「桑原武夫がどんな本を読んでいたのかを知りたければ目録で事足りる」というのは大間違いで、個人蔵書を使った研究をする場合には実物を見て書き込みの有無、蔵書印・蔵書票の日付、..「京都市、桑原武夫の蔵書1万冊を廃棄 → 何が悪いの?」https://t.co/zcti9UmGy6
— saebou (@Cristoforou) 2017年4月29日
20世紀以降になした研究についてこんな作業が必要不可欠というならば人文系の学問って不毛ですよ。完成形のみならず自分の思考の過程をトレースさせる…後進の研究者のかかる負担を不要にするようなアウトプットを著作・論文でできてないならば大した研究者ではない。 https://t.co/bzJE1socGz
— Spica (@Kelangdbn) 2017年4月29日
不可欠ではない。
しかし、一切なしでよいわけではない。例えば、20世紀の人物だが、ハイデガーの蔵書・ノートは遺しておきたいのではないか。いろんな意味で。サルトルについても合意が得られるのではないか。いろんな意味で。
百歩譲っても、3次資料、4次資料で研究してメシが食える分野ってのはどうなんだろうなぁ。「蔵書の書き込み」が参考になって、それで研究業績になってしまうというのは、自分がいた業界とは全く違う論理で動いているということなんだろう。自分の貧困な想像力では全く理解できない。
— 斉藤 淳 (@junsaito0529) 2017年4月30日
へた打つと、「貧困ですね」と返されかねない。
桑原武夫氏の蔵書が無断で廃棄されたことで、京都市図書館当局が批判されているけれども、いくつか違和感を感じざるを得ない。第一に、蔵書を保管しておくに値するだけの業績を桑原氏が残したのかどうか。第二に、桑原氏蔵書の書き込みを研究すれば業績になるほど文学者って暇なの?保存の価値あるの?
— 斉藤 淳 (@junsaito0529) 2017年4月30日
外国文学研究者という二義的な仕事をしていた研究者の蔵書が一次史料になるということ自体、その分野の研究が停滞していて、どうしようもない権威主義に支配されていることの証左だとしか思えない。
— 斉藤 淳 (@junsaito0529) 2017年4月30日
ということで、「二義的意義しか持たない学者の蔵書なんだから(いいじゃないか)」というところから、蔵書一般の価値の否定まで行くのはどうかなあ、ということかと。
書込みをみるなどして個人の思考過程や思想の形成過程を明らかにする研究自体の価値を否定することと、ある人についてそのような研究を可能にするために蔵書を保管するなどリソースを割くことは区別できるし、するべきだろう。後者を否定するために前者まで否定する必要はない。
— MMatsunaka (@mana613) 2017年4月30日
斉藤さんの主張は、今回の蔵書がいらんやんけという話がいつの間にか全否定に傾いていて異なる問題が混ざっている感。その手の研究に従来ほどリソース割くべきなの?って疑問は理解できるけど。
— MMatsunaka (@mana613) 2017年4月30日
もちろん、前者も後者も肯定・否定する主張があり得ないわけではないけど、ある程度知られた研究者の蔵書はおよそ全て保管せよとか、個人を対象とする研究が全て無価値だというのはなかなかハードルが高い。
— MMatsunaka (@mana613) 2017年4月30日
とまあ、「おまいらおちつけ」なわけなのではないか。
中村元の蔵書は特定非営利活動法人中村元記念館東洋思想文化研究所が収蔵・管理されているように、蔵書を丸々後世に伝える価値がると思う人達がやるべきもので、国や自治体がやると考えるのは不適切では。
— Masakazu Sekijima (@m_sekijima) 2017年5月1日
例えば、昭和天皇の侍従が残した勤務記録・日記なんかは、国家で保護してしかるべきだろう。これは、もし今後日本で共産革命が起こって政府が転覆しても事情は変わらない―国を継承する場合は、そうだろうし、己の正統性の理論を構築するに際しても、すくなくとも参考資料としてしばらくは生き残ってくれてないと、こまる。
それぞれで要求水準等々が異なるものをざっくり論じようとしたってなあ、という話だろう。
さて、「なら、低俗雑誌とかなら、文句なし、消去処分してもいいんですよね?」という意見に対しては:「後世にのこる薄い本(2015-10-18 12:14:52)」。…まあ、ダブったら捨てさせてくれ、という意見に根本的に反対するものではないな、この論旨は。しかし私のアレな蔵書に、ダブりなどそうそうでることはあるまい(やや自虐芸)。や、『あおいちゃんパニック!』やなんかは、状態が悪いからしょうがないが、『こちら敵艦領海』や『大鑑巨娘主義』あたりを延々保存する学者もそうはいるまい。
なお:
紫式部先輩って、日記で清少納言先輩のことをかなりボロクソに叩いた直後唐突に自分の思い出話を始めてて、後世の研究者から「非論理的な心情や嫉妬、政治的思惑、無意識的な自我の表れ」などとアレコレ分析されてるんだけど、単にムシの居所が悪かっただけなんだろうなとツイッター見てるとよく思う。
— たられば (@tarareba722) 2017年2月28日
ついでなので、紫式部先輩から学んだ人生訓はこちら。
— たられば (@tarareba722) 2017年3月4日
・恋愛のドロドログダグダも表現が美しければ千年残る
・どれだけ容姿端麗でどれだけ社会的地位が高くても、心が弱くて執着心の強い異性に引っかかると命に関わる
・「リア充ムカつく」も立派な芸になる
・日記はあとに残るので気をつけろ
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