであり。
…そしておそらく、「大卒♪ エリートの私☆」みたいな意識が変にこじれて『なんでこの俺様がたかが准将ていどにさえなれてねぇんだ』(比喩)というルサンチマンになってあっちこっちで奇怪な噴出をした結果が昨今のウザい「リベラル」しぐさになってんじゃねーのかなーあれー、とちょっと思う私。
…いえその、目の前で延々実例をひとつ、ふたつ見せられましてね…。
まあ、個人的な愚痴話はほかにもいう機会があろう。
ともあれ
団塊世代で怖いのは「氷河期を犠牲にして自分達を守った」という一定の事実をまったく認めず「全部政治が悪い」とか思ってる人がおそらく過半数以上いるような気がすること。
— もへもへ (@gerogeroR) 2019年4月14日
これは一定の事実であって、その氷河期の人間がまだしも怒りを呑んでいてくれている間に「なんとか」すべきだとは言いたい。いやその、15年前になんとかしてくれていれば我々ももっと幸福だっただろうが、いま多少してもらえればもうちょっと幸福だろうし、そして私の立場で言えば、20年前の失敗を目の当たりにしつつ、いままた同じ失敗して、今まさしく我々が教えている教え子どもを日干しにしくさるつもりかこの老害ども、という思いは流石に起こるのですが。そりゃ我が子じゃねえので心の痛みも少ないですがね、だからといってまとめて使い捨てカイロみたいに取り扱われてもむかつくんですが。
象徴的な話をひとつ引用しておこう:
若者の犠牲で終身雇用が守られたと言えば2010年に菅直人が「新卒採用人数を減らすことで公務員も身を切る覚悟を示します」って言ってて本気でアホだと思ったな
— ののわ (@nonowa_keizai) 2019年4月20日
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